宮廷晩餐会2
ローライネとのダンスから解放されて疲れ切ったミュラーはフェイレスを伴ってバルコニーに出て夜風に当たっていた。
ローライネはその見事なダンスと黒蚕のドレスに興味を持った娘達に囲まれている。
ローライネにはマデリアとゲオルドが付いているが、ローライネを囲む娘達の何れもがスクローブ侯爵等とは距離を置いている家の者達のようで、和気あいあいと談笑しているようだ。
「ふぅ・・・疲れた」
「お疲れさまでした」
心地よい夜風に当たりながら果実水で喉を潤すミュラー。
「これはこれは、リングルンド辺境伯ではありませんか。このような場所で休憩ですかな?」
声を掛けてきたのはエストネイヤ伯爵だ。
夫人と若い護衛騎士を連れているが、相変わらず何を考えているのかわからない。
「継承したとはいえ、その呼び名はしっくりきませんね」
ミュラーも肩を竦めながら答える。
「まあ、無事に家名継承したこと、お祝い申し上げる」
「リングルンドの家名継承で私もそうですが、エストネイヤ殿も立場が危ぶまれるのではありませんか?」
若干の皮肉を込めたミュラーだが、エストネイヤ伯爵の表情は変わらない。
「なに、大した問題ではない。ローライネにしても、リングルンドの家名預かりにしても煩わしかったのは事実だ。その両方を厄介払いできたのだ。私にとって得でしかない。勿論、他にも思惑はあるが、それを卿に説明する必要もあるまい?」
「確かにそうですね。理由を聞いたところで、その真偽を確かめるために労力を要しますから」
「そういうことだ。秘密というのは知るだけで厄介な荷物になる代物だ。ところで、ローライネだが、先ほどの様子を見ても随分と幸せそうに見える。当然だが、私は見たこともない表情だ。私がローライネに与えたのは最低限の教育と、生活のための援助だけだが、亡くなったあれの母に聞いたことろによれば、ローライネは料理などはまるで出来なかったようだが。どうかね、ローライネに何か不満はないのか?」
エストネイヤ伯爵の問いにミュラーは首を振る。
「ローライネはとても良くしてくれ、私を支えてくれています。まあ、料理が出来ないということには同意しますが、物理的に食べられない程ではありません」
「そうか、それはとても残念だ」
互いにちぐはぐな会話を進めるミュラーとエストネイヤ伯爵。
互いに本心で語り合っているのだが、エストネイヤ伯爵が最後の言葉を発した時だけ、その目の奥に嘘の影が僅かに見えた。
その時、会場が俄に騒がしくなる。
「主様、ローライネ様が・・・」
フェイレスに声を掛けられて見てみれば確かにローライネの周囲に人だかりができている。
「おや?ローライネが何か厄介事を起こしたようですな。まったく、できの悪い娘だ」
エストネイヤ伯爵も会場の様子を見るが、大して興味はなさそうだ。
ミュラーはエストネイヤ伯爵に一礼し、フェイレスを伴って会場に戻った。
会場内は騒然としていた。
人だかりの中心で胸を張って立つローライネとその傍らに立つマデリア、ゲオルドはその2人の背後、一歩下がった位置に立っている。
そして、そんなローライネ達の前で頬を押さえて泣き崩れている若い女性と、その娘を庇うようにしてローライネを睨みつけている若い男はスクローブ侯爵家の嫡男のフライスだ。
「ゲオルド、一体何があった?」
ミュラーに問われてゲオルドは困ったように口を開く。
「実は、あちらのご婦人がお嬢様にワインをかけようと近付いたのですが、その直前にマデリア様が気付きまして、そのワイングラスを払い落としたのです」
確かにローライネ等の足下には割れたワイングラスと赤いワインの染みが広がっている。
「そうしましたところ、あちらのご婦人が憤慨してマデリア様を平手打ちしたのですが、その様子を見たお嬢様がご婦人を打ち返したのです」
なるほど、何やら面倒なことだ。
「事情は分かったが、こうなるまでゲオルドは何をしていた?」
「はい、実は私もあちらのご婦人の動静には気付いていましたが、お嬢様はワインをかけられることなど気にしません。むしろ、止めに入った私が叱られてしまいます。マデリア様はそのようなお嬢様の人となりをまだ分からなかったので、反射的に身体が動いたのでしょう。ご婦人に平手打ちされたマデリア様は何ら反応も示しませんでしたものの、電光石火的にお嬢様の手が出てしまいました。こちらは私が止めるのも間に合いませんでした」
結局はローライネに対するつまらない嫉妬とローライネに恥をかかせようとしたことの結果だ。
「ふざけるな!いい加減なことを言って!私の婚約者のエルザを辱めるつもりか!」
怒りの声をあげるフライス、どうやら泣いているのはフライスの婚約者のエルザなる女性のようだ。
「そうですわ!私は何もしていませんのに其方の使用人が突然私の手を叩きましたのよ!」
悲鳴を上げるエルザ。
ミュラーはローライネを見たがローライネ自身「私は何もわるくありませんわ」という表情だ。
マデリアに聞いたところで事実の報告はあるだろうが、水掛け論になるだけだろう。
「この不始末、どう決着をつけるつもりだ!その使用人を処刑しても足りないぞ」
吠えるフライスと首を傾げるミュラー。
「マデリアを処刑?くだらない。たかだか娘等のじゃれ合いではないか。何を大騒ぎする必要がある?」
冷静に、それでいて相手の神経を逆なでするミュラーの言葉にフライスは激昂した。
「立場を弁えろ。貴様、帝国でも有数の力を持つスクローブ家に逆らうつもりか?リングルンドの名を得て図に乗っているのだろうが、スクローブの力を持ってすれば貴様のその地位を奪うことなど造作もないことだぞ」
「スクローブだのリングルンドだの関係なかろう?私も見ていたわけではないが、つまらないトラブルに過ぎないことだ。大人げないと思わないか?」
「つまらないトラブルだと?貴様、私の婚約者のエルザを侮辱するとは、私を侮辱することと同じだぞ!」
フライスは矛を収める様子はない。
「まあまあ、折角の晩餐会の席ですよ。穏やかに済ませたら如何ですか?」
ミュラーとフライスの間に割って入ったのはエストネイヤ伯爵だ。
「エストネイヤ伯爵。そうは言っても、私とエルザを愚弄したこの連中をこのままにしてはおけません!帝国貴族の沽券に関わります」
「そうですぞ、エストネイヤ伯爵。我等には帝国貴族としての誇りがあります。少なくともその男が膝をついて詫びるまでは収めるつもりはありませんな」
いつの間にかフライスの父であるスクローブ侯爵までがフライスの背後に立っている。
エストネイヤ伯爵は大げさに肩を竦めた。
「それは困りましたな。・・・おや?しかし、そこに零れているのは赤ワインのようですが、確か、エルザ嬢は赤ワインがお嫌いで白ワインか果実水しか飲まないはずでしたな?そのエルザ嬢が何故赤ワインを注いだグラスを?」
エストネイヤ伯爵の指摘にエルザとフライスの顔色が変わる。
「そっ、それは・・・」
「そんなことは関係ありません!この下賤な連中に虚仮にされたままでは帝国貴族としての誇りが守れないのです。エストネイヤ伯爵もそうは思いませんか?」
強引に論点をすり替えようとするフライス。
「そう仰られましても、私も一部始終を見ていたわけではありませんからな。第三者としての意見を述べただけです。貴族の誇りと申しましてもどうしたものか・・・」
会場は静まり返り、フライスはいよいよ引っ込みがつかなくなってきた。
ここで引いてはいい笑い者だ。
そしてフライスは最大の愚を犯した。
ミュラーに手袋を投げつけたのだ。
「ミュラー辺境伯に決闘を申し込む!よもや断りはすまいな?」
手袋を投げつけられたミュラーは唖然とした。