因縁の始まり
「ミュラー様、例の男がミュラー様への面会を求めています」
ある日の午後、執務室で執務を執っていたミュラーはクリフトンからの報告を受けた。
「例の男って、地下牢のか?」
「はい」
ミュラーを襲った刺客を捕らえたものの、その後1ヶ月以上の間、何の尋問も行わず、ほったらかしにされていた刺客がミュラーに面会を求めているとのことだ。
「とうとう根負けしたか。まあいい、会ってみよう。連れてきてくれ」
男を連れてくるように指示したミュラーは机の引き出しに仕舞い込んでいた何通もの手紙を取り出した。
「さて、私の敵になるのはどいつだ?それとも・・・」
ミュラーはニヤリと笑う。
やがてクリフトンに連れられてきた男は手錠こそ掛けられているものの、着衣は清潔を保たれており、健康状態も良好なようだ。
クリフトンがミュラーの言いつけをしっかりと守ってくれていたのだろう。
男を応接用のソファーに座らせてその対面にミュラーが座り、その傍らにフェイが立つ。
マデリアは男の背後に位置取っている。
「何故俺を尋問しない?」
出されたお茶に手も付けず、男は口を開いた。
「なんだ?尋問されたいのか?どうせ何も話すつもりもなかろうに」
「それは・・・」
「まあいい、とりあえず名を聞こう。偽名でも構わんが、なんと呼べばいい?」
笑いながら話すミュラーだが、その目は男をしっかりと見据えている。
「・・・アデルだ」
無意識に視線を逸らしながらも名乗ったアデルだが、既にミュラーの術中に嵌まりつつあることに気付いていない。
「アデルか。まず最初に言うが、私はお前に聞きたいことはない。東方からわざわざお前達を送り込んだ奴の目星はついている」
「・・・」
余裕の表情のミュラーに無言のままのアデル。
「だいたいな、侯爵だのなんだのと偉そうにしていて、人を見下していながらやることが姑息なのだよ。そうは思わないか?」
「それは・・・俺には何も言えん」
ミュラーは肩を竦めた。
「そして、私がお前を捕らえたというのに何の反応も見せないから痺れを切らして私に探りを入れてくる小心者だ」
言いながらミュラーに送られてきた手紙の束をテーブルに広げて見せる。
アデルはその中の1通の差出人の家名をチラリと見るが何も言わない。
「そもそも、私が軍の大隊長の頃から侯爵は私のことを疎ましく思っていたようだが、まさか私を暗殺しようとするとはな。一兵卒の私が爵位を持つことがよほど腹に据えかねたようだ」
「ああ・・・」
「だがな、私が爵位を持つ羽目になったのも、皇帝の差し金だし、辺境伯というのは爵位と言っても質が違う。その名のとおり辺境に押し遣るのだから爵位くらい与えてやるって程度のものだ。侯爵や伯爵、子爵、男爵等と比べられるものではない。だいいち、そんなもの貰ったところで何の得もない。辺境領の運営は爵位で行うのではなく、その領主の手腕で行うものだ。体裁ばかり気にするスクローブ侯爵はそのことを何も理解していない。私は奴等と肩を並べたとは思っていないし、自分が貴族になった自覚もない。あんなピラピラした貴族社交界に足を踏み入れるなんて真っ平御免だ。だがな、スクローブ侯爵だろうが他の貴族だろうが私に刃を向けるならば私も剣を抜くことに躊躇いはないぞ。端から友好関係を築くことは無理だろうから、私に構わずに放っておいてくれればいいんだ」
「あんたも変わっているな・・・」
「まあな。で、お前はこれからどうする?これ以上無駄に飯を食わせておくのも勿体ないから近々放免してやるが、スクローブ家に戻るならば私からの伝言を頼みたいのだが?」
放免との言葉にアデルは意外そうな表情を浮かべたが、首を振った。
「いや、俺はもう戻ることはできない。戻ったところで殺されるだけだ。放免されたところで、行く当てもない」
そこでミュラーの悪い癖が出た。
「行く当てがないなら、このリュエルミラで働くか?領兵の新兵を募集しているぞ?」
人手不足をいいことに誰それ構わずに勧誘するミュラー。
突然の勧誘にポカンとするアデルだが、直ぐに笑みを浮かべた。
「少し考えさせてくれ。突拍子もなさ過ぎて頭の中が整理できんからな」
ミュラーは頷いた。
「まあ、放免するまでに後1、2週間は掛かるからゆっくり考えてくれ」
用件が済んだミュラーはクリフトンに命じてアデルを地下牢に戻した。
アデルが退室した後、ミュラーはのんびりとお茶を楽しむ。
「主様、本当に暗殺の黒幕を突き止めていたのですか?」
ミュラーの対面に座ったフェイの問いにミュラーは惚けた表情を見せる。
「いや、怪しい奴は2、3人いると思っていたが、今のアデルの尋問で確信しただけだ」
「やはりそうでしたか・・・」
あくまでも無表情であるが、フェイは呆れたような声だ。
ミュラーが自分で言ったように、暗殺の首謀者について特定していたわけではなかった。
ミュラーが口にしたスクローブ侯爵と他に幾つかの大貴族が怪しいと思っていただけである。
ミュラーはアデルとの愚痴のような雑談の中に幾つもの仕掛けを忍ばせていた。
まず、捕らえておきながら尋問もせずに情報を遮断したまま放置する。
これはアデルを重要視していないと思わせることと、外部と遮断して時間を置くことでアデルの知らないところで何事かが進行していると思い込ませることが目的だ。
そして、対面して最初から余裕を見せつつ尋問の必要はないと告げ「話したいことがあるなら聞いてやるぞ?」というスタンスで会話の主導権を握る。
ここまできたら後は確認作業のようなものだ。
会話の取っ掛かりとなった「東方からわざわざ送り込んだ」といっても、そもそもリュエルミラは帝国の西端で、東方にしか他家の領はない。
そんな間抜けなことに気付かせる前に侯爵だの、ミュラーを疎ましく思っていただのと探りを入れたり、物証にもならない手紙の束(スクローブ家のものだけでない)を見せてアデルの様子を伺う。
そして勝手に情報を絞り込んでいき、しれっとスクローブ家の名を出して暗殺事件の黒幕を特定したというわけだ。
結局は愚痴と雑談に見えた尋問である。
「私が目星をつけていたのはスクローブ侯爵、ラドグリス侯爵、エストネイヤ伯爵の3人だ。他にも怪しい奴は幾らでもいるが、それらはこの3人の息の掛かった連中にすぎない。ただし、エストネイヤ伯爵は、まあ狡猾といえば狡猾だが、それよりも度を過ぎた小心者だ。暗殺なんて手段は選ばないだろうな」
「ならば、スクローブとラドグリスの両侯爵ですが、何故スクローブ侯爵だと?」
「私に送り付けてきた手紙だ。スクローブ、ラドグリス侯爵共に私に挨拶に来いという命令のような誘いをしてきたが、領内の内情不安定を理由に断ったところ、ラドグリス侯爵は何も言わなくなったが、スクローブ侯爵は相変わらずだ。まあ、それだけでは判断できないが、私としてはスクローブ侯爵が本命だと思ったよ。なので、アデルに手紙の束を見せる時に敢えてラドグリス侯爵からの手紙の差出人を見せた。アデルはそれを見て私が見当違いをしていると思ったようだが、その後にしれっとスクローブ侯爵の名を出してたたみ掛けたというわけだ。まあ、私にとってはどちらの侯爵でも厄介な相手であることには違わないがな」
笑いながら話すミュラーの説明にフェイは呆れたように首を振る。
「主様、失礼ながらそれは尋問ではなく、所謂カマを掛けた誘導的な質問でしかありません。それに、貴方はかなりお意地が悪いですね。2つの大侯爵を相手にしてそのような楽しむような態度、相当なひねくれ者のようです」
「まあな」
ミュラーはテーブルの上の貴族達からの手紙を纏めながらふと1通の手紙を取り出した。
それは、エストネイヤ伯爵からの招待状。
スクローブ侯爵等ほど高圧的でないが、ミュラーを下に見つつ取り入ろうとする魂胆が見え隠れする内容だ。
「この伯爵も意外と厄介かもな・・・」
エストネイヤ伯爵からの招待状は下心が隠されていながらも礼節を弁えた招待状であったことからミュラーも丁寧な内容で断りの書簡を送っている。
このエストネイヤ伯爵からの招待を断ったことがミュラーの人生を大きく変えるきっかけとなるのだが、この時のミュラーはそんなことを知る由もない。