とんでもない初仕事
クリフトンの案内で自らの住居となる領主の館に立ち入ったミュラーはその敷地を見渡した。
門をくぐると広い庭園があり、庭園には立派な池や花壇がある。
ミュラーは館の玄関へと続く石畳を外れ、庭園に敷きつめられた芝生を踏んで、その状態を確認した。
(・・・なるほど)
ある確信を得たミュラーは庭園の散策は後回しに、ひとまず館の中に。
館も庭園に劣らずに広く立派な造りで、帝都の城には及ばないが謁見の間まである。
その他にどれ程の部屋があるのか想像もつかないが、手入れが行き届いているにも関わらず、館の中は静まり返っていて人の気配がない。
兎にも角にも領主執務室に案内してもらうが、執務室も立派なもので、執務机に、10人程が掛けられる会議机、贅沢な応接用ソファーもある。
執務室の隣は私室であり、ミュラーは主にこの執務室と私室で職務や生活を送ることになるだろう。
とりあえず執務机の立派な椅子に座るミュラー。
豪華すぎて腰が落ち着かない。
そして、ミュラーの正面にクリフトンが立つ。
「さて、詳しい自己紹介や今後の話もあるが、1つ聞きたいことがある。これ程の敷地で手入れが行き届いているのに、人の気配がまるでない。他の者はどうしたのだ?」
ミュラーの問いにクリフトンは深々と頭を垂れた。
「そのことにつきまして、ミュラー様にお伺いしたい件がございます」
「なんだ?」
「まず、他の使用人についてですが、現在この館に勤務する者は私1人でございます」
「えっ?」
「先代領主様の時には多くの使用人がおりましたが、あの反乱の折に皆逃げ出してしまいました。臨時の代官様は赴任してくる際に数名の使用人を帯同してきましたが、帰任と共に連れて帰られました。よって、現在この館に勤務する者は私1人しかおりません」
「なんという・・・」
ミュラーは頭を抱えた。
「そこでお伺いなのですが、私をこのまま執事としてお雇いいただきたいのですが、如何なものでしょうか?私も妻や娘がおりまして、仕事を失うと家族を養うことができません。何卒お願いいたします」
「それはもちろん。というか、今の話を聞いて、クリフトンにまで辞められては私が困る。見てのとおり私は単身で来たのだからな」
「ありがとうございます。誠心誠意お勤めさせていただきます」
クリフトンの説明で合点がいった。
人の気配が無いのに屋敷の手入れが行き届いているのは、つい最近まで多くの使用人がいたからだ。
しかし、今はクリフトンのみ、人手不足にも程がある。
早速困難に直面したミュラーだが、クリフトンが更に追い討ちを掛ける。
「実は、今一つ火急の懸念があるのですが・・・」
「今度は何だ?」
ミュラーは頭が痛くなってきた。
「はい、この館の地下牢に捕らわれている3人の処遇についてなのですが・・・」
「今、何て言った?」
ミュラーは耳を疑った。
「はい、この館には地下牢があるのですが、そこに3人の罪人が拘束されています。前領主様に捕らわれた者達なのですが、代官様も放置したままでありまして。仕方なく私が食事等の対応をしていたのですが、一介の執事に彼等の処遇を決めることなどできませんので、ミュラー様に判断していただきたいのです」
「その3人は一体何をした?」
「2人は前領主様に対する暗殺未遂、1人は反乱に乗じてこの館に盗みに入った窃盗未遂です。暗殺未遂の2人は共犯ではなく、個別の事実です」
ミュラーは腕組みして考えた。
大きな権力を有する領主は領内で発生した犯罪について、その犯人を処断する権限を有する。
帝国法で定められた刑罰以上を科すことはできないことになっているが、これは有形無実化しており、私刑により罪人を必要以上に厳しく処断しながら領内で片付ける例も少なくない。
一方で、領主の腹一つで刑を軽くすることも自由だ。
この館に地下牢があることも驚きだが、そこに拘束したということは前領主はこの3人を私的に処罰しようとしていたのだろう。
「まったく、厄介な置き土産だ・・・」
そうは言っても放置するわけにもいかない。
前領主に拘束されたとなると、少なくとも数ヶ月は地下牢に捕らわれていたことになる。
「とにかく、その3人の弁解を聞いて、処遇を決めなければならないな」
急ぐ必要がありそうだ。
「それでは、その者を連れて参ります。謁見の間で宜しいですか?」
さらりと言ってのけるクリフトンの言葉にミュラーは仰け反った。
窃盗未遂犯はともかく、暗殺未遂の犯人は一筋縄ではいかないだろう。
この館にはミュラーとクリフトンしかいないのだ。
「おい、其奴等も犯罪に走る事情があったのかも知れないが、罪人だぞ?クリフトン1人で連れて来るのか?私が地下牢に行くぞ?」
「いけません。地下牢に閉じ込めたままで弁解を聞くのは公平性に欠けます。それに、いずれ地下牢もご覧になる必要もありますが、着任早々のミュラー様を案内するような場所ではありません」
着任早々に前任者が放置していた問題の処理をさせようとしていながら堅苦しいことを言うクリフトン。
クリフトンの隙のない身のこなしを見れば、かなりの心得のある手練れであることは分かるが、その実力は未知数だ。
「しかし・・・」
「私1人で問題ありません。お任せください」
一礼して退室しようとするクリフトン。
こうなれば任せるしかない。
「分かった。謁見の間でなく、ここに連れて来てくれ。ここで話を聞く」
「かしこまりました」
クリフトンを見送ったミュラーは室内を見渡した。
万が一罪人が抵抗した場合に武器とされる物はないか、ミュラーが制圧するとして、足下を掬われる危険な物はないかを確認する。
着任してまだお茶も飲んでいないのに、とんだ初仕事だ。
「まさか、3人纏めて連れて来るつもりじゃないだろうな」