皇帝エドマンド
グランデリカ帝国皇帝エドマンド・グランデリカは玉座に座しながら憮然とした表情で謁見の間に集結している諸侯を見下ろしていた。
「陛下、いかがなさいました?そのような不機嫌な表情で」
玉座の横に控える宰相のクラレンスが声を掛ける。
「ふん、何を考えているか分からん連中を玉座から眺めていれば不機嫌にもなるわ」
玉座から諸侯が並ぶ位置までは距離があるため、居並ぶ大貴族達に皇帝と宰相の会話が聞こえることはない。
ここに集まっている大貴族のほとんどは帝国の領土拡大の際に帝国に併合された国の王族や重鎮達であり、真に帝国に忠誠を違う者もいるが、表向きは忠誠を示しつつ、腹に一物を抱えている者も少なくない。
そんな諸侯を眺めていて機嫌が悪いと言うが、そもそもエドマンドはそんなに狭量な皇帝ではない。
「私には陛下のご気分が優れぬ理由は別にあるように見受けられますが?」
クラレンスはまだ20代の若さでありながらその家柄と類い稀なる能力を買われて宰相の役を務めており、エドマンドが信頼する重臣の1人だ。
頭は切れるものの、相手が皇帝であろうとも遠慮無しに意見を述べる不敬な点もあるが、そんな姿勢をエドマンドは高く評価している。
「フッ、貴様には誤魔化しは効かんか・・・。確かに、奴等が何を企んでいるのか、ここから見下ろしながらあれこれ想像するのはむしろ面白いものだ。余の機嫌が悪いのは別の理由だ」
「ミュラー殿のことでしょうか?」
クラレンスは今まさにこの謁見の間に向かっているであろうミュラーの名を挙げた。
「うむ。余は今から彼奴に勅命を下さねばならぬ。それが憂鬱でならん」
エドマンドはため息をつく。
「彼に関する此度の人事、陛下の及び知らぬ間に進められたのですね」
「余が知るも何も、たかだか軍の大隊長風情、それも一兵卒の者の人事のことなど余に伺いが立てられることなど無いわ。それを好いことに奴等め、あのような忠義高き者にこのような仕打ちを企みおった。おかげで余はあの者の忠義に対して仇を返す羽目になったのだ。こんな不機嫌なことがあるか」
「畏れながら、彼は陛下になぞに忠誠を尽くしているとは思えませんが?」
「当たり前だ。奴の忠誠は国家と国民に向けられておる。それでこそ奴なのだ。彼奴のように優秀な軍人は貴重な存在だ。それを一部の貴族共め、奴の実力を妬むという幼稚な私怨で軍から追い出そうとしているのだ。それも、余の勅命を利用してだ」
「いやはや、ミュラー殿をことのほかお気に入りのようで、羨ましいかぎりですな」
「馬鹿を申すな。気に入るも何も余はミュラーとは2回しか会ったことはない。あの忌々しい戦場と・・」
「その後の残念会、ですね・・」
「間の抜けた言い方をするな、凱旋式典だ」
「同じことでしょう」
皇帝を相手に揶揄うような物言いのクラレンスだが、エドマンドの感情を解して柔軟な思考を取り戻させる。
「ふん、まあ良い。だが、あの時余は思ったのだ。帝国軍はあの男を手放しては絶対にならんのだ」
言い放つエドマンドにクラレンスは肩を竦めた。
「そこまでお考えならば、陛下の権限で白紙にすれば宜しいのでは?」
エドマンドはクラレンスを睨みつけるが、クラレンスはどこ吹く風だ。
「貴様、分かっていて言っているな?そのようなことが出来るか!表向きはミュラーの出世だ。尤も、出世とは名ばかりで、勲功爵の称号に代官と、ろくな権限も与えずに地方に追いやるだけのこと。しかも赴任先は辺境のリュエルミラだぞ?しかし、それでも正規の手順を踏んでいる以上、軍の士官に関する人事に口出しなぞできん。如何に皇帝と云えども私情に走るわけにはいかんのだ」
クラレンスはそんな皇帝を見ながら薄い笑みを浮かべる。
それを横目で見るエドマンド。
クラレンスがこのような表情を浮かべるのは決まってよからぬ事を企んでいるときだ。
「・・・陛下、ミュラー殿に対する勅命の内容はしっかりと記憶されておりますか?」
「馬鹿にするな!余はまだ耄碌する歳ではないわ」
「これは失礼しました。ただ、私は陛下が記憶違いをしてしまい、誤った勅命を下してしまうのではないかと心配でなりません。一度下した勅命は余程の事情がない限り変更することはできませんから・・・」
クラレンスの進言にエドマンドもニヤリとあくどい笑みを浮かべた。
「そうさな・・・堅苦しき式典だ、余が間違えてしまったら取り返しのつかないことになるな・・・」
そうこうしている間に式典を進行する執行官である宮廷役人が謁見の間の中央に歩み出た。
「帝国軍第2軍団第3連隊所属、ミュラー殿の御入来でございます」
皇帝に恭しく礼をして宣言した執行官は皇帝に背を向けることなく後退り、謁見の間の正面扉の横に立つ。
執行官が配置に着くと正面扉が開かれてミュラーが入室した。
謁見の間に立ち入ったミュラーは扉の前で立ち止まり、執行官に向き合うと腰に差した剣を外して執行官に手渡す。
皇帝の前に立つ者は帯刀してはいけないという儀礼だ。
剣を預けたミュラーは背筋を伸ばし、左右に整列している諸侯には目もくれず、謁見の間の中央を進んでエドマンドが座する玉座の正面に立つ。
騎士や貴族であれば、皇帝の前に膝をつかねばならないが、軍人であるミュラーは礼式が違う。
皇帝の前に直立し、軍隊式の挙手の敬礼を捧げるが、その間、皇帝は玉座に座したままで敬礼には答えない。
敬礼をしたミュラーが手を下ろして直立不動の体勢を取り、視線を落とした。
勅命を授ける皇帝を凝視してはいけないという儀礼。
エドマンドが立ち上がり、ミュラーを見下ろす。
勅命の時、謁見の間が緊張に包まれた。
「第2軍団第3連隊に所属するミュラーの大隊長としての任を解く」
よく通るエドマンドの声が謁見の間に響く。
ミュラーを含めて参列者の誰も表情を変えることはないが、内心でほくそ笑んでいる者がいるはずだ。
しかし、その後に続いたエドマンドの勅命が彼等の企みを打ち崩した。
「勅命!ミュラーの軍籍を残した上で辺境伯の位を授ける。併せてリュエルミラ地方領をミュラー辺境伯に授ける。領主として彼の地に赴任せよ」
内定していた役職とまるで違う勅命にミュラーは思わずエドマンドを見上た。
授けられる予定だった位は準貴族としての勲功爵の筈だったが、実際に下された勅命は辺境伯。
辺境伯とは歴とした爵位を持つ貴族階級である。
加えて権限に制限のある代官ではなく、領主としての立場。
賜った所領の完全なる自治権を有し、固有の連隊を持つことすらも許される。
参列していた諸侯も互いに顔を見合わせて騒然としている。
「陛下!それは・・・」
「勅命中である!不敬なるぞ!」
思わず声を発した参列者をクラレンスが一喝し、皆を静まらせた。
「以上、勅命である。異存がある者は余の前に歩み出よ!」
勅命に合わせてクラレンスが皇帝に剣を差し出す。
勅命に異論がある者は斬り捨てられる覚悟の上で皇帝の前に立て、という儀礼であるが、この時のエドマンドは本気で斬るという迫力に満ちており、異を唱える者は誰もいなかった。
こうして、ミュラーは皇帝エドマンドの取り返しのつかない間違いにより、辺境伯としての位と辺境領リュエルミラを賜ることになったのだ。
ミュラーの新米領主としての困難に満ちた道が開かれた。