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碧の独善  作者: 氷空けい
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01. そして神様に別れを告げて


 鳥籠の外では、凍えた風が吹いている。

 初めから翼を持たない身である。今更解き放たれても、外の世界でどう生きることもできないのはわかりきっている。蜜蝋で固めた羽でも与えてくれるのだろうか。容易く毀れて墜落する、そのためだけの翼を。──殺せばいいのに。アンジェリカは、目前で揺れている蝋燭の火を茫と見つめ、独りごちた。

 どうせ、産まれたときから祝福された子どもではなかったのだ。生き存えずともよいと思う。穢らわしいおのれは疎ましいだけで、疾うに悲しくもなく、煩わしさと疲労感だけが募っている。人は繰り返し悔悛を促すけれど、善悪の所在はアンジェリカには不明のことだ。申し開くことなど、ない。

 火が小さく爆ぜた。沈黙に堪えかねたかのようだった。

 やがて、審理を終えたらしい、見慣れた黒装束の教誨師たちが戻ってきた。蝋が溶け、背の低くなった灯りの向こうで、彼らはそれぞれ決められた椅子に腰を下ろす。アンジェリカ、と呼ばれて視線を動かすと、真正面に座した老いた教誨師が、苦しげな目をしてアンジェリカを見ている。上昇してゆく蝋燭の熱でその人の表情は揺れ動いており、まるで虚像のようだった。

 もう一度問う、と老教誨師は言った。懺悔は、と。


「ありません」


 アンジェリカは短く答えた。言い慣れたそれは、最早呼吸の延長だった。

 アンジェリカの、いつもの返答に対する教誨師たちの反応もまた、いつもと同じものだった。彼らは眉間に皺を寄せ、みなが一様に阻喪の色を浮かべる。やや項垂れた老教誨師は、浅く溜息を吐いた。


「……神は全てを見ておられるよ、アンジェリカ」


 図りかねる言葉だった。アンジェリカは首を傾げる。火色を反射して斜陽のようにきらめく長い金髪が、果敢ない音を立て、細い肩を滑り落ちた。


「貴女を見守っておられる」


 ぼんやりと、ひどく緩慢に瞬いたアンジェリカは、教誨師たちの頭上を越えたその奥へと視線を向けた。

 部屋の中には祭壇があり、白い彫刻が飾られている。それは、神と人とを執り成すという、聖なる母の像だった。腕には赤子を抱いている。

 その彫像を目に留めたアンジェリカは、ふと、神は万人を等しく愛するのだという、聖書の教えを思い出した。だが、祭壇上にいる美しい聖母は、蕩けるような柔らかさで目を伏せて、自らが抱く赤子だけをただその瞳に映している。


「……見ていないわ」

「アンジェリカ」

「いいの、いいんです、神様に愛されたいわけじゃない」


 同情はどれも陳腐だと思う。慰めに心を許せるほど、清廉でも無垢でもない。

 窘める声には首を振るい、けぶる金の睫毛を伏せて、アンジェリカは息を吐いた。そうして、吐息に震えた、蝋燭の火をじっと眺める。


「審判は下っているのでしょう?」


 訊ねれば、後列の端に座る一等若年の教誨師が、僅かにぴくりと頬を引き攣らせた。

 火が燃えている。微かに、啼くような音がしている。

 蝋燭の火が爆ぜる、その音さえもが耳を掠める静謐の中で、向かい合う老教誨師はゆっくりと呼吸を整えていたのかもしれない。居を正し、情緒を抑えた、落ち着いた眼差しでアンジェリカを見た。アンジェリカは息をひそめる。神の愛など信じてはいないし、教会の精神に理解もないが、聖職に就く人々の気配は好きだと思った。

 厳粛に、朗々と、教誨師の声が響きわたる。


「アンジェリカ。教会は貴女を破門し、王家からの離籍を命ずる」


 重罰は下らなかった。

 無情にも慈悲が施されたのだと、アンジェリカはただ静かに、碧眼を閉ざした。




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