帰還
リュエルミラ領都へと向かうミュラーとラルクだが、その姿は樹海の中でのサバイバルでボロボロに薄汚れ、ミュラーの後に続く走竜の背には未だ回復していないセレーナが乗っており、その3人の周囲をジャック・オー・ランタンが守っているという異様な様子でありながらも領都付近に到達するまで誰もミュラーの帰還に気付かなかった。
というのも、ミュラー達はエルフォードからリュエルミラへと通じる街道を通らず、道も整備されていない草原のど真ん中を抜けてリュエルミラ領内に入ったため、境界線付近の警戒に当たっていた領兵の警戒線をすり抜けてしまったのだ。
結局ミュラーの帰還に気付いたのは領都の手前の街道上で、警戒任務の交代のために境界に向けて街道を移動していた衛士隊機動大隊中隊長のアッシュであり、アッシュは薄汚れたミュラー達を見て仰天しながらも、直ちに部下の隊員を領都へと走らせてミュラーの帰還を知らせたのだった。
ミュラー帰還の知らせはアッシュの部下から館の警備についていたゲオルドに伝えられ、ローライネやフェイレスに報告されたのである。
その過程でたまたま衛士からゲオルドへの報告を聞いて真っ先に館を飛び出してミュラー達の下に走ったのはマデリアだった。
メイド姿のままで領都を抜けて街道を1刻以上も全力で走ったにもかかわらず、息一つ乱さずにミュラー達の前に立つマデリア。
「おかえりなさいませミュラー様」
カーテシーでミュラー達を出迎えるマデリアにミュラーは答える。
「皆は無事に戻っているか?」
「はい、誰一人として欠落することなく領都に帰還しています」
「そうか、よかった」
頷いたミュラーは領都に向かって再び歩き始める。
「ミュラー様っ・・・」
「ん?何だ?」
「・・・いえ、何でもありません。失礼しました」
「・・・そうか」
ミュラーの護衛を全う出来なかった謝罪の言葉を飲み込むマデリア。
今回の件はミュラーもマデリアの失態だとは思ってもいないだろうし、そんな謝罪を期待してはいないだろう。
それよりも大切なことは今後も変わらずにミュラーに仕えることだ。
そんな決意を秘めたマデリアは護衛としての定位置であるミュラーの背後に着いて歩き始める。
マデリアがミュラーの護衛に着いたところでジャック・オー・ランタンは役目を終えたとばかりに姿を消した。
ミュラー達が館に戻った時、ローライネは普段と変わらずに館の前に立ち、ミュラー達を出迎えた。
ローライネの傍らにはラルクの姉のソフィアが立ち、背後にはフェイレスとクリフトンが控えている。
「お帰りなさいませミュラー様。精悍なお顔立ちに磨きがかかりましたわね」
髭面で薄汚れたミュラーを見てローライネはにっこりと微笑んだ。
「ローラ、すまないな、心配を掛けた」
ミュラーの言葉にローライネはわざとらしく驚いた表情を浮かべる。
「心配なんてしていませんわ。私は知っていますもの。ミュラー様がちゃんと帰ってきてくださることを」
「そうか・・・」
「そうですわ。だからミュラー様も何も心配せずにお仕事に集中してくださいませ」
強がって見せるローライネにミュラーは苦笑した。
ふと傍らを見ると重傷のセレーナを医師に託したラルクがソフィアに抱き締められてわたふたしている。
樹海の中でセレーナを守り、ミュラーと共に生き延びて、男として少しだけ成長してラルクだが、やはりまだ幼いといっていい年頃であり、姉のソフィアの手から逃れられない。
そんなラルクを見て笑みを浮かべたミュラーだが、直ぐに表情を引き締めてフェイレスを見た。
「フェイ、直ぐに古代スライムの駆除作戦を行う。その説明をするから皆を集めてくれ。それから、この作戦にはドワーフの猟兵隊が必要だ。マージも呼んでくれ」
「かしこまりました」
帰るなり次の行動に移ろうとするミュラーにローライネが呆れながら声を上げる。
「ミュラー様、先ずはお風呂に入ってお食事を済ませて下さい!次のお仕事はそれからです。皆が集まるまでにその位の時間はありますわ」
ローライネの気迫とそれに同意するフェイレスに促され、さらにローライネに引き摺られて執務室に戻るミュラー。
ローライネは執務室に入るなりミュラーの胸に飛び込んだ。
「おいローラ、汚れるぞ!」
「構いませんわ!私は全く気にしません。汚れたら着替えればいいだけですの」
「しかし・・・」
「これは罰ですわ!私はミュラー様を信じていますし、心配もしていません。でも、とっても寂しかったのですわよ」
如何に朴念仁のミュラーでもこれがローライネの強がりであり、ミュラーのことを思い、心配していたことは分かる。
「ローラ、すまなかったな」
「ミュラー様はちゃんと帰ってきてくださったのですから謝罪なんて不要ですわ」
「そうか。・・・ならば、ただいま、ローラ」
「はい、お帰りなさいませ。ミュラー様」
その後、自室の浴室で汚れを落とし、髭を剃ったミュラーはローライネが用意した軍制服に着替えた。
執務室に戻ってみれば、ローライネが食事の用意を整えている。
この手際の良さをみればミュラー帰還の知らせを受けたローライネが色々と手配してくれたのだろう。
「ミュラー様、ちょっとお伺いしますが、行方不明になってから今まで何を食べていましたの?」
「携帯食はラルクの側近の魔術師に与えたからな。私とラルクは野草や木の実、蛇等の小動物だな」
「やはりそうでしたか。だとすれば胃に負担が掛かっていますわね」
そう言ってローライネが差し出したのは野菜のスープと牛乳で米を煮込んだ粥だった。
「お腹は減っているでしょうが、ひとまず消化の良いものを召し上がってください。本当は私が調理したかったのですが、ミュラー様のお腹のことを考えてエマに用意してもらいました。ラルク様にも同じものを届けさせましたわ」
目の前に並べられたのは疲労が蓄積しているであろうミュラーの身体を第一に考え、消化の良い温かな食事だ。
(そろそろ私も腹を決める必要がありそうだな)
目の前で嬉しそうな表情のローライネを見てミュラーは1つの覚悟を決めた。