リュエルミラ会談4
リュエルミラ会談初日、その後の話し合いは滞りなく進行し、無事に終わった。
とはいえ、初回の会談は双方の立場と主張を述べるだけで終わるはずが、エリザベートの策に嵌まりロトリア側の出席者をミュラーが泣かせるという事態が発生したが、それは明日の会談をよりスムーズに進めるための布石にはなったようだ。
会談後、ミュラーはフェイレス等と共に執務室に戻った。
「やられたな。まんまと相手の術中に嵌まった」
マデリアが用意したお茶を飲みながら苦笑いするミュラー。
「しかし、特に問題はありません。ロトリアのエリザベート様は主様の人となりを少なからず理解した上であの騎士の高慢な態度を諫めてもらうつもりだったのでしょう」
澄まし顔でお茶を飲むフェイレス。
「まあ、ロトリアはミュラー様のことをしっかりと調査してミュラー様を手玉に取った、というところですね。クククッ・・・」
「それにしても、自分の配下の者の教育は自分でやってもらいたいものだ。まあ、私としても彼女の人となりの一端は把握出来たから明日の会談は問題なさそうだ。尤も、私の興味は会談の成否ではないがな」
雇い主を馬鹿にしたように嫌らしく笑うバークリーの言葉を聞き流してミュラーは肩を竦めた。
一方、貴賓室に戻ったエリザベート達は提供された夕食を取っていた。
会談の成果も出ていないので今のところ食事会等の予定は無く食事の席は別々に設けられている。
彼女等の前には料理人エマによって用意された食事が並べられているが、それは決して豪奢でなく、下級貴族が食するような、どちらかと言えば質素な食事であるものの、料理の味と質は折り紙つきだ。
ステアと共に給士として料理を運んできたローライネの説明によればエリザベート達と同じ料理が護衛の兵等にも振る舞われているらしい。
そんな説明をしたローライネ達は食事を並べ終えると退室して貴賓室の外に待機している。
明日の会談に備えるエリザベート達の邪魔をしないという配慮だ。
「ホント、素晴らしい食事だわ。接遇のランクで言えば中の中程度。私達をそれほど重要視していない、とアピールしながらも料理人は一切手を抜いていない。明日の結論次第では明日の夕食はもっと期待できるかしら」
鳥肉のソテーを味わいながら上機嫌のエリザベートと、それに対して料理にも手を着けずに俯いているシェリル。
自信満々で会談に挑んだ挙げ句、ミュラーに言い負かされたことが相当堪えたようだ。
「・・・私は、エリザベート様を守りたいと、ずっとそれだけを考えていました。でも、私は却ってエリザベート様にご迷惑を・・・」
エリザベートは落ち込むシェリルに対して相変わらずニコニコとした表情を向ける。
「大丈夫よシェリル。今日の会談の流れは私の予定通りでしたし、ミュラー様も私の思いを汲んで乗ってくれたに過ぎません」
「?」
「シェリル、貴女は騎士としてはとても優秀で信頼している大切な臣下よ。だからこそ、私は貴女に意地悪をしたの。貴女はとても誇り高い。でもね、その誇り高さが時として貴女の足下をすくうことがあります。だからこそ、今回の会談で貴女に外交の難しさの一端でも学んで貰いたかったのよ」
タネ明かしをするエリザベートにマヤが苦笑いをする。
「本来、このような会談の補佐は私の役目なのですが、今回は特にエリザベート様の希望もあってその役目をシェリルさまに譲ったのです」
「えっ?」
突然のカミングアウトに唖然とするシェリル。
「外交交渉において相手よりも優位に立つことは大切なことだけど、もっと大切なことは相手の意見をしっかりと聞き、時には押し、時には引き、お互いの妥協点を見つけること。時として自分の満足のいかない結果になろうとも、次の交渉の窓口を確保できればその交渉は成功と言ってもいいのよ。外交交渉の失敗というのは、互いの妥協点を見いだせず、次の交渉の機会すらも失ってしまうことよ。今日のシェリルの対応はそれを招きかねないものだったのよ」
エリザベートは優しく嗜めるが、シェリルは背筋が寒くなった。
それもそうである、シェリルの経験のためとはいえ、本物の外交の席で一歩間違えば戦争状態に陥っていたのだ。
「エリザベート様、私のためとはいえ取り返しのつかないことになる危険があったのではありませんか!」
「それは大丈夫。私はミュラー様がリュエルミラに着任してからその人となりについての情報を集めていました。前領主の様に金と欲にまみれた者なのか、それとも違うのか。ミュラー様は勇猛で堅物な軍人でありながら、柔軟な思考を持つ方でもあり、今回の私の思惑を正しく理解して、わざわざ乗ってくれたのよ。シェリルにはちょっと厳しかったけど、明日の会談までにはすっかりと忘れていてくれるわ」
結局は自分の独り善がりだっただけだったことを知り、シェリルは自分自身が恥ずかしくなった。
「さっ、今は食事を楽しみましょう。こんな素敵な料理、残してしまったらそれこそ外交問題よ。それに、この貴賓室にはお風呂もあるのよ。食事の後にはゆっくりとお風呂を楽しみたいわ」
どこまでもマイペースなエリザベートにシェリルも冷静さを取り戻すことができた。
リュエルミラ会談2日目。
本日はミュラーとエリザベートが直接交渉に挑む。
最初にミュラーがリュエルミラの要求を述べる。
「今回のロトリアの侵攻について、その真偽はともかく、エリザベート殿が与り知らぬ一部の兵による暴走だという其方の主張は受け入れる」
「くっ!」
やや高圧的に出たミュラーに対してシェリルが気色ばむが、直ぐに冷静さを取り戻す。
「よって、エリザベート殿を始めとした責任者の罪と責任は問わないことにする」
エリザベート達の個人の責任を問うことはしないと明言するミュラー。
敗戦した側の責任者を処断しないというだけで破格の条件だ。
「寛大なお心に感謝申し上げます」
エリザベートが立ち上がって深々と頭を下げると、それに遅れてシェリルも同様に頭を下げた。
「リュエルミラ側は今回の紛争で17名の戦死者を出したが、それらの者に対する補償として、1人当たり50万レト、合計で850万レト。一方的な侵攻に対する賠償として300万レト。総額で1150万レトを要求する。加えて、こちらで預かっている捕虜22名の返還を望むならば1人当たり10万レト、220万レトを支払って貰う」
ミュラーが提示した賠償額も相場に比べればかなり安く見積もっている。
国家間の戦争ともなればこの100倍以上の金が動くものであり、今回の紛争についてリュエルミラはグランデリカ帝国とゴルモア公国の戦争だとの認識を示しているのであるから、リュエルミラとしては一方的に賠償を求めておきながら、かなり譲歩した条件提示だ。
それでも一地方領とすれば払えない額ではないが、相当に高額であることも間違いない。
エリザベートはミュラーの示した条件についてその真意を読む。
(これは私達にとって経済的な打撃を受けはするけど、かなり有利な条件。でも、見方を変えればこれ以上の譲歩を引き出す余地はない・・・。つまりは、この会談はロトリアがリュエルミラの要求を全て飲んだという結果になる)
エリザベートが看破したとおり、リュエルミラは必要最小限の賠償を手に入れ、かつ会談において全ての条件をロトリアに飲ませたとの成果を手に入れ、それでいてロトリア側も必要最小限の金銭賠償のみで解決できる。
(私には条件を飲む以外の選択肢はないし、私が思った通りミュラー様もこの会談をダラダラと長引かせるつもりはないようね。でも、一方的にやられっぱなしというのも面白くないわ)
エリザベートは心の中でほくそ笑むと、ミュラーに対して反撃の一手を繰り出した。
「リュエルミラ領主ミュラー様の寛大なお心に改めて感謝し、この度の紛争の不手際についてロトリア領主として深くお詫び申し上げます。私としてはリュエルミラ側の示した条件について何ら異議はありません。捕虜返還についても是非とも応じていただきたく存じます」
エリザベートの言葉にミュラーが僅かに安堵の表情を見せる。
(やはり、外交は初心者ですのね。甘いですわよ)
エリザベートはある意味で勝利を確信した。
「しかしながら、リュエルミラ側の提示額ではとてもではありませんが私共の罪を払拭できるとは思えません。・・・そうですね、今後の良好な関係を期待して、提示された賠償額の3倍の額を支払わせていただきます」
賠償を負うべきロトリア側からのまさかの賠償額の増額。
予想外の反撃にミュラーの表情が引きつった。