宮廷晩餐会1
「陛下!リングルンドは帝国大公家の名です、縁もゆかりもないミュラー辺境伯に与えるなどもってのほかです!」
「そもそも、ミュラー辺境伯は平民出です、リングルンドの名に相応しくありません」
居並ぶ諸侯から次々と異論が出る。
主に声を上げているのはスクローブ侯爵とラドグリス侯爵、そして両家の息の掛かった貴族達だ。
エドマンドはわざとらしく首を傾げた。
「誰も継承することなく永く眠っていたリングルンドの家名を正規な手続きを経て継承するだけだ、リングルンドを名乗ったからといって大公になるわけでもない」
「しかし、他に類を見ない名誉なこと、ここに居る諸侯とのバランスをお考えください」
ラドグリス侯爵の言葉にエドマンドの表情が険しくなる。
「余はミュラー辺境伯の婚姻とリングルンドの家名継承を喜ばしいことだと思ったのだが、卿等は違うのか?」
「それは・・・しかし」
「ミュラー辺境伯は他ならぬ卿等の思惑によって軍務を解かれ、衰退したリュエルミラを立て直すために辺境伯を任されたのではないか?」
しれっとミュラーを代官とする勅命の予定を誤って?辺境伯にしたことを最初から無かったことにするエドマンドだが、そのことに誰も意見することはできない。
「ミュラー辺境伯は余や卿等の期待以上の働きを見せ、リュエルミラの軍事、経済、福祉を立て直し、幾度も外敵の脅威を退けた。今や帝国に対して多大なる利益をもたらしてくれている。これはミュラーを辺境伯に推挙した卿等の功績でもあり、喜ばしいことではないか。正直なところ、余はミュラー辺境伯を大公とはいかずとも、侯爵や伯爵の位を与えてもいいとすら考えている。しかし、先達の卿等の矜持や何らかの気持ちもあるだろうから、その辺に配慮して辺境伯のままとした。それなのに、誰も継承する者の居なかったリングルンドの家名を継承することにすら不満を感じるのか?」
ここにきてエドマンドの雰囲気が変わっていることに気付いた諸侯は水を打ったかのように静まり返る。
「うむ。卿等にとっても喜ばしいことであろう。異論など出るはずもない。今宵の晩餐会は良き宴となりそうだ」
エドマンドは満足げに頷くとクラレンスを伴って退出していった。
皇帝等が退出した謁見の間で貴族達の槍玉に挙げられたのはミュラーではなくエストネイヤ伯爵だった。
そもそも、ミュラーとローライネは皇帝が退出した後にさっさと謁見の間を後にしていて既に謁見の間から姿を消している。
「エストネイヤ伯爵!リングルンドの家名は卿の預かりだった筈。何故あの男が継承するのだ?」
「何故に卿が彼奴を利するようなことを!」
スクローブ侯爵等に詰め寄られるが、エストネイヤ伯爵はため息混じりに口を開く。
「正直申し上げて私はリングルンドの家名を預かることが煩わしくて仕方なかったんですよ。私は当主としてエストネイヤの家名を守る必要があるし、後継者の長男も同じ。他の子等はそれぞれ由緒ある家との婚姻を結んでいます。そもそも、私の子の誰かがエストネイヤの上家であるリングルンドの名を名乗るわけにもいきません。そうなると何の利用価値もない家名です。だから私は嫁ぎ先の無いローライネ共々ミュラー辺境伯に押し付けたのです。リングルンドの名もローライネも、いい厄介払いができましたよ」
「しかし、だからといって由緒あるリングルンド名を・・・」
スクローブ侯爵の言葉にエストネイヤ伯爵は首を振った。
「由緒あると申しましても、確かに初代リングルンド大公は帝国創建に功績を残しましたが、たった一代で消えた曰く付きの家でもあります。それにあやかってミュラー辺境伯も早々に衰退してくれればありがたいものです。それに、私はそれだけの理由でリングルンドの家名を譲ったわけではありません。私には私の企みがあるのです」
そう言って不敵な笑みを浮かべるエストネイヤ伯爵に詰め寄っていた諸侯はエストネイヤ伯爵の策略を想像して勝手に納得する。
「そっ、そうか。流石はエストネイヤ伯爵、きっと抜け目の無い策を巡らせているのでしょうな」
「そうですな。エストネイヤ伯爵も帝国の将来を憂いている忠臣ですからな。伯爵には伯爵のお考えがあるのでしょう」
そう言いながら離れていく大貴族達を見送るエストネイヤ伯爵。
(貴様等は自分の身分と財産にあぐらをかき、帝国の未来など考えていないのだろうな。この馬鹿者共が・・・)
口には出さないが、心の中で唾棄したのだった。
いよいよ宮廷晩餐会が始まった。
今回の主催は皇帝ということになっているが、取り仕切るのはアンドリュー第一皇子であり、参加者のもてなしを務めている。
晩餐会の前半は宮廷楽士の演奏の中、参加者の会話も少なめで、皇帝や皇子が諸侯に労いの言葉を掛けるといった厳かな雰囲気の中で進められれた。
会場のテーブルに着くのは招待された貴族とそのエスコートだけで、護衛や付き人は別室に待機している。
そんな中、テーブルマナーを知識としては知っているが実践が伴わないミュラーもローライネの指導の下でどうにか凌いでいた。
「ほら、ミュラー様、手が震えてますわよ。食器の音を立てないために緊張し過ぎですわ。もっとお料理を楽しんでください」
「そうは言ってもな・・・堅苦しくて味がしない」
「マニュアルどおりのテーブルマナーを守ることに集中し過ぎです。食事というものは美味しくいただくことがホストや料理人に対しての最高の賛辞とマナーですのよ。少しくらいマナーからズレても構いませんのよ」
そんな2人のやり取りを周囲の席の貴族達はクスクスと嘲笑しているが、厳かな雰囲気の中であからさまに馬鹿にしてくる者もおらず、ミュラーとローライネも周囲の嘲笑などまるで気にしていない。
それどころか、ローライネに至っては堅苦しい晩餐会の中でミュラーとの食事をとても楽しんでいるようだ。
そして、無事に前半の食事を乗り越えた?ミュラーだが、次に待っていたのは更なる困難であった。
厳かな食事会とは打って変わって和やかな雰囲気の立食パーティーが始まったのだ。
ここからは別室に待機していた付き人等も会場に入ることを許され、参加者達はダンスをしたり、互いに交友を深める社交の場と化した。
社交界など願い下げとばかりに会場の隅に避難しようとしたミュラーだが、ローライネがそれを許さない。
「ほら、ミュラー様。特訓の成果を見せる時ですわ!」
「おい!ちょっと待・・・」
ローライネの手で強引にダンスコーナーに引きずり込まれるミュラー。
楽しそうに、優雅に舞うローライネのそれに合わせてぎこちなく踊るミュラーの姿は滑稽であり、こちらでも他の貴族達の嘲笑の的となった。
「なんて不様な光景だ。軍人あがりの無作法者はダンスもまともにできないと見える」
「クスクス・・・行き遅れて、相手もいないような随分と年上の男にやっと嫁いだくせに。痛々しいですわ」
ここでもスクローブ侯爵等の取り巻きの声が多数だが、ローライネを嘲笑っている中にはエストネイヤ伯爵の娘、つまりローライネの異母姉妹達もいる。
厳かな食事会とは違い、あからさまにミュラー達を見下し、馬鹿にする貴族達と、相変わらずそんなことは気にせずに会場のど真ん中で舞うローライネとミュラー、やがて会場の雰囲気が徐々に変わってきた。
「ちょっとお待ちになって。あの娘が着ているドレス・・・」
「まさか、黒蚕の糸か?」
ローライネが着ているのは白と水色を基調とした派手ではないが、上品で落ち着いたドレスだ。
そのドレスが会場の中心でひらめく度に会場の照明を反射してキラキラと独特と輝きを見せる。
ローライネが着ているのは幼虫や成虫は真っ黒な体でありながら繭を作る糸は白銀に輝く黒蚕という極めて希少な蚕の糸の生地で作られたドレスだ。
市場に出回ることはほとんど無く、上級貴族であっても婚礼衣装のベールに使用するのかやっとな程の黒蚕の糸製のドレス、しかも白銀の生地を惜しげもなく水色に染めている。
エストネイヤ伯爵の妾であったローライネの母が娘が嫁ぐ日を夢見てエストネイヤ伯爵からの生活援助の多くを使い、20年近くの年月を費やしてこつこつと集めたものだ。
既に故人となった母が終ぞ見ることができなかったローライネの晴れ姿。
いつしかミュラーとローライネの周囲で踊る者の姿は無く、会場はローライネに対する嫉妬と羨望の眼差しに満ちていた。