十四話 小谷城の苦悩
近江国 小谷城 本丸
小谷城の主にして浅井家の当主である長政は苦悩していた。長らく従属関係にあった六角からの独立を目指していた浅井家は野良田の戦いで六角を破り独立を達成した。その裏には朝倉からの援助等があったのだが、朝倉は若狭への関与を強めるために若狭武田と縁戚にある六角を牽制するために浅井を必要としており浅井にとっても条件の良い同盟であった。観音寺騒動によって六角が揺れたときには天の配剤かと家中は湧き立ち美濃の一色対策として尾張の織田との同盟を結ぶことによってこれからと思ったところで桶狭間での織田の躓きが全てを台無しにしてしまった。
「思い通りにはいかぬものよ…」
本丸から欠けた月を眺め長政は独り言ちる。
「織田が今川に防戦一方になって一色への押さえが無くなってしまった。そして織田は滅び六角へ対抗するために三好と組んだがそれも裏目。まさか公方様が逃げ延びられるとは。三好と六角を挟み撃ちにする前に今川は一色を追い落として不破の関を越えて来た。朝倉も、三好も間に合わぬ。小谷に籠城して幾ら持つか」
苦い顔をして月を眺めていた長政の耳に衣擦れの音が聞こえた。
「そなたか、いかがした?子らは寝たのか?」
「はい、寝かしつけて後は乳母に任せて参りました。昼より何やらお悩みの様子。六角と今川の事でしょうか?」
「そうだな、我が身の先の読めなさを悔いておったのだ。其方にも苦労を掛けるな」
「そんなことは。寄る辺の無いこの身を殿は救ってくださいました。子まで生せたことを感謝すれど苦労などとは」
「市よ、このままではこの小谷を枕に皆討ち死にとなるだろう。尾張に落ちるがよい、信長殿は身罷ったがまだ一族や恩顧の家臣たちが残っておろう」
「長政様、兄上の正室である鷺山殿はご健在ですが髪を下ろされ養華院と名乗られているとか、ですが今川の支配する美濃にて肩身の狭い思いをされておられるでしょう。そこに私と子供がいっても重荷になるでしょうし、織田家の真の忠臣たちは皆桶狭間や兄と共に果てております。今頃尾張に戻っても寄る辺はありませぬ。殿が城を枕に討ち死にすると言うならお供申し上げまする」
織田信長の妹の市は本来では長政の正室として浅井家に嫁ぐ筈であったが桶狭間の敗戦により斜陽となった織田家は今川を防ぎつつ美濃の一色を討つために浅井家を引き留めておく必要から人質として送ったのであった。これは美濃攻略がうまく行けばそのまま輿入れとすると言う条件は付いてはいたが一つの敗戦が両家の力関係を変えてしまったのであった。
この事は隠居させられた前当主久政は反対であったが彼も六角や一色を敵視する限り朝倉以外の味方は必要であり強くは出られなかった。朝倉はあくまでも若狭支配の為に浅井に六角が介入できぬようにする存在としか考えておらず六角と正面から事を構える気は無かったのであった。
だが美濃を今川が押さえたことでこの情勢に変化が起きていた、
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小谷城 小丸
「大殿、このままでは我が家は六角と今川に挟まれますぞ」
「このままでは城を枕に討ち死にとなり申す、ここは一時頭を下げてでも」
「そのためには彼らに渡す物がいるがその覚悟はお主らあるのか?」
「ここに至ってはやむなしと存じます、このままこの浅井は滅ぶわけにはいかんのです」
「では、各々方手筈通りに」
「では」
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夜も明けきらぬうちに本丸は囲まれていた。
「どこの家中か、胡乱な真似を、殿これは御味方謀反でございますぞ」
長政の母方の縁者である井口経尚が長政の元へ駈け込んで来た。
「なんということだ、だれが裏切ったのか」
さらに駈け込んで来た海北綱親が驚くべきことを口にする。
「寄せ手は小丸より来ております、この勢を率いているのは大殿ですぞ」
「なんだと!そんな馬鹿な、有り得ぬことだ」
井口が驚くも長政は悟った。
「そうか、父上が動かれたか、もはやこれまでじゃな」
こうして長政たちは城内の一角に押し込められたのであった。
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出陣した六角勢は佐和山城を望むところまで来ていた。
「ほう、下野よりの使いか」
六角義賢改め承偵は少し意外に感じていた。使者が来るだろうと考えてはいたが当主である長政からだろうと思っていたからであった。
「和議の条件は当主である長政と家族の頸か、もう長政たちは討ち取ったのか?」
「いえ、家族共々幽閉しております」
「では、こちらの条件はそれらを生かして連れて来てもらおう。公方様に歯向かった愚か者に公方様はお怒りでな、自分の前に連れてこい、その場で頸を刎ねてくれるとの権幕じゃ。我々が求めるのはこの一点、後はそちらの提示した条件で良い。この件を違えたら和議は成らぬものと思えと下野に伝えよ」
「はっ、必ずや伝えまする、では直ちに向かいまする、御免!」
使者が去った後嫡男で現当主である義治が父に問いかける。
「よろしいので父上? 我が家だけで無く平井加賀の家も恥をかかされたのですぞ義妹は離縁後世を儚んで仏門に入ってしまったのですぞ」
「儂も奴のそっ首を取りたいのじゃが事はそう単純ではない、そもそも浅井の我が家からの離反は下野守の絵図なのじゃ」
「なんですと!下野は反対したため隠居させられたのでは?」
「それならばこうも簡単に和睦を申し込む訳が無い、最初から我らをたばかっていたのよ、あの親子はな」
「確かに早すぎましたな、これも織り込み済みの離反だったのですな」
「そうよ、野良田の戦で浅井が負けておれば下野が出てきて頭を下げて終わりにするつもりだったのよ、朝倉が和議の周旋をするために出てきたのだろうさ、だが勝ったことでそうならなかった、今川殿がお知らせくださらなかったら騙されていたところだ」
そう言って承偵は傍に座っていた男に呼びかける。
「徳川殿、貴殿の策により我が六角は公方様に面目が立ち申した。礼を申す」
家康は大したことではないと答えかねてより話していたことを再度口にする。
「では長政殿とそのご家族は駿河へお連れします、生かして置けば再度浅井が裏切ったとしても長政を立てて浅井を分断に追い込み潰すことが出来ます。公方様も浅井の頸に縄を付けたとお喜びの由、これで後顧の憂いは断ち申した、平井殿には申し訳なき儀と相成りこの家康今川の御屋形様に代わりお詫び申し上げます」
「いえ、娘の事は残念ですがこれも御家の為、天下の為なればお気になさいますな」
平井加賀守も長い目で見れば浅井を抑える良い策であると認める。
こうして浅井長政とその家族は今川に引き取られた。彼らに待ち受けるの運命は今の所誰にも判らない。




