第十話 足利義輝
永禄8年7月12日
近江国 朽木谷 岩神館
「今川家の此度の御働きに公方様はいたく喜ばれております、三好の愚挙を未然に防ぎ彼らに苦杯を舐めさせた、その上六角家の安寧への橋渡しを行い正しき形に戻すことが出来たのは偏に今川三河守殿の御指図を受けた今川家の尽力によるものであるとの仰せである」
幕臣の大館伊予守が将軍の言葉を代読する。
「この功に対し三河守殿には左近衛少将に上総介殿は治部大輔へ遷任となります」
伊予守の言葉に朝比奈信置は深く頭を下げた。
「公方様の御厚情主に代わりまして御礼申し上げます。又六角家の和解も成りました事、真に喜ばしく、主も喜んでおります」
それを受けて大舘伊予守は上座の義輝に顔を向ける。義輝が初めて口を開いた。
「朝比奈兵部大夫よ、今川左近衛大将の知略で余は三好の企みを避けることが出来た。礼を申しておったと伝えてくれ」
「ははっ、必ずや」
「うむ、三好の逆心はついに抜き差しならぬ事となった。覚慶と 周暠を手に掛け阿波より義親めを呼び寄せようとしている、これを討たねば弟たちも浮かばれまい、今川家は追討の兵を挙げて欲しい」
「主も上洛の邪魔をする織田弾正忠をようやく討ち尾張迄進めましたが美濃の一色殿と浅井、そして六角殿が対峙されており進むことが出来なくなっております」
「うむ、浅井と六角、一色の和談を進めよう、伊予守よ使いを送り和談を進めるのだ」
「はっ、必ずや」
「細川兵部大輔、其方は伊予の河野、備前の浦上、播磨の赤松、丹波の波多野、紀伊の畠山に使いを出し三好領を攻めよと伝えよ」
「はっ、直ちに」
そして義輝は虚空を睨み声を上げる。
「三好修理大夫よ、直にこちらの一族を彼岸に送ってやる、そちらで仲良く暮らすがよい」
この日より、三好包囲網が動き出した。
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永禄8年8月27日
駿府 今川館
「浅井ですが公方様の和談を受け入れませぬ、どうやら越前の朝倉の後詰を受けております。朝倉へは三好の使者が何度か行っており、何らかの合意があると思われます」
あれから上洛軍を送るため準備を尾張で進めてきたが浅井が和談を拒むために一色もその後ろの今川も進むことが出来ない。
尾張にて上洛の準備をしていた家康が発言すると館の評定の間はため息に包まれた。
「浅井は何故和談を受け付けないのじゃ?そこまで三好に肩入れするのか?」
「三好というより六角への反感でしょう、かなり恨み骨髄の様子、一色の方も縁戚にありながら小競り合いが絶えない様子、これは容易な事ではありませぬ」
今川義元の問いに近江より戻った朝比奈信置が答える。
「他に道は無いのか?」
氏真が問うと家康が答えた。
「伊勢より伊賀を抜けて進むことも出来ますが伊勢長島に一向宗の拠点があり更に北伊勢は多くの国人が乱立しております。さらに六角の縁戚の梅戸、南伊勢の北畠と縁続きの長野など対立が見られ今川の上洛を認めるかどうかは分かりませぬ」
「うむむ、公方様に取り持ってもらわねばならぬか」
義元も困り顔である。
「細川兵部が使いに出ております。それの結果待ちでございますな」
評定は上洛の準備は怠りなく行う様にとの結論で終わった。
△
「もどかしいものですな」
家康が自分の屋敷に戻ると本多忠勝がぼやいた。
「仕方ござらぬ、この上は尾張の領地を完全に掌握しいつでも出れるようにしなくては」
石川数正が首を振り応える。
「小平太はどう思う?」
家康からの問いに小姓を務めている榊原小平太は少し考えて口にする。家康としては後に四天王と呼ばれる榊原康政、まだ元服していないので小平太ではあるが、彼を鍛えるべくこのような場で質問するようにしている。いずれ井伊虎松も小姓に取り立てて鍛えようと思っていた。
「は、まず前提として美濃の一色があてになるかという事を考える事が必要かと、当主と西美濃の国人たちとの間がうまく行っていないとも聞きますし恵那郡の遠山一族は武田から調略を受けているとも聞きます。浅井よりも一色を何とかすれば直接近江に干渉できましょう」
「うむ、確かに一色龍興は斎藤飛騨守を重用しており驕った飛騨守が専横していると聞く、西美濃の国人たちは調略に乗るかも知れませぬ」
石川数正が応えると家康は得たりと発言する。
「良き思案じゃな、探りを入れている服部達も西美濃の国人たち特に稲葉、氏家。安藤ら三人衆の不満は爆発寸前のようだ。又恵那の遠山たちは元々織田家と縁が深かった。犬山城の信清に繋ぎを付けさせておる。与七郎、其方は使者となり彼らを揺さぶるのじゃ。特に西美濃三人衆の安藤の婿に竹中半兵衛という者がおる、それと繋ぎを付けるのじゃ」
「は、直ちに動きまする」
康政、いやまだ小平太だがなかなかセンスがある。早めに元服させて数正の補佐に付けよう。きっと成長するはずだ。そういえば竹中半兵衛の稲葉山乗っ取りはまだ起きていないな。やはり織田信長が桶狭間で負けたことで美濃に攻め入る事が出来なくなった事が影響しているのかもしれん。南陽坊の調べでは西美濃三人衆は切れる寸前まで行ってるそうだがここまで時期が延びたのは織田との戦いが無かった分軍役の負担が少なくそちらの不満が少なかったからだろう。だが浅井の反公方の動きで浅井領と接する西美濃はこのところ軍役の負担が増えてきたのが効いているのだろう。美濃を攻める機会が来たと考えるか。
なおこの小説はフィクションであり登場する人物・団体・組織等は完全な架空の存在です。
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