ローライネの花嫁修業2
ミュラーが留守の間、ローライネはミュラーの名代を任されることが多い。
とはいえ、領政に関しての裁量権はまだ与えられておらず、あくまでも領主の館の管理についてのみである上、クリフトンの補佐の下でという制限つきであるが、必要ならば新たに使用人を雇用することや、家具や装飾品、美術品等の購入や売却も認められている。
ミュラーは自らの生活環境については全くの無頓着で、館の中に飾られている絵画等の美術品にはまるで興味を示さず、現在の館に飾られている美術品も前領主の頃から何も手を着けていない。
そうはいっても、ミュラーの館はリュエルミラ領主の館であり、今後、来客を迎える機会も多くなるだろう。
しかも、今後リュエルミラが繁栄し、ミュラーの領主としての力が強まれば他の貴族を迎えることもあるだろうし、場合によっては皇族を迎える可能性もある。
現にゴルモア公国ロトリア領主がリュエルミラを訪れる予定があるが、特に今回はミュラーがリュエルミラ領主になって初めての公式な会談であり、その初めてが敵対国の、しかも既に一戦交えた後の相手だ。
ミュラーに代わって一分の隙もなく館の環境を整えて、グランデリカ帝国貴族として恥ずかしくないようにしなければならない。
ローライネはアンとメイを伴って館の美術品を見て回る。
館内に飾られている美術品はどれも高名な画家や彫刻家の作品であり、どれをとっても庶民が一生働かずに済む程の価値のあるものだ。
「ケバケバしい。ホント、品が無いですわね・・・」
しかし、それらの美術品がこれ見よがしに並べられている様は成金趣味の最たるものであり、ローライネはそれが気に入らない。
「ミュラー様が留守の間に館の模様替えをしてしまいますわ!」
決意したローライネは館の使用人を総動員し、自らが先頭に立って館の美術品の入れ替えを始めた。
高名な画家や彫刻家の作品を次々に撤去して倉庫に仕舞い込み、逆に倉庫に眠っていた質素ながら上品な美術品や、領内にある美術商から将来が期待できる新鋭の画家の作品を買い入れて館に飾り付けてみる。
他にも、日々のミュラーからの差し入れ(パットに持たせたお土産)のお礼にと孤児院の子供達が書いた絵も上等な額に入れて然り気無く飾り付けたり、領内の雑貨店で買った花瓶にサムが育てた花々を生け、館のホールや謁見の間に飾ったりもしてみた。
ミュラー不在の隙を突いて使用人総出で行ったために館の模様替えは3日程で終わった。
高価な美術品がこれ見よがしに飾られていた今までとは打って変わって、美術品の数を減らした上で、慎ましいながら上品な品々を飾りつけた。
館の美術品はあくまでも脇役であり、そこに住まう者や働く者が主役だというのがローライネの想いで、それでいて、館の者や、館を訪れる者がふと足を止めて和むことができるような装いだ。
「ま、こんなものですわね。虚栄よりも実を重視するミュラー様らしい装いですわ。お金ばかり掛ければいいというものではありませんもの」
大した予算も掛けずに思い通りの装いとなった館を見てローライネは満足げに頷いた。
気分が良くなって館の庭園を散歩するローライネは庭園の隅で作業をしているサムに気が付いた。
何やら水浸しにした畑で植物を育てている。
以前から畑を水浸しにして何かを植え付けていることは知っていたが、花が好きなサムのことだから何かの花を育てていると思っていたのだが、しみじみと畑を覗いてみると、サムが育てているのは花の類ではないようだ。
「サム、それは何を育てているのかしら?」
ローライネに声を掛けられて振り返ったサムは麦わら帽子を脱いで頭を下げた。
「こんにちは、奥様。これは、ミュラー様に言われて育てているんだ。聞いたこともない穀物だ。名前は聞いたけど・・・忘れた。でも、これは麦よりも沢山の量が採れるって聞いた」
サムに説明されて見てみると、1株から何本もの茎の様なものが伸び、その先に数多くの種子が実っている。
種子の粒は麦よりも小さいが、その数は多い。
これならば同じ面積で麦よりも多くの種子が収穫出来そうだ。
「この、種子?を食べるみたいね。どうやって食べるのかしらね、それに美味しいのかしら?」
ローライネの疑問にサムは首を振った。
「ミュラー様に試しに育てるように言われて、間もなく初めての収穫だ。ミュラー様は食べたことがあるみたいだけど、どうやって食べるのかは俺も知らない。でも、これが上手くいったら、領内で沢山育てて、主力?にするって言っていた」
どうやらミュラーの農業政策の一環で育成の実験をしているようだ。
ローライネはサムが育てている黄金色の穀物がリュエルミラの穀倉地を埋め尽くす様を思い浮かべる。
(流石は我が夫・・・になる予定の方。リュエルミラの将来の繁栄のために色々と手を尽くしているのね)
ローライネは益々上機嫌になった。
館の模様替えも成功し、リュエルミラの明るい未来も想像して気分が上々のローライネはちょっとした贅沢をすることにした。
実はリュエルミラ領主の館は他の貴族の館に比しても浴場が充実しているのだ。
館の中には使用人も使える大浴場が2つあり、男性用と女性用にしっかりと分けられており、他に来客用の部屋にも浴室が併設されている。
更にミュラーの寝室の隣には色欲にまみれた前領主の趣味ではあるものの、領主専用の浴室があり、意外?なことに風呂好きなミュラーはよくこの浴室を使っている。
前領主の趣味のおかげで高価な魔導具を利用して常に大量の湯を貯えるのだが、他の大貴族の館を見ても使用人までが使える浴場を持つのは他に無いかもしれない。
ローライネは普段は大浴場か、施設管理のために来客用の浴室を利用しているが、今は亡き母と暮らしていた館には簡易的な浴室しかなかったことを考えると、大量の湯に浸かれる入浴はとても贅沢なものだ。
そして、ミュラーが不在の時に限り、ミュラーの浴室を使うことも認められている。
今日は贅沢してミュラーの浴室を借りることにした。
香油の混ざった上等な石鹸で身体と髪を洗い流し、3人は楽に入れる程の湯船に身体を横たえる。
「本当だったらミュラー様と一緒の方が・・・。疲れて帰ってきたミュラー様のお背中を私が流しして・・・ムフッ」
リラックスしながらもよこしまなことを考えるローライネ。
今日は調子に乗って主が居ないミュラーのベッドで眠ってみようかと考えるも、それは後々のお楽しみにとっておくことにする。
こうして留守を任されたローライネは着々とリュエルミラ領主の妻としての地位の足場を固めつつあった。
因みに、後日談ではあるが、ローライネ渾身の館の模様替えについて、館に戻ったミュラーは全く気付かずにローライネがふて腐れてしまい、それを見かねたクリフトンに指摘されてミュラーがローライネに謝り倒す事件が発生するのだが、それは数日後のことだ。