平原の戦い
突然の奇襲に混乱するラドグリス軍だが、誰よりも慌てふためいたのはラドグリス大公本人だ。
「なんだっ、何が起こっている?」
右翼部隊後方から突然上がった爆音と炎だが、2万もの大軍が幅広く陣形を開いていたため、中央にいたラドグリス大公に状況が報告されるまでに数十秒の時間を要した。
「リュエルミラの奇襲です!右翼部隊の背後を突かれました!」
「ミュラーめ、背後を突くなど卑怯な真似を!全軍、直ちに方向転換。敵軍を押し潰せ!」
ラドグリス大公の命令が各部隊に伝達されるが、これまた大軍故に伝達に時間が掛かり、部隊の動きも遅く、連携も取れていない。
そんな様子を眺めるミュラー。
「呆れたものだ、部隊運用の基礎も知らないらしい」
ため息をつくミュラーに傍らに立つオーウェンも同意する。
「大軍が背後から奇襲を受けた場合はその場での陣形転換は愚策。この場合は多少の損害を被っても前進して敵軍と距離を取りながら一部の部隊を転進させて敵軍に対峙しつつ時間を稼ぎ、その間に本隊の態勢を立て直す。ですか?」
帝国軍部隊運用の基本を述べるオーウェンにミュラーは肩を竦める。
「基本どおりだが、70点だな」
「手厳しいですね。減点理由は?」
ミュラーは敵本隊があるであろう中央付近を指示した。
「回答としては正解だが、あの部隊ではそのとおりの動きはできんよ。奴等は数ばかりの寄せ集めだ。連携も取れず、動きも鈍すぎる」
「ならば、ミュラー様ならどうなさいますか?」
「そもそも私なら敵が何処にいるか分からない状況であんな間抜けな陣形は組まんよ」
白々しく答えるミュラーにオーウェンが呆れる。
「それはズルいですよ!」
「そんな論議をしている暇はないぞ。敵が混乱している絶好の機会を逃すなんて、それこそ愚策だ。行くぞっ!」
「あっ、ちょっと!大隊長っ!」
思わず昔の呼称で呼ぶオーウェンを後目にミュラーは剣を抜くとフェイレス、マデリアを従えて駆け出した。
その時点で先陣を切ったドワーフ擲弾兵とバークリーの魔導小隊はミュラーの命令を待たずに後退を始めており、入れ替わりにアーネストの第1大隊が敵右翼部隊に向かって突撃を開始しており、後方では機動力の劣るオーウェンの第2大隊も大盾を連ねて前進を始めている。
ミュラーが何も言わずとも各大隊長の判断で行動し、敵を更なる混乱に陥れた。
ミュラーにとって理想的な部隊行動だ。
一方のラドグリス軍は圧倒的大軍でありながら混乱に陥って陣形の再編も侭ならなず、奇襲を受けた右翼部隊が一方的に攻めたてられているのに中央、左翼部隊は戦闘に参加できずにいる。
「見晴らしのいい平原で数の有利も生かせずにいる。度し難いものだ」
敵ながら不様な様子に呆れるミュラーだが、一気に勝負を決める絶好の好機だ。
攻撃の手を緩めるつもりはない。
フェイレスとマデリアを従えて敵中央部隊の側面に回り込んだミュラーは走竜の足を止めて敵軍の一点を見据えた。
敵中央部隊の中心に大層な軍旗を掲げ、戦場に似つかわしくない華美な装いの一団がいる。
遠目に見ても分かる、ラドグリスの本隊だ。
「あそこだっ!敵本隊のど真ん中に死霊部隊を投入!」
「畏まりました」
ミュラーの命を受けたフェイレスが死霊術の詠唱を始める。
部隊の連携も取れず、態勢を立て直せずに混乱の坩堝にあるラドグリス軍本隊。
自らが先頭に立つことはおろか、戦闘に参加する意思すら無いラドグリス大公は大軍の中心、最も守りの厚い位置に陣取っていたが、それ故に前線の状況が把握できない。
「何をしている、早く何とかしろ!」
いくら騒いでも最前線にその声は届かない。
「貴様等、それでも誇りある帝国騎士か・・・ひっ!」
具体的な指示も出せず、ただひたすらに悲鳴にも似た檄を飛ばすラドグリスが息を呑んだ。
目の前の地中から槍を掲げた無数の骸骨兵が這い出してくる。
フェイレスが召喚したスケルトンウォリアー達だ。
「なんだ此奴ら・・ギャ!」
「ヒイッ!」
「くっ、来るなっ!やめろっ、やめてくれっ!」
文字どおり無表情、無感情、無慈悲に攻撃を始めるスケルトンウォリアー。
狂乱状態の中で反撃や守りを固めるという考えすら思い浮かばないまま次々とその槍の餌食になってゆく兵士達。
スケルトンウォリアー達は騎士達が騎乗している騎馬を優先して攻撃することにより、ラドグリス大公をはじめとした軍幹部を戦場から逃走させまいとしている。
「何をしている!私を守れっ!・・・うわっ!」
ラドグリス大公も混乱して暴れる馬の背中から振り落とされ、地面に尻もちをつく。
周囲を見渡せばそこで繰り広げられているのは一方的な殺戮。
「・・・なぜだ・・」
ミュラーとフェイレス、マデリアは足を止めてその様子を観察している。
見晴らしの良い平原だが、混乱の中にあるラドグリス軍でミュラー達3人の姿に気付く者はいない。
「奇妙な光景だな・・・」
思わず呟くミュラー。
しかし、ミュラーの言うとおりでもある。
全ての部隊が混乱に陥っているラドグリス軍だが、実際に戦闘が行われているのは右翼部隊の一部と中央本隊のみという極めて限定的だ。
それでいながらラドグリス軍は壊滅的な状態になりつつある。
「ジャック・オー・ランタンを投入します」
「・・・ああ、さっさと決めてしまおう」
そこにきて更なる追い討ちを掛けるようなフェイレスの攻撃。
突然空間を引き裂いて現れ、大鎌を振りかざし、頭上から火炎を撒き散らすジャック・オー・ランタン。
平原の戦いの勝敗は呆気なく決した。
「仕上げだ」
ミュラーは最後の命令を下す。
それは、効果的ながら悪辣非道な命令だった。