魔王プリシラ
「貴様、リュエルミラのミュラーだな?妾の記憶に刻み込まれているぞ。人であった妾が色々と迷惑を掛けたようだ」
まるで他人事のように語るプリシラ。
実際に魔王として転生したので、記憶は引き継がれていても完全な別人格?なのかもしれない。
その証拠にミュラーの目の前に立つプリシラはうら若き少女のままの姿だが、ミュラーですら後退り、本能的に恐怖を覚える程なのである。
そしてさらにその瞳だ。
少女の姿でありながら妖艶な美しさのプリシラのその瞳は全てを呑み込むかのように暗い影に満ちている。
ミュラーの目の前に立つプリシラは紛うことなく魔王なのだ。
「ミュラーよ、貴様やリュエルミラの者達には迷惑を掛けた。そのよしみというわけではないが、妾は貴様やリュエルミラに害を為すことはせぬ。そもそも妾は無益な争いは好まぬ。魔王だからといって全てが支配や破壊を望んでいるわけではない。だからほれ、貴様の後ろにいるその男を妾に寄こせ。その男と一族、そして結託した者共にケジメをつけさせねばならぬ。貴様とてこの男と、いやグランデリカ帝国と戦い、叩き潰そうとしていたのであろう?ならば丁度いい、妾がそれを成してやろう。ほれ・・・」
妖しい笑みでミュラーに手を差し伸べるプリシラ。
ミュラーほ剣の構えを解かず、プリシラから目を離さない。
「バークリー、マデリア。・・・その男を連れて逃げろ」
「「分かりました」」
振り向くことなく発したミュラーの言葉にプリシラがピクリと反応する。
「妾に歯向かおうというのか?何を心配しているのか知らぬが、妾はその男等に礼をしたらそれ以上の殺生はせぬと約束するぞ?貴様には何の損もない。むしろ、その男等を救ったところで何の得もないぞ?」
プリシラからピリピリとした殺気が漂ってくる。
ミュラーを挑発しているのだろう。
「確かに何の得にもならないが、此奴らには帝国の、人民の裁きを受けさせなければならない」
ミュラーは剣の切っ先をプリシラに向けた。
「クククッ、そんなことは今さらだぞ?妾は魔物達を操り多くの者達を葬ってきた。それこそ其奴よりも罪無き者達をだ。貴様もリュエルミラの・・あの純粋な男のことを忘れたわけではあるまい?確かに彼等を殺めたのは妾の魔物達だが、あの子達には何の罪もない。ただ、妾の命令と魔物の本能的に従ったに過ぎない。妾は自分の手が憎悪と血に塗れていることから目を逸らすつもりないぞ。今さら其奴等の血が数滴混ざったところで何の違いもない」
笑みを浮かべたプリシラが1歩前に出ればミュラーは2歩後退る。
「それでもだ。人だった頃のプリシラはそれを強いられていた。確かにそれに抗うことをせずに手を下したのはプリシラ自身だ。何が彼女・・貴女を追い詰めたのかは知らないが、それは揺るぎない事実だ。貴女が魔物達の行いは貴女自身の罪業だと言うならば、貴女にそれを強いた此奴等が全ての元凶だ。故に此奴等には正当な裁きを受けさせる。それに、よく分からないが、貴女には此奴を殺させてはいけないような気がする」
「それが魔王である妾に歯向かうことになろうともか?」
「なろうともだ!」
歩み寄るプリシラに今度はミュラーも退かずに1歩踏み出した。
「面白い・・・妾に挑むつもりか?魔王である妾に・・・。貴様の力で勝てると思うているのか?」
プリシラから凄まじい気が向けられる。
あらゆる魔物を畏怖させ、従わせる魔物使いの力だ。
しかし、この力はプリシラの本来の力ではない。
プリシラの魔物使いとしての根本は慈愛の心。
魔物達を慈しみ、共に生きることを望むための力であり、恐怖で支配するものではない。
つまり、今ミュラーに向けられている凄まじい殺気はプリシラからの威嚇だ。
わざと桁外れ殺気をぶつけてその力の差を見せつけ、ミュラーを退かせようとしている、言わば魔王としての優しさなのかもしれない。
ミュラーは呼吸を整えた。
ゆっくりと深呼吸を数回、その後に呼吸を浅く、呼吸と共に気持ちを落ち着かせて本能的な恐怖を捻じ伏せる。
「勝てる・・・とは思っていない。むしろ絶望的な程の差を自覚している。それでも私は退くつもりはない」
「本気で妾と戦うというのだな?始まれば貴様が死ぬまで終わらぬぞ。尤も、ほんの数秒で終わるだろうがな」
「それは即ち、絶体絶命。全て私好みの状況というわけだ」
落ち着きを取り戻したミュラーが不敵に笑う。
「・・・主様。お待たせしました」
背後からミュラーに掛けられる声。
振り返らずとも声の主は分かる。
「すまないフェイ。かなり面倒なことになっている。ちょっと手伝ってくれるか?」
ミュラーの横に立つフェイレス。
顔を見ずとも呆れ顔であることが分かる。
「相変わらず自ら望んで困難な道を選択する・・・。主様は被虐的嗜好者なのですか?」
「・・・」
かなり失礼なことを言われているが、何も言い返すことができない。
「しかし、魔王にあの屑を殺めさせなかったのは上出来です。例えゴミ屑とはいえ、魔王が自らの意思であれを殺していたら魔王の魂の天秤は邪悪の側に傾き、憎悪の性質を持つ魔王へと化していた筈です。今、魔王を止めることが出来たなら、未だに不完全なあの魔王は暫しの眠りにつきます」
「その止めるっていうのがこの上なく難しいと思うのだが?」
「主様1人でこの上なく困難なことでも、私と2人なら、『この上なく』ではなくなります」
「結局、困難であることには違いないのだな」
「当然です。逆に肝心なところが抜けている主様は容易な状況では失敗する可能性があります。困難な状況というのは我々にとって好機でもあるのです」
ミュラーに並んだフェイレスは静かに魔力を滾らせる。
「主様、何処までもお供します」
魔王との戦いに挑もうとするミュラーとフェイレス。
プリシラは満面の笑みを浮かべた。
「どうしても退かぬか!アハハハハッ!面白い、手加減無しで叩き潰してやろう」
プリシラもまた腰を落として大鎌を構えた。