ミュラーとフェイレス
ミュラーとプリシラは互いに剣と大鎌を振るって激しい剣撃を繰り広げる。
とはいえ、魔王と生身の人間、しかもミュラーは勇者でも英雄でもないので力の差は圧倒的だ。
フェイレスのデス・ナイト2体の援護を得てどうにか戦えているという程度で、一瞬でも気を許せばミュラーの首が飛ぶだろう。
「ほれっ、どうした?さっきの威勢は何処に行った?」
巨大な大鎌を振るい、舞うように連撃を仕掛けてくるプリシラにミュラーは防戦一方、プリシラが大鎌を5回振るえば2回か3回はデス・ナイトが防いでいるといった状況で、ミュラーが反撃するのはプリシラの攻撃10回に1、2回がやっだ。
その攻撃すらヒラリと躱されてしまう。
どうにか戦えているといっても圧倒的に劣勢であることに間違いない。
それでも、追い詰められれば追い詰められる程にミュラーの心は冷静さを取り戻し、波一つない湖の湖面のように落ち着いてゆく。
鋭い目を薄く開き、プリシラだけでなく周囲の状況を広く把握する。
デス・ナイトの位置と動き、プリシラの大鎌が巻き上げる礫までを捉え始め、体感する時間が徐々に遅くなっていく感覚に陥る。
そして、プリシラの攻撃に対するミュラーの反撃の回数と間合いが徐々に詰まってゆく。
間合いが近くなり、大鎌の刃が届かずとも空気を切り裂く真空の刃がミュラーの身体に浅くはない傷を刻み込むがミュラーは全くひるまない。
冷静に淡々と必殺の一撃の機会を狙う。
「楽しませてくれる。なら、これを受けてみせよ!」
一歩下がったプリシラが大鎌を振りかぶる。
渾身の一撃を繰り出すつもりだ。
デス・ナイトがミュラーの前に立ちはだかる。
「それっ!」
踏み込みながら大鎌を振り抜くプリシラ。
その刃は大盾を持つデス・ナイトを大盾ごと両断し、もう1体のデス・ナイトをバラバラに吹き飛ばした。
そして、振り抜いた大鎌の勢いをそのままに身体を回転させ、更に威力を増した大鎌がミュラーを襲う。
後ろに飛び退いても避けきれない。
しかし、プリシラの大鎌はその巨大さ故に懐に飛び込まれると鎌の刃を引き戻すのに僅かな隙ができる。
ミュラーは躊躇うことなく前に飛んだ。
プリシラの大鎌の柄を剣で弾き上げながら一気に間合いを詰めたためミュラーの剣もプリシラには届かないが、そんなことはお構いなしにプリシラに当て身を食らわせた。
「クッ!」
如何に強大な力を有する魔王とはいえ、ミュラーとプリシラでは体重差は歴然であり、プリシラとミュラーはもんどり打って倒れ込んだ。
ミュラーはプリシラに馬乗りになってプリシラの喉に剣を突き刺そうとする。
プリシラはミュラーの切っ先を素手で掴んだ。
「図に乗るなっ!」
プリシラの拳がミュラーを狙う。
ガンッ!
魔力に包まれたプリシラの拳はまともに食らえばミュラーの頭が吹き飛ぶ程の威力だが、その拳がミュラーを直撃することはなかった。
フェイレスが再び召喚したデス・ナイトがプリシラの拳とミュラーの間に大盾をねじ込んだのだ。
流石に拳の勢いまでは抑えきれず、デス・ナイトの大盾は大きくひしゃげ、ミュラーはデス・ナイト諸共に吹き飛ばされた。
即座に立ち上がって剣を構え直すミュラー。
プリシラも静かに立ち上がるが、その視線はミュラーに向けてはいない。
「さっきから邪魔ばかりしおって。鬱陶しい!」
プリシラの視線はデス・ナイトを使役するフェイレスに向けられていた。
「フェイッ!下がれっ!」
ミュラーが叫びながらプリシラに斬り掛かるが、プリシラの方が速い。
「先に貴様を始末してくれるっ!」
大鎌を振りかざしたプリシラがフェイレスに向かって跳躍する。
ミュラーの追撃も間に合わない。
プリシラの大鎌がフェイレスの首目掛けて振り下ろされる。
「・・・・」
杖を立てたまま動こうとしないフェイレス。
そのフェイレスの前に更なるデス・ナイトが姿を現した。
ミュラーを守るデス・ナイトと同じ大盾を持つデス・ナイトが4体。
フェイレスの前に盾を重ねて防壁となり、プリシラの大鎌を受け止める。
フェイレスが妖しい笑みを浮かべた。
「私の役目は主様を守ること。それ故に前に出る必要の無い私の守りは主様の守り程に複雑ではなく、単純なもの。何枚でも、何重でも重ねられる。貴様如き新生魔王風情が易々と破れるものではない。私と主様を甘く見るな!」
プリシラに向かって言い放つフェイレス。
デス・ナイトの大盾の背後から遥か東方の島国の剣士、サムライの甲冑を身に纏い、斬れ味鋭い刀を持つデス・ナイトがプリシラに斬り掛かる。
「舐めるな。こんな木偶人形が妾に通用すると思うなよ」
デス・ナイトの剣を易々と躱すプリシラだが、フェイレスも全く動じない。
「ええ、デス・ナイトだけでどうにかなるとは思っていません。私の死霊達など主様の戦いの場を整えるためのものに過ぎません」
そう言ってフェイレスは杖で大地を軽く叩くと、地中から飛び出したデス・ナイト4体がプリシラの脚に、腰に絡みついた。
「くだらぬ足掻きをっ!」
プリシラがデス・ナイトを振りほどいた次の瞬間、プリシラの目の前に突如として霧が発生し、その霧の中から1体のヴァンパイアが飛び出してきた。
「この昼日中にヴァンパイアだと?チッ、上位種かっ!だが、妾を甘く見るな」
大鎌をヴァンパイアに向けて振るうが、刃が届く寸前にヴァンパイアはその姿を霧に変化して姿を消す。
「ええ、甘くなんて見ていません。私と主様には油断も驕りもありませんよ」
ヴァンパイアの霧に乗じてプリシラの目の前にまで飛び出したフェイレスがその手にもつ杖をプリシラの腹部に突き出した。
「グッ!」
フェイレスの杖の一突きではプリシラに痛痒を与えることは出来ないが、フェイレス自身そんなことは期待していない。
フェイレスの狙いは、ほんの一瞬、プリシラに取って致命的な隙を作ること。
再び姿を現したヴァンパイアが右側面から、刀を振りかざしたデス・ナイトが左側面から同時にプリシラに襲い掛かる。
「そんな姑息な手が妾に・・」
「通用するとは思っていません」
フェイレスの笑みが妖しさを増した。
「・・・えっ?」
刹那、プリシラが視線を落とすと、その胸に剣の先が突き出している。
正確にはプリシラの背中から胸に剣が貫いている。
「・・・えっ?」
プリシラはフェイレスに視線を戻す。
「言った筈です。私の役目は主様を守り、その戦いの場を整えこと」
そう言うとフェイレスは後ろに下がる。
「プリシラ、背後からの一撃を卑怯だなんて言うなよ?私自身卑怯だとは思っていない。私は英雄でも勇者でもないからな、勝つためには手段を選ばないだけだ」
背後からプリシラを貫いたミュラーは更にその剣を深く差し込んだ。
人であれば心臓を貫き、即死する一撃だが、魔王であるプリシラはそうではない。
それでも傷口から流れる赤い血と共におびただしい量の魔力が抜け流れる。
急速に力を失うプリシラ。
自力で立つことも適わないが、その身体を貫いたミュラーの剣が倒れることを許さない。
ミュラーも最後を見届けるまでは力を緩めない。
「主様だけでも、私だけでも貴女には勝てません。しかし、主様と私ならば違います。貴女を倒すのではなく、救うことも出来るのです」
「妾を・・救う・・だと?」
「主様の一突き程度では貴女が滅することはありません。ただ、魔王として不完全な貴女は力を失って永い眠りにつくのです」
「・・妾が・・眠りに・・?・・私は・・・また独りぼっちになるの?」
襲い掛かる睡魔に不安げな表情を浮かべるプリシラ。
フェイレスの笑みから妖しさが消え、慈愛に満ちた微笑みをプリシラに向ける。
「安心して眠りなさい。数百年後に目覚めた時、その時こそ魔物達を守れる優しい魔王になりなさい。その時には貴女を知る者は生きてはいないでしょう。でも、悠久の命を持つ私だけは貴女を覚えていてあげます」
「・・・その時には・・私の友達になってくれる?」
「ええ、貴女が優しい魔王になれたならばね」
「・・・ありがとう・・・。ミュラーさん・・私を止めてくれて・・・ありがとう・・・」
魔王、いや、魔物使いの優しい少女プリシラは瞳を閉じて永い眠りについた。