職業選択の自由
グランデリカ帝国の内戦から数年の月日が流れた。
ミュラーとローライネは館のバルコニーからリュエルミラの街並みを眺めている。
ミュラーの領内運営が実を結び、領民も増加し、人々の暮らしも豊かになり、今やリュエルミラは帝国の端にある辺境でありながら帝国内でも屈指の繁栄した領だ。
間もなく夕暮れであり、農作業を行っていた農民は片付けをし、街中の店や工房も店じまい。
対照的に飲食店はこれからが稼ぎ時だ。
仕事を終えた人々が街に繰り出し、共に飲み、笑い、一日の疲れを癒し、明日への活力とする。
喧嘩等の多少のトラブルもあるが、衛士達が目を光らせているので事件らしい事件も殆ど起きない。
そんな平穏な街の様子を満足げに眺めるミュラー。
傍らに立つローライネの胸には生まれたばかりの2人の娘であるクララベルがスヤスヤと眠っている。
そんなミュラーとローライネの背後ではクリフトンの指示の下で館の使用人達が忙しく走り回っており、ミュラーの側近であるフェイレスも自分の荷物や膨大な書物を纏めて梱包している。
「色々とあったが、まあまあ上手くいったな・・・」
しみじみと呟くミュラーにローライネが微笑みかける。
「ミュラー様なればこそ、ですわ。貴族としての嗜みも常識も知らなかった貴方だからこそ、人々の目線に立った領政が出来たのです」
「しかし、おかげでローラやフェイレス、皆には苦労や迷惑を掛けっぱなしだったな」
「苦労?迷惑?とんでもない。迷惑どころか、私がミュラーの下に来てから新鮮な驚きと経験の連続で、活気に満ちた幸せな毎日です。辛いこともありましたが、それも含めて私達の人生のかけがえのない財産ですわ」
明日、ミュラーはこのリュエルミラを離れて新たな任地へと旅立つ。
リュエルミラはエルフォード伯爵家に併合(といっても領の規模はエルフォード領よりもリュエルミラの方が遥かに大きいが)され、ラルクが引き継ぐことになっている。
未だにやや頼りなく、不安な面もあるが、行政所長のサミュエルはいるし、しっかり者の姉と優秀な側近もいる。
館に関してはクリフトン夫妻もリュエルミラに残るし、そして何より、元は孤児でコソ泥という経歴を持ちながら、ちゃっかりとラルクに嫁入りしたパトリシアもいるのだから大丈夫だろう。
後をラルクに託したミュラーは未だに幼い皇帝の後見人として、帝都の治安と守りを担う大公として領都へと赴任するのだ。
帯同するのは側近のフェイレスを筆頭にマデリア、ステアの両護衛メイド、クララベルの教育係(といってもまだ教育の出番はなく、孫?にデレデレなだけのお爺ちゃん)のゲオルドにアンとメイの2人。
領都の館はそれ程広くないのでこの人数で十分だ。
「バークリーの奴、私の目が届かなかったからといって怠惰な生活をしていたら許さないわ!私がこの手で叩き直してやる!」
1人息巻いているステア。
内戦終結以降、帝都に残りミュラーの代役を任されたバークリーが待っている。
というのも、今回の赴任は1人で面倒事を押し付けられたバークリーが
「早く領都に来て責任を果たしてください。いつまでも私に面倒を押し付けたままにするならば、辞表を書きますよ!職業選択の自由は帝国法で保証された権利です。私の要求が聞き入れられないならば、私はその権利を行使し、ただの悪党に戻ります」
と脅迫してきたからだ。
尤も、ミュラーの大公就任と帝都赴任は決定事項だったので、その時が来ただけでもある。
ミュラーは夕日の沈むリュエルミラの街並みをその目に焼き付けた。
「さあ、帝都に行っても仕事は山積みだ。忙しい日々が待っているぞ!」
「それでこそ私の旦那様ですわ。何処までも、いつまでも、私達はず~っと一緒ですわ。生まれ変わっても私は貴方との人生を手に入れてみせます。未来永劫、絶対に逃がしませんわよ」
そう言ってローライネはミュラーにそっと寄り添った。
・・・・時は更に流れて数十年、帝都の外れの小さな屋敷、リングルンド大公家の別宅において、ミュラーの人生が幕を閉じようとしていた。
30年以上前に大公の役目を娘であるクララベルに託し、別宅に移り住んで穏やかな余生を過ごしていたミュラー。
齢90を迎え、人としては驚異的な長寿となったが、生命の限界の時がきた。
かつての仲間達の殆どは既にこの世を去っており、この屋敷に住むのはミュラーの他には1人だけだ。
ベッドに横たわり、起き上がることも出来ないミュラーに寄り添っているのはフェイレス。
あの頃と何も変わらない美しさのフェイレスはミュラーの手を握り、ミュラーの人生の終わりを見つめている。
「・・・満足だ。一介の軍人だった私が辺境伯となり、しまいには大公だ。しかし、そんなことはどうでもいい、私の人生のつまらない付加価値に過ぎない。・・・それよりも、私の人生は多くの人々と出会い、助けられた。この縁は何物にも代え難い私の財産だ・・・」
「主様、生き抜きましたか?」
「ああ、私は人生を生き抜いた。こうしてフェイに看取られながら眠るのも含めて大満足だ・・・」
ミュラーの指先に僅かに力がこもる。
フェイレスはミュラーの手を強く握った。
「なあ、フェイ・・・」
「何でしょうか?」
「フェイはあの頃と変わらずに美しいな・・・」
「何を戯れ言を・・」
「なあ、私が死んだらフェイの配下にしてくれないか?今までフェイには本当に助けられた。今度は私がフェイの役に立ってみたいのだが?・・・まあ、こんな老いぼれだ、大した役にも立たないか・・・フフッ・・」
フェイレスはミュラーの首に掛けられた人参のデザインのアミュレットを見た。
フェイレスがミュラーに贈ってからミュラーが肌身離さずに持っていたお守りだ。
「それは出来ません。私は主様に、ミュラー様にお仕えできただけで満足です。探究者としての私の望みも満たされましたよ。それに、ミュラー様には逝くべき場所があり、待っている人がいます。ローライネ様が亡くなってからずっと私がミュラー様を独占してしまいましたからね、いい加減にローライネ様にミュラー様をお返ししなければいけません」
優しく拒絶するフェイレス。
「ローライネか、随分と待たせてしまったな。しかし、ローライネも悪い。あれ程私から離れないと言い放っておきながらクララベルの成長を見届けることもなくさっさと逝ってしまったんだからな。少しくらい待たせてもいいだろうさ・・・。きっと美しい姿のままで待ちくたびれているだろうな・・・。あっちで叱られるのも楽しみだ・・・」
「そうですとも。ミュラー様とローライネ様は強い魂の絆で結ばれています。未来永劫に渡ってローライネ様から逃れることはできませんよ」
「・・・フフフッ、ローライネもそんなことを言っていたな。・・・そろそろ頃合かな・・・美しいフェイに看取られて、美しいローライネの下に旅立つ・・・最高の旅立ちではないか・・・」
ミュラーの言葉にフェイレスは呆れる。
「ミュラー様、今際の時に冗談ですか?それともまだまだ時が満ちませんか?」
「冗談ではない・・・本心だよ・・・。フェイ・レス、ありがとう・・・」
フェイレスにそう告げるとミュラーは静かに目を閉じた。
「・・・ミュラー様?・・・主様?・・・眠られましたか?」
ミュラーの顔を覗き込むフェイレスの瞳から涙が流れて、ミュラーの頬に落ちた。
しかし、フェイレスの問い掛けミュラーが答えることはもう無い。
辺境領主ミュラーと死霊術師の側近フェイレスの物語は幕を閉じ、次の時代の物語へと続く。
私の趣味と書きたいこと全開で書き連ねたミュラーの物語もこれにて落着となりました。
この作品を読んでくださった全ての皆様に感謝申し上げます。
短編を含めて本作で6作目となった職業選択の自由シリーズですが、本作をもって一旦区切り(終結ではありません)とさせていただきます。
次回作は本作の世界観を離れて全く違う世界の物語を書いてみようと思っています
とはいえ、既に書き始めているので直ぐに投稿を始めますので気が向いたら覗いてみてください。
最後に、本作を読んでくれた皆様、ありがとうございました。