災いの知らせ
リュエルミラに数ヶ月間の平穏な日々が流れていた。
ロトリアからの賠償金やランバルト商会との取引で得た利益を投入して推進している農地開拓や用水路の整備も順調に進んでいる。
加えてミュラーが着任以来取り組んできた減税対策の効果により領民の勤労意欲が高まり、結果として領民の生活が豊かになりながら、リュエルミラとしての税収が上がるという効果が表れていた。
また、ミュラーが頭を悩ませていた人材不足についても、リュエルミラが豊かになるにつれて移住者が増えつつあり、新たな移住者や失業者について領主のミュラーと行政所長のサミュエルが競い合うように職を斡旋しているため、人材不足も改善されつつある。
例えば、ミュラーの発案によりサミュエルが進めていた衛士隊の機動大隊は急ごしらえながらその編成を完了し、領内の治安維持の任に就いている。
一方、領兵についても、ゲオルドが任された部隊の編成を進め、小隊としてならば実働可能な状態になっており、更にオーウェン率いる第2中隊は2個中隊規模にまで増員され、暫定的に大隊として編成変えされていた。
足下ばかり見て活気の無かった領民達も生活が豊かになりつつあり、皆が顔を上げて明日を見るようになっている。
帝国本国への納税額も増え、ミュラーの領内運営が成果を上げつつあったのであるが、その順調で平穏な領内運営も長くは続かなかった。
その知らせは行政所長サミュエルによってもたらされた。
「エルフォード領内で何やら良からぬ事態が発生しているようです」
ミュラーの館を訪れたサミュエルは挨拶もそこそこに切り出した。
「どういうことだ?」
事務処理の手を止めたミュラーはサミュエルを見る。
「エルフォード領内で冒険者の動きが活発になっています。また、エルフォードには2個小隊程度の小規模な領兵隊がありますが、その領兵も戦闘態勢を整えています」
サミュエルの報告にあるエルフォード領兵の臨戦態勢の情報についてはミュラー自身も把握していた。
リュエルミラ領兵の中には公にしていない数名の情報収集隊員が存在し、秘密裏にリュエルミラ周辺の情報収集に勤しんでおり、その情報隊員からエルフォード領内の異変についての報告を受けていたのだ。
「しかし、エルフォード領兵の動きはエルフォード領内に向けられているようだ。どちらにせよ、エルフォードで何が起きているのかが分からないと対応のしようもないな」
「そうですね。今のところ冒険者と領兵の動きが見られるというだけで、帝都本国やリュエルミラを含めて近隣の領に対しては何の要請もありませんからね。領内で大規模な盗賊でも発生したか、厄介な魔物でも出現したのかもしれません」
ミュラーとサミュエルの会話を聞いていたフェイレスが口を開いた。
「主様、私が使役するスペクターをエルフォード領内の偵察に向かわせますか?」
確かに、死霊術師のフェイレスが使役する死霊で霊体であるスペクターならば情報収集にはうってつけだ。
しかし、ミュラーは首を降る。
「敵対関係でもないエルフォードを探るようなことは止めておこう。それに、如何にフェイの死霊術が強力で、アンデッドが優秀だとしても、今のエルフォード領内はピリピリとした冒険者が動き回っている。中にはフェイのアンデッドの存在に気付く奴もいるかもしれない。敵対の意志は無くとも向こうはそうは思わないだろう。余計な混乱を招くような行為はすべきではない」
「主様がそう仰るなら・・・」
結局、情報収集隊員やサミュエルの報告から総合的に判断したミュラーはエルフォード方面の警戒強化をするに留めたのだが、災いの知らせはミュラーの予想を上回る速度で届けられた。
エルフォード領主代行のラルク・エルフォードの姉であるソフィア・エルフォードが領主代行であるラルフの名代としてリュエルミラを訪れ、ミュラーに面会を求めてきたのだ。
「ソフィア殿は護衛も無しに数名の従者のみで来たのか?」
来訪の情報を察知し、ソフィアを館まで案内してきたサミュエルにミュラーは確認した。
「はい、エルフォード家の執事が1名、この者は多少は心得があるようですが、他には2名の女中のみです。代行とはいえ、実質的な領主の姉にすら護衛の手を割けないとは、エルフォードで進行している事態は我々が思った以上に深刻なのでしょう」
「それでもここに来たということは、何らかの支援なりを求めてのことだろうな」
ミュラーの言葉にフェイレスも無言で頷く。
「兎に角、会って話を聞かなければ何も始まらない。ソフィア殿を連れ来てくれ」
執務室にソフィアが案内されてきた。
ミュラーの前に立ち深く頭を下げるソフィア。
「ミュラー様、突然の来訪のご無礼について心よりお詫び申し上げ・・・」
「余分な挨拶や謝罪は不要だ。ことは急を要するのだろう?」
無礼を詫びるソフィアの言葉を遮り、単刀直入に本題に入るミュラー。
ソフィアも頷いて来訪の用件を話し始めた。
「我がエルフォードはかつて無い程の危機に直面しています。つきましてはリュエルミラ領主のミュラー様にお願いがあって参りました」
「エルフォード領内でただならぬ事態が発生していることは承知している。場合によっては領兵を派遣することも吝かではない。詳しく聞かせてくれ」
ソフィアは首を降った。
「我々が求めるのは兵力の支援ではありません。我が領からの避難民をリュエルミラで受け入れていただきたいのです。避難民の規模は、数百名から、場合によっては2千人程になります」
ソフィアが求めたのはミュラーにとっては予想外の要求。
2千人とはエルフォード領内の住民の大半だ。
軍事的な応援要請でなく、領民の大半にのぼる避難民の受け入れとは、エルフォードが勝ち目の無い危機に曝されているということに等しい。
「避難民の受け入れは了解した。しかし、援軍が必要無いとはどういうことだ?我がリュエルミラ領兵なら戦力の足し位はなるぞ?」
「いえ、援軍は必要ありません。我がエルフォードが直面している危機は人が抗えるものではない厄災です」
「・・・詳しく聞かせてもらえるか?」
ミュラーに促されたソフィアは目を逸らすように視線を落とした。
そして、暫しの沈黙の後、ソフィアは意を決したように顔を上げ、真正面からミュラーの目を見た。
「混沌が出現しました」