開戦の烽火
東に向かって進軍するリュエルミラ軍は進路をやや南に向けた。
この先には都市や町は無く、広大な平原が広がっている。
ここまではフェイレスが放ったスペクター等の情報を基に敵の哨戒網を避けたり、欺瞞情報を流して本隊の位置を気取られないようにしていたが、それもここまでだ。
「敵の偵察兵もいつまでも我々を捕捉出来ないでは気の毒だ。この辺で汚名を返上させてやろう。我々を発見しなくては敵も動きようがないだろうからな」
ミュラーの命を受け、フェイレスはスペクター等による欺瞞作戦を中止し、警戒偵察に専念するように変更した。
程なくしてラドグリス大公が率いる軍が拠点を置いている都市にリュエルミラ軍発見の報告がなされる。
「何っ、リュエルミラの不届き者を発見した?いったい何所だ?どれ程の戦力で何所に向かっている?」
待ちかねた報告に身を乗り出すラドグリス大公。
「はっ。場所は南方の大平原を南東に向かっています。総数約2千、リュエルミラ軍のほぼ全軍と思われます」
「よし、直ちに全軍出撃だ!私自ら出陣して一息に押し潰してくれるわ」
全軍出撃を下命するラドグリス大公に側近の魔導師が具申する。
「お待ちください。リュエルミラ軍はたかだか2千。我が軍総兵力2万を投入し、ラドグリス様が直々に指揮する必要もありません。ラドグリス様はここに残り、兵力の半数、1万も差し向ければ十分です」
虚栄心の塊のようなラドグリスに対してこのような意見具申は無駄だと思いながらも長くラドグリスの側近を務める魔導師は自らの役目を果たす。
「何を言うか。ミュラーを倒す絶好の機会だ。奴等の進む先にはエストネイヤの連隊が展開しているし、その先の帝都にはスクローブがいる。ここで中途半端なことをしてミュラーを取り逃がした挙げ句に奴等に手柄を奪われるなどあってはならぬことだ!」
案の定、側近の意見を受け入れなかったラドグリス大公は南東へと進むリュエルミラ軍の側面を突くべく全軍を率いて出陣した。
ラドグリス軍の情報はフェイレスのスペクターによって逐一ミュラーへと届けられており、当然ながらラドグリス軍が出陣した情報もいち早く届けられている。
「敵軍総数約2万、我々の左側面から攻めるつもりのようです。接敵予測はおよそ4刻後です」
フェイレスの報告にミュラーは頷く。
「了解した。我々は敵の動きに気づかないふりをしつつこのまま進軍する。付近にいる敵の偵察兵も接敵の2刻前までは好きにさせておいてくれ」
「2刻前になりましたら?」
「全て排除だ。2刻前からは敵に対して我が軍の情報の一切を遮断する」
「かしこまりました」
ミュラーの作戦に従ってリュエルミラ軍は素知らぬふりをしながら東に向かって進軍を続けた。
そして2刻後、計画どおりリュエルミラ軍の周囲でその動静を探っていたラドグリス軍の偵察兵の全てがフェイレスのアンデッドによって纏めて排除された。
地中から突然突き上げられたスケルトンの槍に貫かれる者、草むらの中を這うように近付いたジャック・オー・ランタンの鎌に文字どおり首を刈り取られる者。
スペクターの精神攻撃に生きなが魂を破壊された者。
一瞬の間に音もなく行われた殺戮によってラドグリス軍は全ての情報を遮断された。
「よし、陣形を変換しつつ反転。1刻半ほど後退する」
リュエルミラ軍はラドグリスの大軍との開戦に備えて動きだす。
一方、ラドグリス軍が偵察兵からの情報が届かなくなっていることに気づいたのはミュラーによって情報が遮断されてから1刻程過ぎた時だった。
リュエルミラ軍の動静を探るために多くの偵察兵を放っていたラドグリス大公だが、定期報告について厳密に示していなかったため、報告が途絶えていることに気付くのが遅れた上、これまでに得られた情報によりリュエルミラ軍が進軍する位置を把握したつもりでおり、更に自分達が数の上で圧倒的有利であるという驕りも手伝って情報についてさほど重要視していなかったのである。
そして、いよいよラドグリス軍がリュエルミラ軍との接敵予想地点に到着した時、当然ながらそこにリュエルミラ軍の姿は無い。
「どういうことだ!リュエルミラ軍は何所に逃げおおせた?」
リュエルミラ軍を包囲殲滅すべく左右両翼に陣形を広げていたラドグリス軍。
自らの指揮でリュエルミラのミュラーを始末できると思い込んでいたラドグリス大公は予想外の展開に困惑し、次の判断が遅れたのである。
その時、方向転換して後退しつつ、フェイレスのスペクターの偵察により常に敵軍の位置を把握しながら大きく迂回したミュラー率いるリュエルミラ軍はラドグリス軍の右翼後方、肉眼では辛うじて捉えられない絶妙な距離に位置していた。
「さて、帝国を相手にした全面戦争の開戦だ。派手に烽火を上げようではないか!」
ミュラーの号令で前進を始めたリュエルミラ軍の先陣を切るのは当初予定の第1大隊ではなく、ゲオルド率いる第3大隊のドワーフ擲弾兵部隊と新編成されたエルフの機動弓兵部隊に加え、バークリーの魔導小隊だ。
弓に矢を番えながら走るエルフ達の姿にラドグリス軍が気付いた時、エルフ達は既に弓の射程距離にまで接近していた。
「3連射!放てっ!」
隊長の号令で一斉に放たれたエルフ達の矢は予想外の奇襲に混乱し始めたラドグリス軍の右翼後方の部隊に降り注いだ。
ラドグリス軍は大軍故に部隊間の連携や連絡に時間が掛かるため、この時点で右翼部隊の混乱は中央にいるラドグリス大公に伝わっていない。
それが伝わったのはエルフの機動弓兵が後退し、続いて飛び出したドワーフ擲弾兵とバークリーの魔導小隊による攻撃が行われた時だ。
「1号玉、放ていっ!」
「一斉に火炎攻撃!」
擲弾兵隊長のマージの号令で火薬玉が投擲され、魔導小隊長バークリーの命令で魔導師達が火炎魔法を放つ。
混乱状態に陥ったラドグリス軍右翼後方の部隊が火薬玉の爆発と魔法攻撃による激しい炎に包まれた。
それがリュエルミラとグランデリカ帝国の開戦を告げる烽火となったのである。