吉報
ミュラーとラルクの安否が分からない中、リュエルミラとエルフォードの者達は避難民のために不眠不休で必死に働いた。
避難民のために安心して休める場所を確保し、食料を、医療を提供する。
加えて急激に避難民がなだれ込んだことによる治安の悪化を防ぐ、とやるべきことは山積みだ。
陣頭指揮を執るのはそれぞれの領主代行のローライネとソフィア。
勿論2人だけでなく、フェイレスを始めとした家臣達による働きが大きいが、それでも領主代行の2人にのしかかる重圧は生半可なものではない。
ローライネは次々と発生する問題処理のため、ミュラーの執務室と現場を走り回り、ソフィアは避難所を駆け回る。
ローライネはミュラーの執務室のミュラーの執務机で事務処理に当たっていた。
「ふう・・・。少しずつですが、処理が追いついてきましたかしら」
机の上に積まれた書類の束を見てローライネがため息をつく。
「そうですね。避難民の流入が減ってきましたから、一時的には落ち着いてきましたね」
ローライネの倍以上の書類を捌きながらフェイレスが答える。
因みに、バークリーもフェイレスと同等の事務仕事を引き受け、膨大な書類を自分の事務室に持ち込んで処理に当たっており、もう5日も事務室から出てこず、処理済みの書類の受け取りや新たな書類や食事を届けるステア以外にその姿を見ていない。
「バークリーの奴、お風呂にも入らないから事務室がおっさん臭いったらないわ!今日こそ無理にでもお風呂に入らせないと!もしも拒否したら頭からバケツの水をぶっかけてやるわ!それに満足に寝ていないみたいだから、頭を殴りつけて気絶させても眠らせようかしら」
と同僚に愚痴りながらも嫌な顔をせず、他のメイドに任せることもなく食事やお茶を届けている。
一方のローライネも既に2日程満足に寝ていないが、それでも身だしなみは完璧だ。
「ローライネ様、疲労は蓄積していませんか?無理をせずに休んでください」
フェイレスが無表情ながらローライネを気遣うがローライネは笑顔で答える。
「心配ご無用ですわ。ミュラー様の部屋のお風呂をお借りして毎日入っていますし、ドレスもちゃんと着替えています。どんな時でも淑女の嗜みは忘れません。それに、この非常時です、ミュラー様のベッドをお借りして仮眠を取っていますの。おかげさまで1刻や2刻程の仮眠でもスッキリ目覚められますわ。むしろ元気が湧いて目が冴えて眠れない程よ」
椅子に座ったまま胸を張るローライネ。
(それは主様のベッドで興奮して眠れないだけだと思う・・・)
心の中で呟くフェイレスだが、間違えても口には出さない。
かく言うフェイレスは、完璧なる自己管理で常に自分の心身状態を適切に保つために適度に、最小限の休息を取っている。
そんなローライネ達に急報が届けられたのは午後のお茶休憩を取っていた時だった。
執務室に駆け込んできたのはゲオルド。
「お嬢様、いえローライネ様!ミュラー様が戻られました!」
「えっ?」
ゲオルドの報告を聞いたローライネは一時的に思考停止し、口に運びかけたお茶のカップを持つ手が止まり、そのままカップを傾けたため、こぼれたお茶がローライネのドレスにたらたらと吸い込まれる。
幸いにして冷茶だったので火傷を免れたローライネはカップを取り落として立ち上がった。
「ミュラー様が?何時?何処に?もうお着きですの?」
取り乱すローライネ。
フェイレスも表情を変えないが咄嗟に立ち上がってゲオルドの報告を聞く。
「落ち着いてください。まだ到着されておりません。エルフォードとの境界の警戒に出ていた部隊からの報告です。エルフォードのラルク殿もご一緒です。マデリア殿がお迎えに走りました」
「本当にミュラー様ですのね?間違えていたらただでは済みませんのよ?」
「間違いありません!夕刻にはご帰還されます」
「分かりました。直ぐにソフィアさんにも知らせてあげなさい。それから、お出迎えの準備です」
ローライネは背後に控えていたメイドのアンとメイに振り返った。
「身だしなみは大丈夫かしら?このドレスで失礼はありません?」
ローライネに問われた2人はため息をつく。
「先程までは何も問題ありませんでしたが」
「今は問題ありです。ドレスが汚れています」
2人に指差されて視線を落としたローライネは仰天した。
ドレスにお茶の染みが広がっている。
「いっ、いつの間に!直ぐに着替えます、替えのドレスをお持ちなさい!」
そう言ってドレスを脱ぎ始めるローライネ。
淑女の嗜みはどこへやら、突然目の前で服を脱ぎ始めたローライネにゲオルドは回れ右をして背を向ける。
「お嬢様!はしたないですぞ!」
嗜めるゲオルドの声を意を介さないローライネはそのまま下着姿になった。
「そんなこと気にしている暇はありませんわ!ドレスを着替えて、髪をとかして、最高の状態でミュラー様をお迎えしなければなりませんの!」
ゲオルドは諦めて執務室を出て行く。
そんなやり取りを呆れながら見ていたフェイレスだが、自分の机の引き出しに忍ばせてある手鏡で自らの身だしなみを確認することは怠らなかった。