社交界の洗礼1
思いもよらずエルフォード子爵家嫡男のラルク・エルフォードに懐に飛び込まれたミュラーだが、ミュラーとて一方的に蹂躙されたわけではなかった。
ミュラーが友としたのはラルク個人であり、リュエルミラ辺境伯としてエルフォード子爵家と友誼を結んだものではない。
領地が隣接しているので、良好な関係を築きたいものではあるが、まだ情報が足りなく、領主としての関係を安売りするわけにはいかないのだ。
ラルク自身はミュラーと友になれただけで大喜びであるが、ソフィアの方は一線を引いたミュラーの思惑を読んでいるらしい。
それでも、エルフォード子爵家としても上々の成果の筈である。
ミュラーの逸話を聞いた後は他愛ない会話で誤魔化していたが、園遊会もそろそろ終演の時間が近づいていた。
ラルク達が他の貴族に挨拶に回るとのことで別れたところで、ミュラーも早々に退散することにする。
「さて、とりあえず陛下の招待に応じるという義理は果たした。帰るとしよう」
フェイとマデリアを連れて歩き出したミュラーだが、最後の最後に面倒事が待っていた。
「場違いな者がいるかと思ったら、ミュラー辺境伯ではないか?」
背後から声を掛けられて、ミュラーは立ち止まってあからさまなに面倒くさそうな表情を浮かべる。
(こっちも放っておいたんだからそっちも放っておいてくれよ)
諦めて振り返った先に立っていたのはスクローブ侯爵とラドグリス侯爵だ。
でっぷりと太ったスクローブ侯爵と、痩せこけたラドグリス侯爵、対照的な2人だが、2人共に若くケバケバしい女を連れている。
正室ではなく、若い側室だろう。
他にも取り巻きのような連中を連れているが、揃いも揃ってミュラーのことを野良犬でも見るかのように嘲笑い、見下した様子だ。
「何か御用ですか?」
素っ気ないミュラーの態度に両侯爵は鼻白むが、それでもミュラーを見下す余裕を崩さない。
「ふんっ、新参者は礼儀知らずだな。帝国の重鎮たる私やラドグリス侯爵に挨拶もしないとはな。まあ、私達は寛大だ。だからこうして私達の方から声を掛けてやったのだから感謝してほしいものだ」
「ああ、特に挨拶する必要性を認めませんでしたからしなかったまでです。だから、貴方達に声を掛けられたからといって別に感謝する理由もありませんよ」
肩を竦めて惚けるミュラー。
スクローブ侯爵の表情が歪む。
「無礼な物言いだな。そもそも貴族の仲間入りして、所領を得たのならば真っ先に我々に礼を述べに来るのが筋だ。これだから野蛮な軍人は困る」
「礼を述べる?私を疎ましく思い、軍から排除しようとした貴方達に対してか?貴族階級など与えるつもりなど、無かったでしょうに。何故に礼を述べねばならないのですか?」
挑発するような物言いのミュラーだが、それでも侯爵達は自分達が優位を保とうと余裕の表情を崩さないのは流石は陰謀渦巻く貴族社会に生きる大貴族ということか。
実際には自分達は他者の上に立ち、搾取する特権階級だと思い込んでいるだけかもしれない。
自分達にへりくだる様子を見せないミュラーに対してラドグリス侯爵は仕切り直しを図ろうとしたのか、ミュラーを値踏みするかのように観察する。
「しかし、きらびやかな園遊会の席に無粋な軍服とは・・・。貧乏者は上質な服も揃えられないのか?」
牽制のつもりだろうか、ミュラーの服装を馬鹿にしてきた。
「まあ、そうおっしゃるなラドグリス侯爵。見てみろ、この者は服装だけでなくエスコートも連れておらぬ。知己の貴族もおらぬのだろうから、社交界について何も分からぬのだろうよ。無知故の浅はかさというものだ」
スクローブ侯爵の言葉に周囲の取り巻き達もクスクスと嫌らしく笑っている。
両侯爵はミュラーに対して貴族社交界の洗礼を浴びせているつもりなのだろうが、あまりにも幼稚過ぎる。
相手にするのも馬鹿馬鹿しいが、このまま舐められたままというのも面白くない。
「まあ、価値観というものは人それぞれですからね。私などでは貴方方のような服装は着こなせませんよ。派手派手しくて恥ずかしいし、金の無駄です」
「なんだと?」
「いやいや、貴方達のセンスに口出しするつもりはありませんよ。ご存じのとおり、私は軍隊生活が長くて美的感覚や芸術的感覚が欠如していますからね。まったく、お恥ずかしい限りですよ。ただ、まあ私が着用するのは御免被りますが、貴方達が着ているのは助かります。何しろ貴方達の派手な服装で顔もろくに知らない人達を見分けることができますからね」
いよいよ平静を保てなくなってきたスクローブ侯爵が怒りを露わにする。
「猪風情が!無礼が過ぎるぞ。そもそも私が何度も呼びつけてやっているのに無視をし続けた愚か者だから、礼儀そのものを知らないのだろうがな」
「私なりに礼儀というものは弁えておりますよ。相手に礼を尽くす必要があるかどうかを見極めています。だからこそ、貴方の所になぞ、最初から挨拶に行くつもりなんてありませんでした。それに、着任早々に危ない目に遭いまして、忙しくてそれどころではありませんでしたよ」
「ふっ、暗殺されそうになるとは、敵も多いのだろう。下賤な軍人上がりらしいな。よほど肝を冷やしただろうよ」
暗殺の言葉に反応したのはミュラーが睨んだとおり、スクローブ侯爵だったが、スクローブ侯爵は致命的な失言をしたことに気付いていない。
「私は暗殺されそうになったとは言いませんでしたが、ご存じでしたか?そもそも、あの程度で暗殺されかけたと言うのも憚られますがね。肝を冷やしたと聞かれればそうですね、あまりにも呆気なすぎて他に裏があるのかと心配になりましたよ。まあ、それも杞憂でしたが、捕らえた奴からは色々と面白い話しを聞けましたよ」
この時点でスクローブ侯爵の失態に気付いたラドグリス侯爵は分が悪いと見てやや距離を置き始めたが、スクローブ侯爵は引っ込みがつかなくなった。
「思い上がるなよ。負け戦での漁夫の利ばかりを狙い、大した功績も挙げずに出世したくせに」
「負け戦ばかり、というのは否定しませんよ。侯爵のように戦の度に帝都防衛だの、後方守備等と敵も来ない場所での守りを担っていたわけではありませんからね」
ミュラー自身もほとほと大人気ないとは思うが、スクローブ侯爵の方から突っ掛かってくるのだから仕方ない。
自らの立場を示すために中途半端に引くことは出来ないのだ。