エルフォードの地で
ミュラー率いるリュエルミラ領兵隊はエルフォード領内に進入し、北を目指す。
走竜に騎乗して総指揮を執るミュラーの周囲にはフェイレス、バークリー、マデリアがそれぞれ五角山羊や馬に騎乗して付き従っている。
普段と違うことといえば、護衛メイドのマデリアの服装だ。
そもそもミュラーに護衛は必要ないのだが、かつて暗殺者だったマデリアは今やミュラー専属の護衛メイドとして完全に定着し、ミュラーが外に出る時には大概の場合護衛についてくる。
しかし、毎回のようにエプロンドレス、所謂メイド服でついてくるのだが、それを気にしたミュラーの
「戦場にまでメイド服でついてこられたら私が馬鹿だと思われる」
との要望により、マデリア専用の戦闘服が仕立てられたのだ。
スカートの下に投げナイフを隠匿することについてマデリアが譲らなかったので、エプロンドレスからエプロンを外したようなデザインだが、丈夫な生地で、ポケット等も多く、左右の腰には大きめのポーチが付いている。
ポーチやポケットに何が入っているのかはミュラーも分からないし、恐くて聞けない。
同じ護衛メイドのステアは主に館や領都内での護衛であり、基本的に徒手格闘なので特別な装備はいらないそうだ。
そのような経緯で今回の遠征からマデリアの服装が違う。
そして、もう一つ違うのが、ミュラー達の背後からついてくる2台の馬車だ。
それぞれに武装したドワーフが5人ずつ乗車しているのだが、その馬車の外観も異様で、出発までの僅かな間にドワーフ達があり合わせの素材を取り付けて装甲馬車にしてしまったのだ。
ミュラーの本隊の左翼側にはアーネスト隊、右翼側にはゲオルド隊がそれぞれ50メートル程の距離を保ちながら進んでいる。
途中で何組かの避難民とすれ違ったものの、特に異変が認められないまま領都に到着したが、そこにラルクの姿は無かった。
エルフォードの領都はリュエルミラのそれよりも遥かに小規模な都市で、住民の大半はまだ避難していないものの、避難の準備をしている者が多い。
聞けば、ラルクは領兵と冒険者達を率いて北に向かったが、出発の際に「3日経っても誰も戻らなければ領都を放棄して避難するように」と言い残しており、今日がその3日目だということだ。
そして、ラルクが出発した翌日に帝都から帝国軍の部隊が来てラルクを追ったのだが、その部隊までもが戻らないらしい。
「混沌とやらがどんな存在かは分からないが、想像以上にヤバいことになっているようだな」
「はい。例え全員避難の決断を下すにしても、混乱を最小限に留めるため、1、2人の伝令を走らせて情報を届ける筈です。3日という期限は最悪の事態を想定したものでしょう」
ミュラーとフェイレスの言葉を聞いてバークリーが嫌らしく笑う。
「つまり、その最悪の事態が進行中というわけですか」
立たされた状況と表情が相反することはミュラーもそうだであり、ミュラーとフェイレスがそうであるようにミュラーとバークリーも似た者主従なのだが、バークリーのそれは些か度を過ぎている。
とはいえ、ことは急を要し、そんなことを気にしている暇はない。
ミュラー達は避難の準備を進める住民達にリュエルミラに向かうように指示をして、直ちに北に向かうことにした。
ここからは何が起きるか分からない。
状況によっては一目散に撤退することもあり得るため、機動力のあるアーネスト隊を先頭に、ミュラー本隊、ゲオルド隊と間隔を取りつつ縦列になって進む。
そして、エルフォード領都を出発して2刻程、広い草原に展開する帝国軍に遭遇した。
掲げている連隊旗は第2軍団第3連隊のもので、剣が盾を打ち壊すデザインの大隊旗はかつてミュラーが率いていた第2剣士大隊のものだ。
となれば、大隊を率いているのはミュラーのかつての部下、マクシミリアン。
「ミュラー殿、お久しぶりです!ミュラー殿もエルフォードの支援ですか?」
リュエルミラ領兵隊に気付き、ミュラーの姿を認めたマクシミリアンが駆け寄ってきた。
「久しぶりだな、マクシミリアン。まあ、リュエルミラとエルフォードは隣接しているからな。混沌とやらの調査も含めて支援に来た」
マクシミリアンの挨拶にミュラーも応えるが、どうにも様子がおかしい。
展開しているマクシミリアンの大隊が2個中隊にも満たず、異様に少ない上、展開している兵達に負傷している者はいなそうだが、疲労に満ち、悲壮感すら漂っているのだ。
「マクシミリアン、これは一体どうした?まさか、半数近い損害を出しているのか?」
ミュラーの問いにマクシミリアンは頷く。
「はい、我々もエルフォードからの要請を受けて本国から派遣されて来たのですが、到着してみれば領主代行のラルク・エルフォードは行方不明。そこで我々はラルク殿の捜索と混沌の調査、討伐のためにこの場を基点に北と北西、北東の三方向に中隊を向かわせました。北西、北東は混沌との遭遇もなく戻ったのですが、北に向かった中隊は誰1人として戻りませんでした。更に2個小隊を北に向かわせたのですが・・・」
「誰も戻らず、消息不明か」
「はい。我が隊の他に本国から派遣された複数の冒険者が北に向かいましたがやはり誰も戻りません。北に向かった部隊の安否不明とはいえ、これ以上の戦力投入は危険であると判断しました。そもそも大隊の半数以上を失ってはこれ以上の作戦行動は不可能です。とはいえ、何が起きているのか全く分からない状態で撤収するのも憚れるところで、様子を見ていたところです。あと1刻程しても状況が変わらなければ領都を含めた住民の避難支援に作戦を転換しようと考えていました」
指揮官によってその判断は様々だが、大隊の半数以上を失っては作戦行動の継続は不可能だと判断するべきであり、現状におけるマクシミリアンの判断は正解ではないかもしれないが、間違えてもいない。
「となると、本命は北か」
「はい」
前大隊長のミュラーは第2剣士大隊の実力をよく知っている。
例え中隊、小隊単位とはいえそう易々と全滅する筈がない。
北にはそれだけ危険な存在が待ち受けている、それどころか、今まさにこちらに向かって近づいて来ている可能性すらあるのだ。
(これは相当な覚悟が必要だな・・・)
しかしながら、今のところミュラーにこのまま撤退するという選択肢はない。
前進するにしても先遣隊を出すか、全部隊で進むかを思案していたその時、北方を警戒していたアーネストが叫んだ。
「北方から複数の魔物の接近を確認!・・・トロルが2、オークが複数・・・それぞれが何かを抱えている!・・・人だっ!人を抱えているぞ!」
アーネスト隊が即座に陣形を組み、臨戦態勢を整える。
しかし、魔物達の様子を目を凝らして見ていたマクシミリアンが声を上げた。
「大丈夫だ。あれは敵ではない!魔物使いの冒険者だ!」
言われてみれば、魔物達は人を抱き抱えているが、そう乱暴に扱ってはいない。
そして、2体いるトロルの一方の肩には1人の少女が乗っており、魔物達を指揮しているように見える。
「あの娘が魔物使いか?」
ミュラーの問いにマクシミリアンが頷く。
「はい、北に向かった冒険者の中にパーティーを組まず、1人だけ、というか魔物達を引き連れて行動していた魔物使いの少女がいました」
そういうことであれば近づいてくる魔物達は敵ではないし、抱えているのも北に向かった者の生き残りの可能性が高い。
「アーネスト、あれは敵ではない!警戒を維持しつつ、敵対行動は取るな!」
ミュラーはアーネストに指示を出す。
やがて、双方の距離が近づくとトロルの肩に乗る少女が叫んでいるのが分かる。
「すみません!この子達は敵ではありません!攻撃しないでください!」
アーネスト隊が陣形を開くと魔物達が駆け込んできた。
抱えているのは冒険者や帝国兵、見慣れない制服はエルフォード領兵だろう。
他に逃げ遅れたと思われる女子供達もいる。
トロルの肩から飛び降りた少女はこの場にいる連中の中で1番偉そうなミュラーに駆け寄ってきた。
瞬時に群れのボスを見抜くのは魔物使いならではの能力だろうか。
「貴方が隊長さんですか?私はスクローブ領の冒険者ギルドに所属する冒険者で魔物使いのプリシラです。帝都のギルド本部からの要請で来ました」
プリシラと名乗った冒険者は中級下位の等級を示す青色の認識票を示した。