サバイバル
森の奥に分け入ったミュラーを待っていたのはヘドロの汚染に加えて凄惨な状況だった。
森に住む魔物とエルフォード領兵による戦闘の跡、魔物や領兵の死体が森の更に奥に向かって点々と続く。
「戦闘の跡が奥に向かって一直線ということは、戦いながら追い込まれていったのだろうな。だとすると、何か、何者かを守っていたか・・・」
周囲を見渡せば所々で木々が焼け焦げ、ヘドロスライムが焼かれた痕跡と共に独特の匂いを放っている。
「魔術師がいたとなれば、それなりの立場の者。となれば、まだ無事でいるか・・・」
ミュラーは戦いの跡を追った。
エルフォード領兵等の戦いの痕跡を辿ること四半刻、ミュラーは周囲の雰囲気が変わったことに気付く。
そこまで続いていた痕跡がパッタリと途切れており、そこから少し進んだ草むらに何かを引きずり込んだ跡がある。
倒れた草を戻す等の基本的な偽装も施されていないところを見ると余程追い詰められていたか、その知識すら無いのかだ。
走竜やジャック・オー・ランタンも草むらの奥を警戒している。
ミュラーは走竜達をその場に待機させて静かに草むらに近付き、耳を澄ませて奥の気配を探った。
そう深くない位置に息を殺して潜んでいる何者かがいる。
潜んでいるのは1人か2人程度。
潜伏に慣れない者が緊張状態に押し潰されそうなのか、無理に息を潜めようとして逆に呼吸が乱れているのが分かる。
(ここまでに魔術師の姿は無かった。だとすれば、いきなり接触するのはマズいな。思わぬ反撃を食らう)
ミュラーは草むらから僅かに離れる。
「リュエルミラ領兵だ!誰かいるのか!」
敢えて声を上げて相手の出方を待つ。
返答は直ぐに返ってきた。
「・・・助けて下さい。けが人がいます」
草むらの中から聞き覚えのある声、ラルク・エルフォードだ。
「その声はラルクだな?リュエルミラのミュラーだ。今からそっちに行くぞ」
ミュラーが草むらに分け入ると、直ぐに隠れていたラルクを見つけた。
潜んでいたのは2人、軽胸甲を身に着けたラルクと濃紺のローブを着た魔術師と思われる若い女性。
しかし、その魔術師は目隠しに猿ぐつわを噛まされ、身体を縛り上げられている。
「・・・何をしている?」
唖然とするミュラーに慌てるラルク。
「こっ、これは違います!セレーナ、彼女は当家に仕える魔術師で、僕を守ってくれたんです!」
「ならば、何故拘束しているんだ?」
ミュラーの問いにラルクは更に慌てる。
「違うんです。これはセレーナが自害するのを防ぐためです」
「とにかく落ち着け。ただごとではない事情があったことは分かる」
諭されて落ち着きを取り戻したラルクはこれまでの事情を説明した。
エルフォード領内に混沌が出現したとの知らせを受け、その調査と対処に当たったラルク率いるエルフォード領兵達。
樹海近くで混沌、所謂古代スライムを捕捉したラルク達は攻撃を試みたのだが、セレーナの炎撃魔法に反応した古代スライムの分裂体を浴びせ掛けられ、大損害を受けたエルフォード領兵隊は散り散りになりながらラルクと一部の兵は樹海へと追い込まれた。
樹海に逃げ込んだラルク達は森に住む魔物と鉢合わせとなり、戦闘状態に陥ったのだが、その戦いの中で森の中にいたヘドロスライムからも損害を受け、エルフォード領兵隊はラルクとセレーナを残して全滅してしまう。
そして、最後までラルクを守っていたセレーナもヘドロスライムのヘドロの飛沫を両目に受け、毒に犯されるのを防ぐために咄嗟に自らの両目を焼いてまでラルクを守っていたのだが、やがて魔力切れになったセレーナはラルクの足手まといにならないために自害しようとしたらしい。
それを止めるべく、セレーナを縛り上げ、舌を噛まないように猿ぐつわを噛ませたというわけだ。
ラルクの説明を聞いたミュラーは草むらに横たわるセレーナに近づいた。
「私はリュエルミラ領主であり、ラルクの友人のミュラーだ。傷を見せて貰うぞ」
セレーナに声を掛けるが反応が鈍い。
どうやら発熱して衰弱しているようだ。
目隠しではなく、焼いた両目を覆っていた布を外すと、確かに両目に火傷を負っており、完全に失明している上、火傷の処置が適切でないため傷が化膿しかけている。
発熱しているのはそのせいだ。
「ラルク、水はあるか?」
ミュラーの問いにラルクは首を振った。
「すみません・・・」
ミュラーとて余裕があるわけではないが、セレーナへの処置が遅れると手遅れになる。
ミュラーは走竜とジャック・オー・ランタンを呼び寄せ、走竜の背に積んでいた鞄から薬と水袋を取り出した。
「今から傷口を洗って消毒する。猿ぐつわ外すが、貴女にはまだ役目がある。馬鹿な考えは起こすなよ!」
混濁しているセレーナに言い聞かせると水で傷口を洗い、傷薬を染み込ませた清潔な布を巻き直す。
更に猿ぐつわを外して回復薬と水を飲ませた。
「後は安静にして熱が下がって体力が回復すれば大丈夫だが、数日掛かるかもしれん。残りの飲み水と食料は僅かだが、これは彼女のために残しておく必要がある」
ミュラーの説明を真剣な表情で聞くラルク。
「大丈夫です。セレーナを助けるためなら僕は水や食べ物なんかいりません。何でも我慢します!」
覚悟を決めるラルクだが、水もいらないと言ってもそれでは生き残れない。
必要なのは別の覚悟だ。
「違うぞラルク。生き残るためには水や食料は必要だ。彼女が回復するまでの間、泥水を啜る覚悟はあるか?」
ミュラーの問いにラルクは逆に瞳を輝かせる。
「はいっ!ミュラーさんを見習って、泥水でも何でも啜って生き延びてみせます!」
どうやら「皇帝に泥水を啜らせた」ミュラーに憧れる余り覚悟の方向性を見失っているようだ。
その後、セレーナを移動させることができるまで回復するのに5日間を要したが、その間、ミュラーが持っていた水と食料は全てセレーナのために消費し、ミュラーとラルクはヘドロスライムについての情報を集めながら文字通り泥水を啜り、蛇等の小動物を捕らえて飢えをしのぐサバイバルをやってのけた。
そして、生命の危機を脱したセレーナを走竜に乗せ、魔物の目を逃れながら慎重にリュエルミラに向かったのである。