リュエルミラへ
エドマンドの策略により辺境伯として領地を賜ることになったミュラー。
軍での後始末を終えてリュエルミラに向かう時がきた。
皇帝の勅命で地方領主として多大なる権力を得たとはいえ、皇帝の力が及んだのはそこまでだった。
職業軍人として大隊長の職にあったとはいえ、その任を解かれたとなれば、残されるのはミュラーという個人、1人のおっさんである。
これが生粋の貴族でもあれば、多くの使用人を従えて旅立つのだろうが、ミュラーは辺境伯の位を与えられたばかりで、使用人どころか、何の後ろ盾も伝手もない。
ミュラーの大隊の部下だった者の多くがミュラーの下で働くことを望んだが、それを認めると第2軍団の精鋭大隊が崩壊してしまうので彼等の要望は認められなかった。
これはミュラーを疎ましく思う大貴族の謀略とは全く無関係で、単なる軍務上の問題であり、ミュラー自身もそれを望んではいない。
それでも、3人の中隊長の中の1人と、他に5人の隊員だけは退役を認められたが、中隊の引き継ぎ等の諸々の手続きのために実際にミュラーの下に参じるのは数ヶ月後になるだろう。
いざ、旅立ちの日、軍隊生活で蓄えた僅かな財産と軍隊でも愛用していた私物の剣のみを携えてたった1人でリュエルミラに向けて出立することになる。
しかも、リュエルミラまでの駅馬車代をケチったために、その道中は徒歩だ。
とてもではないが、貴族、領主のようには見えないし、ミュラー自身もその自覚はない。
一応軍籍を残しているために軍服を着ているが、大隊長の徽章や所属を示す標章は外してある。
軍服を着ていなければただのおっさんの一人旅にしか見えない。
ミュラーに与えられた辺境領のリュエルミラは帝国の西端に位置し、隣国との国境に接しているが、その国境は数多くの魔物達が跋扈する広大なる大森林に阻まれており、軍事的緊張は少ない地方である。
中規模の領都を中心に幾つかの町や村が点在する地方で、その領都の名がリュエルミラ。
他には公式には名もない小さな町や村ばかりで、領都と周辺の集落を総称してリュエルミラ地方と呼ばれている。
今現在、このリュエルミラ地方には領主がおらず、帝国の役人が臨時の代官として赴任しているが、領内は荒れ果てている曰く付きの地方領だ。
ミュラーはその臨時の代官と入れ替わりに領主としてリュエルミラに赴くことになる。
リュエルミラが曰く付きと呼ばれている理由は、前領主による領民に対する苛烈なる圧政と、その圧政に耐えかねた領民達の反乱によるものだ。
反乱自体は領主の私兵連隊により多くの犠牲者を出しながらも鎮圧されたが、その反乱をきっかけに領主による数多くの悪事が表沙汰になり、前領主は領地没収の上で死罪となった。
ミュラーはそんなリュエルミラに領主としてたった1人で赴任し、領内の立て直しをする羽目になるのである。
帝都を出発してから十日、ミュラーはリュエルミラ地方に文字通りその足を踏み入れていた。
1人歩きながら自らの領地となる町や村を観察しながら領都リュエルミラへと向かう。
ミュラーが目の当たりにしたのは手入れの行き届いていない大地と疲れ果てた人々の姿。
(働き手となる若い男が少ない。反乱によるものか・・・)
それでも人々は今日を生きるために必死に働いていた。
荒れ果てた集落を経て領都リュエルミラに到着したミュラー。
中規模都市のリュエルミラは周辺の集落ほど荒れ果ててはいなかったが、やはり人々に活気は無い。
皆が下を向いていて新しい領主であるミュラーのことなど気にも留めない。
尤も、まさか新領主がたった1人で徒歩で現れるとは思わないだろうから、気に留めないと言うよりはミュラーに気付いていないというのが正解だ。
それでも一部の住民は軍服姿のミュラーを見て畏怖の視線を送って来るが、これも反乱の恐怖の記憶からだろう。
リュエルミラの外れの小高い丘の上に領主の館はあった。
外周を強固な壁に囲まれていて館というよりは小規模な砦のような造りだ。
そんな館の正門の前で1人の初老の紳士がミュラーを待っていた。
「お待ちしておりました。ミュラー様。私はこの館の執事を任されていますセドル・クリフトンと申します」
クリフトンと名乗ったその男は恭しく隙のない礼をする。
ミュラーはリュエルミラ領主として任じられたことを証明する帝国の公式文書をクリフトンに示した。
「この度リュエルミラ領主となったミュラーです。宜しくお願いします」
名乗りながら敬礼するミュラーにクリフトンは恐縮したような表現を見せる。
「私は一介の使用人に過ぎません。そのような丁寧なお心遣いは無用に願います」
言われみれば尤もだ。
軍隊であればどのような物言いをしても実力を持って示せば何も問題は無かったが、貴族や領主ともなれば軍隊のようにはいかないだろう。
「分かった。これから長い付き合いになるだろうから、素で話させてもらおう」
「そのように願います」
クリフトンは今一度隙のない礼をした。
「早速だが、この地に赴任している代官と詳しい引き継ぎをしたいのだが、取り次ぎを頼めるか?」
ミュラーの言葉にクリフトンは困惑した表情を見せる。
「取り次ぎと申されましても、前代官様は既にこのリュエルミラを離れております」
「えっ?」
「代官様はこの地での任に不満を持たれていまして、一刻も早い帝都への帰任を望んでおられました。ミュラー様がリュエルミラに立ち入ったとの情報を得たあのお方はミュラー様を待つことなく帝都へ向けて出立なされました」
「そんな・・・引き継ぎはどうしたらいいんだ?」
「引き継ぎと申されましても、代官様は領主代行の仕事を何もしておりませんで、諸々の問題が全て置き去りになっております」
クリフトンの言葉にミュラーは愕然とした。
「嘘だろう・・・」
着任早々に前途多難である。
ここまでがプロローグとなります。
次回からミュラーの新米領主としての悪戦苦闘が始まります。