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行政所長サミュエル

 3人を放免することを決めたミュラー。

 アッシュに対しては押収していたサーベルを返還し、放免証明書と衛士隊への復職命令を持たせる。

 パットについては押収品も無いので教会のシスターに宛てた放免証明書と手土産のパン1袋を持たせて孤児院に帰らせた。

 残るマデリアはこのまま館に留まるので、押収品を返還するのみだ。


 ミュラーの前に並べられた押収品の数々。

 ナイフが2本、細いベルトに差した投げナイフが10本、素材は分からないが、恐ろしく丈夫で細い糸、多分目標の首を狩る暗殺用具だろう。


「もう必要無いだろうが、一応返還する」


 ミュラーに告げられたマデリアはそれらの品を受け取ると、ミュラーとクリフトンの前であるにも関わらずにスカートをまくり上げて右の太股に投げナイフを差したベルトを取り付け、エプロンの内側と左腕の袖の下にナイフを隠し、首狩り用の糸は腰のベルトの下に隠した。


「暗殺に使わなくても、今後は領主様をお守りするために必要なものです」


 無表情で話すマデリアの言葉をようやくありつけたお茶を飲みながら聞いているミュラー。

 

 その後の取り決めで2人の給金の額を決める。

 クリフトンは従来どおり月に4万レト。 

 一般的な高位の役人の給金の平均だ。

 マデリアは無給でいいと言い張ったが、そうもいかないのでとりあえず1万レト。

 他に館で生活するため、居室と3食付きだ。

 2人とも今後の働き次第で昇給は応相談である。


 ふと気付けば既に日が暮れている。

 ミュラーの執務室や館の各所には自ら光を発する光石が設置されているので日が暮れても屋敷内は照明に困ることはない。

  

「日が暮れたし、今日のところはここまでにしよう。クリフトン、遅くまですまなかったな。帰宅してもらっていいぞ」

「はっ?」

「えっ?」


 ミュラーの言葉にクリフトンが首を傾げ、それを見たミュラーが首を傾げる。


「帰宅、と申されましても、私はこの館にお部屋を戴いて住み込みで勤務していますので、居室に下がらせていただいてよろしいということでしょうか?」 

「えっ?住み込み?いや、しかし、妻と娘が、家族がいると話していなかったか?」

「はい、妻と娘は都市の中で部屋を借りて2人で暮らしています。妻は仕事をしていませんが、16になる娘は都市にある食堂で女給として働いています」


 ミュラーはこの日何度目かの頭を抱えた。


「住み込みでなく、通いでいいだろう!今までのことは知らんが、これからは通いでいいぞ」

「いえ、執事たるものこの舘を離れる訳にはいきません。今でも月に2回程お休みを頂戴して妻と娘に会っていますので問題はありません」


 どこまでも職務に忠実なクリフトンの話を聞いてミュラーはほとほと疲れ果てた。


「そのことについても明日だ。私は疲れた。マデリア、早速ですまないが、食事を頼む。それを食べたら私は休む」

「かしこまりました」


 着任早々に問題は山積みで、長旅の疲れもあるミュラーはとにかくベッドが恋しく、早めに休むことにしたのだが、その日の気苦労はまだ続くことになる。


 まず、マデリアに頼んだ食事だが、ミュラーとしては軽い食事、パンとスープに適当な副食があれば十分なのだが、マデリアは僅かな時間で一般的な貴族の晩餐を拵えてきた。

 豪華な食事に慣れていないミュラーはそこで難儀することになる。

 しかも、食事を終えて寝室に入ろうとすれば、当たり前のようにマデリアがついて来ようとする。


「主人が休むまでお側で控え、あらゆるご用命にお応えしなければなりません」


 マデリアはそう言うが、寝室でマデリアにご用命とやらを求めるつもりはない。

 丁重に、それでいて必死に説得してマデリアを自室に下がらせる。

 そして極めつけが豪華なベッドだ。

 4、5人は纏めて寝られるのではないかという大きさの柔らかなベッドは逆に腰が痛くなりそうで、庶民的なミュラーはろくに寝付くことができなかったのだった。


 新領主の2日目の朝がきた。

 軍隊生活で身体にしみ込んだ規則正しさの影響で、眠れた、眠れないに関わらず、ほぼ同じ刻限に目が覚めるミュラー。

 この日も夜明けと共に目を覚ましたミュラーが寝室を出て執務室に入ったところ


「「おはようございます」」


身なりを完全に整えたクリフトンとマデリアが待っていた。

 2人共にミュラー以上に規則正しく隙が無い。

 用意されていた朝食を取ったミュラーは早速リュエルミラの現状について把握することにした。

 隙がなく、仕事が出来るクリフトンだが、彼はあくまでも執事であり、館の管理と主である領主に仕えることが仕事であり、領政に関しては余程のことがない限り口出しをするつもりがないようだ。

 そうなると、領内の行政を司る行政所長と話をする必要がある。


 行政所とは、地方における行政、税務、司法の事務を管理する国の出先機関だ。

 勤務する職員はその地方で採用された職員が殆どで、稀に帝都の役所から出向してくる者もいる。

 国の出先機関とはいえ、領内の自治権は領主にあるので、行政所の長である行政所長は領主の裁量により任命され、領主の意向に沿って行政運営をすることになるのだ。

 そのため、今回のリュエルミラのように圧政の手先になることもあるが、その責任は全て領主が負うことになる。

 領主とは多大なる権限を有すると共にそれと同等の責任もあるのだ。

 そんなわけで、行政所長という役職は領主が絶対なる信頼を寄せる者に就かせることが殆どであり、その領内に善政を布くか、悪政となるかは領主と行政所長次第だ。

 現在のリュエルミラ行政所は着任したばかりのミュラーが新しい所長を任命していないため、暫定的に前所長がその任を継続している。


 ミュラーは身支度を整えて外出の準備をした。

 今日は軍服でも、戦闘や日常活動時に着る略服でなく、制服を着用する。

 ミュラーの軍籍は残っているので軍服を着用しても何ら問題はないが、軍服というのは非常に便利なのだ。

 日常生活には動きやすい略服があるし、制服ならば大抵の公式の場でも正装として認められ、貴族のようにピラピラと着飾る必要もない。

 そして、制服にモール等の装飾品を装着すれば、礼服になり、皇帝の前に出ても不敬にならないのだ。

 今から行政所に赴いて現所長に面会するつもりなので、制服を着る。


「ミュラー様自ら足を運ばずとも、所長を呼びつければよろしいのではありませんか?」


 クリフトンが進言するが、ミュラーとしては抜き打ちで行政所に行ってその状況を確認したい思惑があるのだ。


「予告なしに行って、現所長に直接会って話をするつもりだ。因みに現所長はどんな人物だ?」


 ミュラーの言葉にクリフトンは表情を変えずに答えた。


「優秀な男で、切れ者です。そして、前領主のお気に入りだけあって、狡猾で蝙蝠のような男です」

「それは一筋縄ではいかないな」


 ミュラーは笑いながら制帽を被り腰に剣を差した。


 館を出たミュラーはまだ人々も出歩いていない早朝のリュエルミラを散歩がてらに歩く。

 ミュラーの後にはマデリアが付き従っている。


「私1人で行くから随行は必要ない」


と1人で行政所に向かおうとしたミュラーだが、クリフトンとマデリアに


「領主ともあろうお方が公式の用務で従者もなしに出歩くのは体裁が整いません」


と強硬に反対されてマデリアを従者として連れていくことにした。

 やはり領主というものは堅苦しい。

 

 ミュラーが行政所に到着したのは第8刻を少し回った頃、行政所が開所した直後だ。

 マデリアが受付にいた職員に用向きを伝えると、その職員はミュラーを見て飛び上がってから一礼し、階段を駆け上がって行った。

 取り次ぎの間、ミュラーは事務室で働く職員を見回す。

 領主が来た、という事実に気付いていない職員が殆どだが、皆一様に黙々と仕事をしている。


(一般職員のモラルは低くはなさそうだ)


 そんな風に思っていると、先程の職員が駆け戻ってきてミュラーとマデリアを2階に案内する。


「新領主ミュラー様、お初にお目にかかります。私はリュエルミラ行政所の暫定所長を務めさせていただいておりますサミュエルと申します」


 行政所の2階にある所長室の前でミュラーを出迎えた男は恭しく頭を下げた。

 痩せこけているが、不健康さを感じないのはその隙の無い佇まいのせいだろう。

 同じように隙の無い佇まいのクリフトンとはその質が違う。

 仕事が出来るクリフトンとは違い、サミュエルは狡猾で隙を見せないといった雰囲気だ。

 薄い笑みを浮かべて片眼鏡のレンズ越しにミュラーを品定めしている。


(予想どおりか・・・)

「何か?」

  

 腹の中を見透かされているようだ。

 やはり一筋縄ではいきそうにない。

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