第七話 尾張平定
永禄6年11月3日
尾張に於いて今川の侵攻は最終段階に差し掛かっていた。既に清州は落ち熱田、津島は今川に下った。焼き物の産地である瀬戸も常滑も今川に忠誠を誓い犬山城の織田信清は信長が北に下がるのを阻止していた。信長は小牧山に急造した城砦に籠り最後の抵抗を行っていた。
「清州城開城の折、正室美濃の方と子供を含む家族を捕えております。小牧山には信長の他に一門衆、譜代家臣の一部が付き従っておりその数は千人にも満たない数と思われます。林佐渡、佐久間右衛門尉等の重臣を筆頭に多くの者は清州や那古野にて降っております」
報告を受けて今川義元は笑顔を見せていた。当主である氏真は万一武田が動くことを考え駿府にて待機している。その為傍に侍らせていた元康の方を向いて言葉を掛ける。
「ここまで早く尾張を落とせるとはな、其方が調略を念入りに行ったお陰じゃの」
「桶狭間で起死回生の奇襲に失敗し、我らと美濃の一色に挟まれて身内である犬山にもそっぽをむかれては流石にしぶとい織田弾正忠めも終わりでございましょう」
「うむ、小牧山は包囲した。後は締め上げるのみよ」
「では下った奥方や親族はいかがいたしましょう」
「うむ、奥方は一色殿の妹君ではあるが道三殿の件がある故帰る訳にも行くまいな。尾張にて父君と信長殿の菩提を弔ってもらうとしようか、子らだが元服しておればともかくまだ小さい故に寺に入ってもらうとするか」
「さように取り計らいます。ではそろそろ小牧山に向かい織田殿に引導を渡してまいります」
「うむ、自裁を望まれるなら丁重に扱う様に頼み置くぞ」
「はっ、お任せください」
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尾張国 小牧山山麓
いよいよ信長の最後がやってきた。念入りに逃げられない様に手を打ち最終的に小牧山に追い詰めた。俺が影武者であることを見抜ける唯一の人物、絶対に消えてもらわねばならない。
「忠勝、元忠、小牧山の様子はどうだ?」
「我らの手勢で完全に包囲しております、蟻のはい出る隙間もございません」
「開城の使者は幾度か送っておりますが、渋っておりますな、今更命乞いでもないと思いますが」
「うむ、従う者の中に重臣はおるのか?」
「丹羽五郎左衛門位でしょうか、林も佐久間も降っております故」
そういえば後の豊臣秀吉こと木下藤吉郎はどこに行ったのか?降った者たちの中にもいなかったし信長に最後まで付いているのか?気になるな。
「判った、織田殿はしぶとく逃げ足が速い、油断は大敵ぞ」
「心得ておりまする」「繰り出すのであれば返り討ちにしてみせましょう」
頼もしい二人の答えに俺は満足して陣所に引き上げるのであった。
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小牧山 織田本陣
「よいか、其方らは夜明け前に山を駆け下り憎き徳川の陣を破るのだ、陣所に火を放った後我らも殿と後を追う」
「はっ、準備いたします」
丹羽五郎左衛門は配下の者に下知を出した後に主の元に行く。
「準備は整えてございます、後はご覚悟頂くのみでございます」
そう告げると準備を急ぐのであった。
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夜明け前、突如鬨の声と共に山上から駆け下る一団が徳川の陣を襲った。だが油断なく見張っていた本多忠勝勢が迎え撃ちその殆どを突破させること無く打ち取って行った。
「こやつらは囮かもしれんな、他から主君を逃がそうとしているのかも知れぬ、包囲を緩めるな」
忠勝が下知を下すと配下の兵が小牧山の山頂を指さす。
「見て下され!火の手が上がっております」
「むぅ、山麓の敵兵を打ち取ったら一隊を山頂に向かわすか、これも我らを欺き織田殿を逃がす算段かも知れぬ、一層包囲を厳しくせよ」
残兵を掃討した後山頂へ忠勝は兵を率いた。
残った鳥居忠吉隊は油断なく包囲網を抜けようとするものを狩っていった。
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小牧山山頂 仮陣屋跡
完全に燃え落ちた陣屋を兵たちが片づけつつ探し物をしている。行方の知れない織田信長である。麓に攻め寄せた兵たちの中にも燃える陣屋前で本多忠勝隊に抵抗していた者たちの中にも見えなかった。僅かに生き残った兵がこの陣屋に信長が居たとの証言を取っている。
首実検出来る者として犬山城の織田信清が呼ばれている。
「陣屋を守っていた者の中に丹羽五郎左衛門が居たのは間違いないのだな」
「はい、よく弾正忠殿の傍に居た方なので間違いありません」
「その丹羽がこの陣屋前から逃げずに居たのは弾正忠殿はこの陣屋の中に居たと考えるべきなのだろうな」
「某もそう思いまする」
会話をしていると陣屋を片付けていた兵たちからざわめきが起きる。
「何か見つけましたかな?見に行ってみましょう」
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「焼けておりますが腹を切った者と思われます、弾正忠殿でしょうか?」
「かなり焼けていて顔は判らんな、十郎左衛門(信清)殿、何かわかるか?」
「背格好は弾正忠殿に似ておりますが、こうも焼けておりますと判りかねます、ただ身に着けていたであろう甲冑は弾正忠殿の物と思われます」
「うむ、はっきりせぬのは気持ち悪いが丹羽が守っていたのだ。間違いないと思う、丁重に扱い清州に戻り御屋形様に言上申し上げよう」
「直ちに支度いたします」
元康は引き上げる準備をしながら南陽坊を呼び出す。皆は戦死者の供養をするために呼んだ坊主だと思っていた。
「正直織田殿はしぶとい、丹羽を囮にして既に小牧山から逃げている可能性もある、何か良案は無いか?」
「もはや織田殿には頼りになる同盟者も家臣もおりませぬ、他領の大名を頼んでも援軍を出すものは余りおらぬでしょうが…このような策はいかがでしょう?」
南陽坊の献策を容れた元康は直ちに実行させるのであった。
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尾張平定から一月ほど経った頃、尾張の各地で奇妙な事が起こっていた。
突然村長の家に{織田弾正忠}と名乗る主従が現れて宿と食事を要求する。さらに今川を追い出すため挙兵するので人を出してほしいと頼んでくるのだ。{弾正忠}と名乗る人物は顔を面頬で隠しておりいかなる顔かうかがい知れない。怪しんだ村長が領主に注進し領主の兵がやってくると消え失せてしまう。そのうち伊勢や美濃の地にも現れるに至り織田弾正忠の騙り者であるとされその噂は周辺諸国へ広まっていくのであった。
甲斐国 躑躅ヶ崎館
「御屋形様に織田弾正忠と名乗る者が御目通りを願っておりますが」
「ついに来たか、そいつは先日駿河に現れたという騙り者であろう、御屋形様に注進する必要も無い、追い払え!抵抗するなら切り捨てても構わん!武田が騙り者に騙されたとあっては天下の笑いものになるわ!」
これ以降、騙り者が現れたという話は下火となって行くのであった。
なおこの小説はフィクションであり登場する人物・団体・組織等は完全な架空の存在です。
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