急報
エストネイヤ伯爵の亡骸を騎兵連隊に引き渡し、連隊が撤退するのを見届けたミュラーはフェイレス指揮下の治療士による治療を受けた後に直ちに進軍を再開した。
「主様、今少しお休みになられては?」
「ミュラー様、あまり無理をならさないでください」
フェイレスとマデリアが進言するが、ミュラーは首を振る。
「私1人のせいで進軍を遅らせるわけにはいかない。今は時間が惜しい。進軍で無理をするつもりは無いが、少しでも前に進む」
帝国において遊撃を担っていたエストネイヤ騎兵連隊によって思わぬ足止めを食らったが、ミュラーと伯爵の一騎打ちにより時間のロスは最低限に留められた。
しかし、リュエルミラと帝国のこの戦いはリュエルミラにとって時間との戦いでもあるのだ。
幸いにして補給物資はリュエルミラ軍の行く先々に届けられるので実戦部隊のみの最速の行軍が行えるが、それでも一刻でも時間が惜しい。
リュエルミラ軍は東へと進軍を続けた。
数日後、ミュラーとエストネイヤ伯爵の一騎打ちの結末はリュエルミラにも届けられ、ローライネの知るところとなった。
「リュエルミラ軍とエストネイヤ騎兵連隊が接触するも、ミュラー様と伯爵の一騎打ちで決着した。ミュラー様は、負傷するも伯爵を討ち倒して無事・・・ですのね?」
報告に訪れたサミュエルを前に表情を変えないローライネ。
「はい。互いに無駄な犠牲を出さないために一騎打ちで勝敗を決したと・・・。ミュラー様勝利により騎兵連隊は撤退しました。他の大貴族なら信用なりませんが、エストネイヤ伯爵は策士であるが故に逆に信用できるでしょう」
「ふん、確かにそうですわね。そもそも、エストネイヤ伯爵はともかく、兄様は交わされた約束を反故にするような愚者ではありません。それに、新たな伯爵家を盤石にするためには多少は時間が掛かるでしょう。少なくとも、我々がこの戦いに勝利するまでは大人しくしている筈です。その間に兄様は新たな伯爵家の当主として帝国における立場を確保する策を巡らせることでしょう」
報告を終えたサミュエルが退出するとローライネは1人ため息をつく。
「内情不安な帝国の現体制にこれ以上付き合うことは危険。でも、伯爵は今の帝国に深入りし過ぎた・・・。まったく、自らの命を賭して伯爵家と帝国の関係をゼロに戻し、リュエルミラと帝国の戦いがどちらの勝利に終わっても・・・伯爵家のその力が弱まっても存続することが出来る。後は兄様次第。結果的にあの男はエストネイヤの家を守ったというわけですか。ホント・・・最後まで尊敬出来ない父親でしたわ」
ローライネは誰も居ない執務室で1人呟いた。
進軍を続けるリュエルミラ軍に急報が届けられた。
「主様。この先、3刻程進んだ地点で大規模な戦闘が行われています」
フェイレスの放っていたスペクターからの報告。
ミュラーは部隊を先行させていないのでリュエルミラ軍が関係する戦闘ではない。
「所属は分かるか?」
「いえ、スペクターでは所属を示す旗印を選別できません。それに、一方は帝国軍なのでしょうが、戦っているその大半が魔物達。帝国側に魔物使いが居るようです。もう少し詳しく探るために他の死霊を出しますか?」
ミュラーは思案する。
フェイレスの死霊による偵察は事実をありのまま、何の主観も加えられずに報告される。
それは情報収集としては非常に重要ではあるが、時として人の主観が加えられた情報が有用になることもある。
ミュラーの部下にそういった面で有能なのが1人いる。
「バークリー!この先で何が起きているのか、先行して情報を集めてこい。アーネスト、第1大隊から1個分隊をバークリーの護衛に出してくれ」
「分かりました。直ぐに行って参ります」
ミュラーに偵察の任務を任されたバークリーは護衛の分隊を引き連れて東へと向かった。
バークリーを見送ったミュラーはオーウェンの第2大隊を最前列に配置し直した。
この先で何が起きているのかはまだ分からないが、状況によってはリュエルミラ軍がその戦いに横槍を入れることになるだろう。
そして、戦いの規模によってはこれが最後の戦いになる可能性もあるのだが、帝国軍に魔物使いが居るということは、敵の突撃を阻止する第2大隊が要となる筈だ。
偵察に向かったバークリーは2刻程で戻ってきた。
「この先に帝国の主力がいます。率いているのはスクローブ宰相の長男で、兵力は8千程ですが、魔物使いに使役された魔物達が1万弱、これが前面で戦っています。対するは5千にも満たない軍勢で、帝国の現体制に不満を持つ軍の部隊や貴族領兵の寄せ集めです。戦いは一方的で、寄せ集め部隊は西に、つまりこちらに向かって押され続けています。我々がこの場に留まっていても2刻もしない間に戦場はここまで移動してきます。尤も、あの様子では2刻も持たないでしょうな」
「なるほど。今後のことを考えると、その連中を見殺しにはできないな。やはり我々が介入する必要がありそうだ」
「加えてもう1つ、気になることがあります。帝国軍に居る魔物使いは1人だけ、例のプリシラとかいう娘です。しかし、あの娘1人であれ程の数の魔物を使役するには無理があります。いえ、無理なことではありませんが、脳と精神にとてつもない負担が掛かります。それに、あの娘の様子がどうにも気になります」
「どういうことだ?」
「例えば、使役術師に言うことを聞かせる、支配下に置くとして、私がかつて行ったような魔法による精神支配は通用しません。何かの使役者を使役することは不可能なのです。そうですね?フェイレス殿」
バークリーはミュラーの横に立つフェイレスを見た。
フェイレスは頷く。
「はい、使役術師を精神支配等で強制的に従わせることはできません。私のように主従としての契約や、金銭契約、又は、逆らうことが出来ない状況に陥れる必要が・・・まさかっ?」
「その可能性が高い。私が見た限り、あの娘は帝国軍本陣にいますけど、どうにも様子がおかしい。例のサイクロプスが娘を守ってはいますが、その敵意は周囲の帝国軍に向けられいます。それでいて逆らう素振りが無いのです。おそらくは何か弱みでも握られて逆らうことができないのか・・・」
「主様っ!急ぎ戦場に向かいましょう。あの娘を止めないと、でないと手遅れになってしまいます!」
突然、フェイレスがバークリーの言葉を遮った。
普段のフェイレスからは考えられないような慌て振りにミュラーも驚く。
「フェイ、一体どういうことだ?」
「あの娘が自らの望まぬまま、その能力以上の力を使い続けると、いずれ脳が焼き切れ、精神が闇に落ちてしまいます。それであの娘が死ねばいいのですが・・・」
「そうでないと?」
「新たなる魔王が生まれるかもしれません」