押しかけ令嬢
落ち着いてローライネ来訪の目的を聞くことにしたミュラーは執務室に場所を変えた。
応接用のソファでミュラーの横にはフェイが座り、その対面にローライネが座る。
クリフトンとマデリアは背後に控え、ローライネの背後には2人のメイドと老騎士が立つ。
ステアは給仕として立ち回っているが、ローライネの背後に立つ老騎士達の動静に常に気を配っている。
改めて見てみれば、ローライネは見目麗く、貴族の令嬢らしく凛とした女性で、ミュラーのことを真正面から見つめている。
「つまり、貴女が押しかけて来たのはエストネイヤ伯爵の命ではあるものの、伯爵からは何の要求も無いということなのか?」
「はい、この度の件、ミュラー様が私のことを受け入れてくださっても、拒否されても、私はエストネイヤ家から籍を抜かれ、実家との縁は完全に絶たれますの。よって、私に帰る場所はありません。万が一にもミュラー様に拒絶されたら私とここにいる3人は路頭に迷ってしまいます」
聞けば、ローライネがリュエルミラに来る際に帯同してきたエストネイヤ家の者は護衛や従者、馬車の御者を含めて20人程だが、その大半はローライネを送り届けたらエストネイヤ家に戻るとのことで、ローライネに付き従うのは2人のメイドと老騎士1人とのことだ。
「しかし、やはり分からない。エストネイヤ伯爵とは園遊会で一言挨拶しただけで、それも腹の探り合い、というか、私が一方的に品定めをされたようなものだ。決して友好的なものではなかった。伯爵は別れ際に贈り物がどうとか言っていたが、それが貴女ということか?」
「父の真意は私にも分かりませんの。ただ、その園遊会の後に私が嫁いで来たというのは、そういうことだと思いますわ。私の母はエストネイヤ伯爵の3番目の側室ですが、正室や他の側室と違って庶民の出ですし、父との間に私しか子をもうけませんでしたの。父にしてみれば政策の道具としての価値も低いまま行き遅れた私の厄介払いなのでしょうからミュラー様にはエストネイヤ伯爵家との確執が生じることはありませんわ。それに、こう見えて私は家庭的ですし、尽くすタイプですの。持参した品々と共に娶っていただけると嬉しいのですけど・・・」
やや癖のある口調のローライネだが、これが素で信頼できる人の前でしかひけらかさないのだそうだが、それを真に受けるミュラーではない。
一方のローライネもミュラーを相手にギリギリの交渉を仕掛けていた。
初めて会うミュラーは父から聞き及んだり、噂での評判以上に手強い相手だ。
覚悟を決めてきたのだからその容姿については何も望んでいなかったが、実際に会ってみれば元軍人らしく、無骨で目つきも鋭く、女性受けはしないだろうが精悍な顔立ちだと思う。
年齢はローライネよりも10歳程年上だが、立ち振る舞いも隙は無い。
自分の護衛騎士であるゲオルドも一線を退いたとはいえかなりの手練れだが、そのゲオルドでも勝てるかどうか分からない。
武人としての強さは間違いなさそうだが、領主としての能力はどうだろうか?
謁見の間でローライネの先制の一撃で石化した様子を見た時は手玉に取れるのではないかと期待したが、こうして落ち着いて対面すると、一筋縄ではいかなそうだ。
ローライネの説明に嘘や偽りは無いが、それを真に受けるようなら付け入る可能性はあるが、もしそうならば夫としては物足りない。
「敵視する私に持参金を付けて貴女を差し出して、見返りを望まないなんてあり得ない。罠という程ではないが、何かしらの思惑はあるはずだ」
しかし、目の前のミュラーはローライネの言葉自体を疑っている様子はないが、それでも伯爵の真意を探ろうとしている。
どうやら自分の夫となれば申し分なさそうだが、だとすればそう易々と話は進まないだろう。
チャンスは今だ。
ローライネは切り札を切った。
懐から一通の封書を取り出してミュラーに差し出す。
家を出る時に父に託されたものだ。
「私を妻としてくださるならばこの封をお開けください」
ローライネが差し出した封書を見て首を傾げるミュラー。
「封印はエストネイヤ伯爵家のものではなさそうだが?」
「はい、これはかつて帝国創建の際に多大なる功績を挙げて大公として取り上げられながらも世継ぎに恵まれず、たった一代で消えた家名の継承権ですの。我がエストネイヤの上家であり、家名を継ぐ者のいないまま我が家の預かりとなり、代々受け継がれてきたものです。ミュラー様は家名を持たぬ身故に私を妻として受け入れるならばこの家名を献上するとのことです」
ミュラーは軍人として帝国の戦史については学んでいたが、その家名の記憶は無いので、内政的に功績があった家なのだろう。
ミュラーは確信した。
これはローライネの切り札というより、エストネイヤ伯爵家の切り札だ。
家名を継承したからといって大公になれるわけでもないが、少なくとも娘の厄介払いのついでに差し出すような代物ではない。
伯爵はとてつもない何かを企んでいるが、その企みを隠そうともせずにミュラーを牽制してきている。
「少し席を外してもらいたい」
ミュラーは封書をローライネに返すとローライネ達を控室に下がらせた。
執務室に残ったミュラーはクリフトンとフェイを前にしてため息をついた。
「まったく、厄介な話が転がり込んできたな」
ミュラーの言葉にクリフトンは頷く。
「確かに、話の上辺だけを見れば非常に有益な話ですが、そうではありますまい。必ずや何らかの意図が仕込まれています。しかし、伯爵の狙いがどこにあるか不明であるにしても、無下には断れませんな」
「領内の強化に力を入れようとしていた矢先だ、不確定要素を孕んだ決断は避けたいところだ」
ミュラーの考えにクリフトンが答える。
「私はこの館の執事として考えは決まっています。フェイ殿も同じ考えだと思いますが?」
クリフトンに振られてフェイは口を開いた。
「この件に関しまして、主様が断ったとしてもリュエルミラには損も無く、得も無く、大きな影響は無いと考えます。もしも受諾したならば、大きな利益を得る見込みがありますが、それに伴うリスクも大きいでしょう。私は主様がどのような決断をしようとも、その決断に対して主様の側近として最善の道を考え、助言するだけです」
フェイの言葉にクリフトンは深く頷く。
そしてフェイは改めてミュラーを見た。
「何よりも優先すべきは主様のお気持ちです。リュエルミラの政策としてでなくローライネ様を受け入れることができるのか、それをお考えください。私達は主様の決断に従います」
側近として今までに見たことがない柔和な表情で話すフェイ。
クリフトンも自分で言ったとおりフェイと同じ考えのようだ。
2人に後押しされ、暫くの間1人で考えたミュラーは判断を下した。
それを伝えるためにローライネ達を再び執務室に呼ぶ。
「思案したが、この話を受けるわけにはいかない」
ミュラーの返答にローライネは表情を強張らせて項垂れた。