第一話 師との出会い
「その小僧が例の……か」
(こ・怖ええ、なんだこの坊主は)
俺はある寺に連れて行かれ其処の住職らしき坊主の前に座らされた。
「ふむ、肝は据わっておるようだの、次郎三郎と言ったな。そなたはこの儂の弟子となり見聞を広げるのじゃ」
顔は笑っているのだが目がまったく笑っていない。背筋に汗が滲んできた。
「し・師よ、御名前は?」
この言葉を搾り出すのが精一杯だった。
「ふむ、問いが出来るか、良きかな・良きかな、儂は太原雪斎と申す生臭坊主よ」
た・太原雪斎! と言う事はこれは!
「お前は儂の下で修行し立派な武将になるのだ。そう三河の松平家嫡男として、そして今川の御屋形様の忠実な武将としてな」
な・なんだってー、影武者ルートだったのか! 神様も意地が悪すぎる!
「ですが、松平家嫡男と言っても自分は……」
「素性も知れぬ出自だと言いたいのか? ではお前の生家について教えてやるとするか」
雪斎の言うことには、俺の生家である世良田家は新田義貞で知られる新田家の一族なのだとか、だが南北朝の戦いで敗れた新田一族は足利家に追われ姓を変えて世を忍んで生きてきた。
世良田もその一つで、願人(肉食妻帯している修験者)として暮らしていたと言う。
「だがお前の父親は修行中に谷に落ちて死に、生活に窮した家族はお前を我が手の者に売ったのだ」
「何故自分を買ったのですか? 自分は修行も碌にしていない小僧だったはずです」
「全ては今川の為、儂が育てた芳菊丸(今川義元の幼名)の為よ、お前のような子供を引き取り修行させて各地の情報を集めさせる、情報は財産じゃ、それを使って今川を強く大きくするのが儂の野望よ、今川が海道一となり何れは天下の宰相となる、それが儂が生涯をかけるに値することなのじゃ、じゃがお前にはそれ以外に役に立つことがわかったのでな」
「それが松平家の嫡男ですか?」
「よくわかっておるではないか、先年織田より取り返した竹千代とそなたが瓜二つだと聞いてな、絶好の機会じゃと思ったのだ、三河の松平家の当主が今川に忠実な人物になれば大きな力となるからな」
「竹千代では駄目なのですか?」
「駄目だな、あれは完全に織田に染まっておった。織田の嫡男吉法師とか言ったか、あの者は大した逸物よ、恐らくは当主の信秀よりも優秀だな。代替わりをした後は織田は手に負えなくなるかもしれんな」
その読みには激しく同意です。もちろん禅師とは違い未来を知る故ですけど。
「すでに手は打った。今頃、本物は岡崎より付いてきた者たちと共に仲良く極楽に行っておるだろう、其れがせめてもの慈悲というもの」
そう言って雪斎は手を合わせ軽く祈る。
うげ、すでに竹千代は亡き者か、前世で読んだ{家康の影武者}という漫画にもなった作品では入れ替わりは関が原の合戦の時だけどこの世界では竹千代時代、そして其の黒幕が雪斎か!
「安心せよ、替わりの御付は岡崎からやってくる、竹千代に会ったことも無い者達だから問題は無い」
「左様ですか、ですが家族はどうするので?さすがに誤魔化されないでしょう」
「竹千代の祖母に当たる華陽院か、確かに彼女はこの駿河に居るが彼女も竹千代を見たのは赤子の時以来じゃからな、大丈夫じゃろうがもしも疑うようなら……」
消すということか、今川の手の内にあるのならその辺は自在というわけだな。
「母親の方も水野家に戻され再嫁したが織田方では会うこともあるまいし、父親の方も既にこの世に居らぬ」
どうやら手の者が広忠の傍に居てこれも消したようだ。それすらも仕組まれたものだったのか。
「そう言う訳で心配するな、お前は竹千代として振舞っておれば良いのじゃ」
もちろん今川の思惑に逸れた動きをすれば消されるのか。
「この事は、師以外の今川家中の皆様はご存知なので?」
「秘密じゃ、御屋形様も御存知では無い、この事我が一存にて行いし事よ、左様心得るように」
「はっ!」
とんでもない秘密だな、だが雪斎も知らないことがある。
それは次郎三郎が転生者である事、未来を知る者である事だ。
□
今川での人質生活は一言で言えば優雅、いかなる時にも其れが求められる。
和歌や蹴鞠等した事も無いのにしなくてはならない、唯あの{うつけ}の所に居たせいで知らなかった事に対しては逆に同情されて懇切丁寧に指導してくれた。特にあの今川氏真は非常に親切で田舎者といじめられると思っていたのに拍子抜けしたよ。
「そなたは弟のような者、兄が弟の面倒を見るのはあたりまえじゃ」
なにその男前な発言、調子が狂うよな。
ま、いじめが無かったわけでもない、特に孕石とか孕石とか陰湿に田舎者呼ばわりしてきやがる。大事な事なので二度言った、いつかこの恨み晴らさでおくべきか。
御付の家来たちは一新された、山で事故に会い死んだ事にされて、恐らく本物の竹千代と共に眠っているのだろう、南無~。
その為俺の顔を知らない者たちばかりで気が楽である。 国許では城代をやっている連中が好き勝手していそうだが、知らんがな。 正直今だ雪斎が健在なので迂闊な事は出来んのだよ。
小さな違いはある物の大凡歴史は俺の知るとおりに流れているようだ。という事は桶狭間も当然ああなる訳で、動くとしたらそれからだよな。
□
数年が経ち俺は結婚した。相手は歴史通りに関口親永の娘・瀬名姫だった。
話が出たとき雪斎に相談しに行った、この頃雪斎は病で伏していたのだ。
「よき話じゃ、受けるが良い」
「良いのか? 俺は竹千代ではないのだぞ」
「お前は既に松平次郎三郎元信、元服と同時にその名乗りになり妻を娶る。そうして今川に忠実な藩屏となり御屋形様に天下を取らすのじゃ」
「師よ……」
「御主が影であることを知るものはすべて居なくなった、これからはお前が儂の配下を統率せよ」
ここまで俺は雪斎に忠実に動き続けた、その為に彼の信頼を得たようだ。しかし、真実を知るものをすべて粛清するとは……
遠くない未来に起こる桶狭間、其れが来るまでは俺は演じ続けよう。忠実な松平元信という男を。
瀬名姫との婚儀が無事に終わり二人だけになる、なんと彼女は御屋形様の養女として俺に嫁いできた。これは史実とは違う。どうやら雪斎禅師の置き土産らしい。彼の進言を御屋形様はお取り上げになるからな。彼女は転生前の俺の持つ美意識からしても十分な美少女である。年が二つ上というのは置いといてもだ。
「元信様、不束ながらこの瀬名、妻として元信様を支えていく所存、どうか可愛がって下さい」
まだ初心な彼女に罪悪感を感じながら、俺たちは名実共に夫婦となった。
□
太原雪斎が亡くなった時、元信は大いに嘆き慟哭したという。かけがえの無い師を失った為だろうと皆噂し、義元は弟弟子にあたる彼に益々好意を持つようになっていた。
その後初陣を飾った元信は僅かな時間であったが子供にも恵まれ穏やかな時を過ごした。だがその時は迫りつつあった。
「皆の者、これより今川は悲願の尾張への侵攻を開始する。此度こそ織田を叩き尾張を我が物とするのだ」
「「「「「「おおっー!!」」」」」」
評定の広間は興奮の坩堝と化していた。
ようやく体制が整い尾張への侵攻が決まったのだ。尾張を支配するのは織田家であったが元々今川一族が守護を務めていた事から領地の奪還という面が強かった。
義元は興奮する家臣たちを満足そうに眺めて松平元康(先年元信より改名)に声を掛ける。
「元康も先手を勤める身、励めよ」
これに元康は頭を下げ答える。
「承知仕りました、元康は粉骨砕身し御屋形様を尾張にて凱旋できるように勤めまする」
「良くぞ言った! それでこそじゃ!」
何も知らない義元は破顔して傍の氏真に話しかける。
「このように若き武将が育っているのは目出度いことよ、必ずや氏真を支える者となってくれよう」
「御屋形様、ありがとうございます。元康、頼りにして居るぞ」
「ははッ! お任せください」
慇懃に礼をする元康に対して益々上機嫌になる義元であった。
その後酒が運ばれて宴となり終わってから屋敷に戻ったのは随分夜も更けていた。 遅くなると使いを出していたのに瀬名が起きていたのに元康は驚いた。
「こんなに遅くまで、寝ておれば良かったのに」
「殿がお帰りになるまで待ちますわ」
その健気さに元康は驚く、彼女については高慢な悪女だという知識があったのだがこれまでその様な事はまったく感じられなかったからだ。
(後世の言い伝えって当てにならないものだな……今川が滅んだからそうなったのか)
彼女を抱き寄せながら元康は思う。
(彼女を不幸せにしたくない)と。
なおこの小説はフィクションであり登場する人物・団体・組織等は完全な架空の存在です。
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