偽りのフェイ1
フェイは年齢3百歳を超えるエルフである。
エルフとは森に住み、精霊を友とする種族である。
数百年の寿命を持つ彼等は森を守り、その長い寿命を穏やかに過ごす者も多いが、退屈な森を出て人間の都市に住み、冒険者等の様々な職に就いて生きる者も少なくない。
そんなエルフの中でもフェイは特に変わり者だった。
他のエルフと違い、精霊との契約をせず、別の存在の者達との縁を紡いだ。
好奇心旺盛で知識欲に駆られ、百歳を超えた頃に森を後にして探求の旅に出た。
時に冒険者として、時に教師として約2百年に渡り世界の大半を支配する人間達の歴史を目の当たりにし、ありとあらゆる知識を得た。
その結果として学んだことは、人間の歴史とは血塗られた戦いの繰り返しの上に成り立っていること。
魔物の脅威から身を守るための戦い、自らの支配圏を争う人間同士の戦い、歴史のどのページを見ても人間は戦い続けていた。
それらの歴史の真実を森に住むエルフや机の上で歴史を学ぶ学者達は人間を「何も学ばず、戦いを繰り返すだけの愚かな存在」と評するが、フェイの考えは違う。
確かに人間の歴史は戦いの繰り返しである。
その中で人間達は戦いを憎み、戦火に恐れおののき、傷つくことを恐れながらも戦い続けてきた。
しかし、時に他の種族と手を組み、世界を滅ぼさんとする存在に立ち向ったことも数多く、冒険者にしても、人間は他の種族とパーティーを組むことが出来る柔軟性を持つ。
エルフとドワーフ等の互いに相まみえることのない種族でも、間に人間が入ると不思議と共に戦うことが出来る。
人間同士の戦争にしても醜い戦いを繰り返し、他者を支配し、時に受け入れながら成長して、結果として世界の大半を手に入れた。
フェイはそのことに興味を持った。
戦いは愚かなことだと断罪することは簡単だが、その愚行を繰り返す人間が繁栄することは理に適わない。
そして、二百年に渡って人間の世界を見て回ったフェイは一つの結論に達した。
それは、人間がひどく弱い存在でありながら他者のために恐怖を捻じ伏せる勇気と、失敗からでも何かを学び取る学習能力があるということ。
そして、自分と違う存在を受け入れる極めて高い柔軟性を持っているということだ。
確かに、エルフとドワーフの間に子を成すことはないが、エルフと人間、ドワーフと人間の間には子が生まれる。
オークやゴブリン等も他の種族に子を産ませることはできるが、生まれてくる子はオークやゴブリンでしかない。
しかし、人間と多種族との間に子が生まれるとハーフエルフのように両方の種族の力や特色を持つ子が生まれるのだ。
つまり、人間とは弱い存在でありながらも互いに協力し、欠点を補い合い、困難に立ち向かい、そして成長することが出来る存在なのだろう。
これから数千年の後、エルフやドワーフがこの世界から絶滅したとしても、人間の歴史は続いて行くような予感がする。
そんな結論に達したフェイはもう人間の社会で学ぶことは無いと思い、どこか深い森の奥で静かに過ごそうかと思ったのだが、そこでふと気付いた。
確かにフェイは多くのことを実際に目にし、学んできたのだが、それは机上で歴史書から学ぶことと何ら変わらないのではないか?
自分自身が歴史の中に立ち、何かを歴史に刻むべきなのではないか?
そうでなければ、歴史書と同じ、それどころかフェイの頭の中に仕舞い込んでいては歴史書以下だ。
そう思ったフェイは人間の歴史を刻む誰かの手助けをしてみようと考えた。
しかし、既に権力を有している者や権力ばかりを欲する愚者に仕えるつもりはない。
自分が持つ力のことが知られれば、それを利用されるだけだ。
そんな矢先にとある帝国で変わり者が辺境領に追いやられた噂を聞いた。
その変わり者というのが「皇帝に泥水を啜らせた男」の異名を持ち、逆境に強い元軍人であることに興味を持ったフェイはその男が赴任したリュエルミラを訪れた。
領主となったその男に面会を求めて仕官の道を探ろうとしていたところ、信じられないことに行政所の前の掲示板に「側近募集」の張り紙がある。
高度な魔法が施されてある程度の能力のある者にしか読み取れないようにはなっていたが、側近を公募するなんて聞いたことがない。
余程の変わり者か、人材不足が深刻なのかは分からないが、この領主に仕えてみたいと思ったフェイは名を偽り、能力を偽り、ろくに魔法が使えない魔術師として仕官を求めたところ、拍子抜けするほどあっさりと領主の側近として採用された。
今、敵の追撃を振り切らんとしてフェイの手を握り、引き摺るように駆けるミュラーはフェイの偽りについても薄々感付いているようだが、そんなことは気にしている様子もない。
フェイが隠す能力についてまで知られてはいないだろうし、それに気付いたところでフェイを利用するなんて器用なことはミュラーには出来ないだろう。
ミュラーに仕えてまだ短い期間だが、ミュラーならばフェイの探求心を満足させてくれるだろうし、フェイもミュラーの役に立ちたい。
ミュラーの力にフェイの能力を加えれば世界を手に入れることも夢ではないが、無欲なミュラーはそんなことは望んでいないだろう。
それならば、自分の仕事に誠実に向き合うミュラーが何所に辿り着くのかを見届けたい。
変わり者のエルフはこの武骨で不器用で、変わり者の男にならば真実の自分をさらけ出しても良いと思ったのである。