宮廷での決闘1
宮廷晩餐会の席でフライスに手袋を投げつけられ、決闘を申し込まれたミュラーは唖然とした。
(何を考えているのだこの男は・・・)
ミュラーがそう思うのも無理はない。
フライスはかつて園遊会の席でミュラーに絡んだ挙げ句、ミュラーに睨まれて腰を抜かして失禁までした男だ。
何らか策略を講じた戦いならばともかく、1対1による正々堂々の勝負が求められる決闘でフライスがミュラーに勝てる要素は無い。
ミュラーとて訓練にせよ実戦にせよ、相手を軽視したり油断することはないが、それでも真剣を持ったフライスに素手でも勝てる確証がある。
それ程までに実力に差があるし、フライスもミュラーを見下してはいるが、1対1でミュラーに勝てるとは思っていないはずだ。
投げつけられた手袋を反射的に受け止めたミュラーだが、相手が投げた手袋を手に取るということは決闘を受けたという意思表示になってしまう。
ここで「私に勝てると思っているのか?」等と発言することは正式に決闘を申し込んだ相手に対する非礼となるのだ。
「受けよう」
結局は決闘を受ける他にない。
ミュラーの返答に勝ち誇ったような表情を見せるフライス。
「それでは互いに真剣をもっての本勝負としますか」
フライスの提案にミュラーは更に仰天した。
真剣での本勝負とは特殊な魔導具を使っての勝負のことをいう。
魔導具の限られた範囲内ならば即死する程や、四肢切断等の致命傷ならば身に着けている魔導具がそのダメージを吸収して壊れるという、実戦的な訓練や闘技大会等で使用されるものだ。
但し、骨折や裂傷等はそのままダメージとなるので一歩間違えると命を落とすこともある。
相手に即死性のダメージを与えるか、戦闘不能か降参に持ち込むことで勝敗を決するのだが、ミュラーはますますフライスの考えが分からない。
(盤上勝負でも挑んでくるかと思ったが、本勝負だと?)
困惑するミュラーだがフライスは余裕の表情を崩さない。
「勘違いされているようですが、私が貴方と剣を交えるわけではありませんよ。まあ、それでも良いのですが、私もスクローブ領兵連隊の連隊長ですからね。軍人上がりとはいえたかだか大隊長とは立場が違います。私の代わりに副連隊長のバリオスがお相手しましょう」
フライスの言葉に前に出たのはミュラーよりも頭2つ程大きく、全身を鍛え上げた1人の騎士。
バリオスなる騎士を見てミュラーはようやく合点がいった。
フライスは最初から自分ではなくバリオスに戦わせるつもりだったのだ。
ふと気付けば、仕事が出来る宰相のクラレンスが宮廷職員に何やら指示を出している。
嫌らしい笑みを浮かべているところを見ると、晩餐会のいい余興としてミュラーとフライス(代理バリオス)の決闘の場を設定しているのだろう。
もう後には退けなそうだ。
しかし、今ミュラーが腰に差しているのは儀礼剣だ。
強度も刃も無く、戦闘はおろか訓練にすら使えない代物だ。
ミュラーの剣は馬車の御者を務めてくれた領兵隊員に預けてあるので背後に控えるマデリアに命じる。
「マデリア、私の剣を持ってきてくれ」
「かしこまりました」
マデリアはカーテシーで一礼すると晩餐会会場の外へ駆け出していった。
そこまで自信ありげに胸を張っていたローライネが表情を曇らせながらミュラーの袖を引く。
「ミュラー様、剣だけですの?防具はどうしますの?」
フライスの護衛を務めるバリオスは兜こそ被っていないが、プレートアーマーで身を包んでいる。
対するミュラーが着ているのは軍礼服だ。
「防具といっても、そもそも持ってきていないからな。このままで良いさ」
そう言いながらフェイレスを伴い、会場を出て庭園に向かうミュラー。
如何に余興とはいえ、皇帝のいる会場に武器を持ち込むわけにはいかないし、真剣を使う決闘を皇帝の目の前で行うわけにもいかない。
決闘の場は庭園に設けられ、晩餐会の参加者はその様子をバルコニーから見下ろすのだ。
「あのバリオスという騎士のこと、どう見る?私は面識が無いし、そもそもスクローブの連隊が戦場に出たこと自体が無いからな」
ミュラーは傍らのフェイレスに聞いてみる。
「私も存じ上げませをんが、身体はとてもバランス良く鍛えられています。背も高く、筋肉量も多いので見かけは鈍重に見えますが、そうではありません。主様と比べて力は勝っていることは明らかで、速度も互角、といったところです」
「それでは私に勝ち目が無いのではないか?」
「そうは申しておりません。力で劣り、スピードが互角とはいえ、技と経験を加味すれば結果は変わってくるでしょう」
冷静に分析し、遠慮無しに語るフェイレスに苦笑するミュラー。
庭園に出たミュラーはマデリアから剣を受け取ると軍礼服の装飾品を外して渡した。
「申し訳ありません。私のせいで・・・」
謝罪するマデリアだが、そもそもの原因はスクローブ側にあるのだし、マデリアはその責務を全うしたに過ぎない。
それどころか、エルザがローライネにワインをかけようとしただけなのでマデリアもエルザの手を払っただけだが、もしもエルザがローライネの身体に危害を加えようとしたらならば、マデリアは躊躇も手加減もすることなくエルザの腕の1本位は切り飛ばしていたかもしれない。
晩餐会の会場に武器の持ち込みは禁止されているが、多分マデリアは細い金属製の糸や先が鋭く尖った髪飾り等の武器ではない危険な物を持っている筈で、ミュラーやローライネを守るためには自らが処刑されるのも厭わずに暗殺者としての能力を行使するだろう。
流石に晩餐会会場で貴族相手の刃傷沙汰となればマデリアの正当行為とはいえ責任を問われることになってしまうのだから、そうならなかっただけでもミュラーにとっては一安心のことではあるし、その代わりに決闘の場に立つことも何ら問題はない。
「ローライネとマデリアのためだ、別にどうということはないよ」
宮廷の役人から魔導具の腕輪を受け取ったミュラーはそれを嵌めて決闘の場に立つ。
対面ではバリオスがその身長ほどもあるバスターソードを手にミュラーを見ている。
対峙してみればその体格差は歴然であり、傍目に見れば軍礼服の腰に剣を差しただけで身を守る防具もないミュラーの方が圧倒的に不利だ。
ミュラーとて普段と変わらぬ雰囲気ではあるが、相手の実力が未知数である以上は本気で当たらなければならない。
庭園で対峙したミュラーとバリオス。
皇帝をはじめ、晩餐会の参加者達が見守る中、立会人を買って出たエストネイヤ伯爵が決闘の開始を宣言する。
「それでは帝国貴族の儀礼に則り、ミュラー・リングルンド辺境伯とスクローブ侯爵家嫡男、フライス・スクローブの決闘を執り行う。なお、互いの了承の下、バリオス騎士がフライス・スクローブの代わりを務めるが、結果の如何に関わらず、その勝敗はフライス・スクローブによるものとする。帝国貴族の誇りを持ち、正々堂々と戦うことを期待する。・・・始めっ!」
エストネイヤ伯爵の開始の声と同時にミュラーとバリオスは互いに剣を構えた。