エルフォードからの要請
「混沌が出現した?どういうことだ?」
「混沌」と「出現」という2つの言葉が繋がらず、耳から入った情報が整理できないミュラー。
「私も、ラルクもよく分からないのですが、混沌とは人が抗うことができない厄災だと・・・」
エルフォードでも領内で発生している事態が正しく把握できていない中でエルフォードに仕える魔導師が混沌の出現を危惧したということだ。
しかし、当の魔導師ですら混沌は人が抗えない厄災だとしか知らず、エルフォードでは正体の分からない存在に対処する上で最悪の事態まで考慮して領民の避難について隣接するリュエルミラに受け入れを要請してきた。
「しかし、混沌というのは魔物の類なのか?それとも、人が抗えないということは魔王や神に近い存在か?」
首を傾げるミュラーにフェイレスが口を開いた。
「混沌・・・それは何物でもない存在であり、全てを無に帰する厄災。数百年単位で世界の何処かに現れ、その地に無を振り撒きます。グランデリカ帝国の建国以前からこの地方での出現記録はありませんので、混沌を知る者も少ないのです」
「フェイは混沌のことを知っているのか?」
フェイレスは頷く。
「私自身古い書物で読んだ程度ですが、最後に出現したのは3百年程前、ゴルモア公国の更に北にある今は亡き小国です。その際には被害が少なく町1つが犠牲になっただけで済みましたが、それ以前には国ごと滅ぼされた記録もあります」
フェイレスの説明を聞いてミュラーは考える。
「グランデリカでは知る者が少なくとも、混沌の存在が知られているということは、その厄災を生き延びた者が存在するということだ。ならば対処のしようもあるのではないか?」
ミュラーの言葉にフェイレスは首を振る。
「半分正解、半分は不正解です。確かに、混沌の厄災を生き延びた者は存在しますが、混沌を退けたという記録はありません。混沌が現れると人々は為す術なく蹂躙されるだけです」
「ならば、一度出現した混沌はどうなる?為す術ないというならば国を滅ぼすどころの被害ではないだろう?それこそ世界の存続の危機だ」
ミュラーの素朴な疑問にフェイレスは頷く。
「人が抗えない混沌ですが、出現しても数ヶ月から数年経つと自然に消滅するのです。ですから被害の規模もまちまちなのです」
「・・・混沌とはどのような姿をしている?」
「それについても記録は曖昧です。『山のような姿』『闇の化身』等と表現は様々ですが曖昧な表現です。これは記録した者がその恐怖のあまり正しく記憶出来なかったという理由もあるのでしょう。ただ、共通するのは混沌が去った後には土も、木も、そこにいた生物も、全てが腐り果てた大地が残されるということです。今でも世界中の各所に混沌の爪跡として呪われた大地が存在します」
ミュラーは更に考え込む。
隣接するエルフォード領内に混沌なるただならぬ存在が出現した。
エルフォード子爵の嫡男であり、病に伏している父親の代行としてラルクはエルフォード子爵家ではなく領民を守る為の決断をしたのだろう。
その上で姉のソフィアをリュエルミラに派遣して避難民の受け入れを要請し、自分自身は少ない領兵を指揮して領民が避難する時間を稼ぎをするつもりだ。
それが1刻、いや1秒に満たない時間稼ぎでも、領民が1人でも、1歩でも遠くに逃げるための盾になる覚悟なのだろう。
ミュラーは笑みを浮かべた。
「フッ・・まだ未熟で、夢見がちで、空気の読めない少年だと思っていたが、私などよりも余程優れた領主ぶりではないか。それでこそ私の友人というものだ。なあ、ソフィア殿」
園遊会で戯れに結んだ友情を突然持ち出されてキョトンとするソフィアだが、直ぐに表情を引き締めながらも笑顔を見せる。
「ラルクへの過分なる評価をいただいて恐縮です。ラルクの友人ということで甘えさせていただけるならば、私のことはソフィアとお呼びください」
ミュラーは頷いた。
「ラルク・エルフォードの要請を受諾する。エルフォード領からの避難民は全て我がリュエルミラが受け入れる。但し、条件が2つある」
笑顔を消したソフィアはミュラーの目を見る。
「伺います」
「1つは、ソフィアはこのままリュエルミラに留まり、避難民受け入れの手配等を手伝ってもらう。避難民もソフィアの姿を見れば安心するだろうからな」
「かしこまりました」
「もう1つは、我がリュエルミラ領兵部隊が越境してエルフォード領内に展開して活動することを認めてもらいたい」
ミュラーの2つ目の要求はリュエルミラ領兵がエルフォード領内に出動して軍事的な活動をするということ。
他家の兵が領内で自由に行動するということは侵略に等しい行為だが、ミュラーの思惑は違う。
即ち、リュエルミラがエルフォードに軍事的な支援を行うという意味だ。
「えっ?それは・・・いけません!それは危険すぎます。領民の受け入れだけでも多大なるご迷惑を・・」
思わず声を上げたソフィアだが、ミュラーはその言葉を遮った。
「確かに軍事支援のための出動だが、私の目的はそれだけではない」
「?」
「混沌に対する調査だ。そのようなわけの分からない存在が隣接する土地に現れた。混沌とやらに目的や意志があるのかどうかも分からないが、このリュエルミラにも危機が及ぶ可能性がある。それに対処するために出来る限りの情報を集めておきたいのだ」
「・・・」
「つまり、今回の領兵の派遣は私にも利があるものだ。それに、ラルクは立派な領主代行でも用兵に関しては未熟過ぎる。ラルクが無茶をする前に力づくでも引き止める必要があるだろう?」
領主代行の名代として凛とした態度を維持していたソフィアだが、ミュラーの言葉に耐えられず、瞳から大粒の涙が溢れた。
「あ・・ありがとうございます。おと・・弟を助けてください・・・」
泣き崩れるソフィアにそっと寄り添ったのはミュラーの横に控えていたローライネだ。
「大丈夫ですのよ。ミュラー様がラルク様を救い、エルフォードを守り、全てを打開してくださいますわ。ねぇ?ミュラー様」
勝手に作戦の難易度を上げるローライネだが、自分を信じるローライネに対してミュラーは頷いた。
「直ちに行動に移る。領兵全部隊を召集。派遣部隊を編成し、準備出来次第エルフォードに向かう!」
ミュラーはフェイレスに命を下した。