クラレンスの秘策
「クラレンス殿が三器全てを持っているとはどういうことだ?」
流石のミュラーも驚きを隠せない。
「はい、聖剣、宝冠、国璽の全てを私が帝都から持ち出してきました」
クラレンスのこの告白はとてつもない危険を孕んでいる。
そもそも、三器とは帝国皇帝の証しであり、三器が揃っていないと即位の儀式を行うことができず、即位の儀式を経ずして皇帝として即位することはできないことが帝国宮廷法に明記されている。
新しく皇帝に即位する者は城の中にある即位の儀の間で儀式を行うのだが、極めて高度な結界が施されたその場には三器を持っていなければ立ち入ることができないのだ。
故に皇帝即位を宣言したアンドリューもデュランも三器が揃っていないため即位の儀式を行うことが出来ず、内戦がデュラン側の勝利で終結した後にも三器が揃っていなかったためデュランは未だに真の帝国皇帝になれずにいる。
しかし、クラレンスが三器を隠匿していたとなると、そもそもアンドリューが持つ宝冠とデュランの聖剣が偽物だったということになってしまう。
それが事実ならばアンドリューとデュランほ偽の宝冠と聖剣を手にして互いに帝国皇帝を自称し、不毛な争いをしていたことになる。
非常に間の抜けた話ではあるが、それが多くの国民を巻き込んだ内戦ともあれば笑い話では済まない途轍もない話だ。
そして今、クラレンスはミュラーに対して三器を手に帝国を支配することを打診してきたのである。
「何故クラレンス殿が三器の全てを持ち出してきたのか、アンドリューとデュランが偽の三器を手にしていたのか、お話いただけますね?」
ミュラーの問いにクラレンスは頷く。
「はい、実はアンドリュー様とデュラン様が偽の三器を手にしたのは偶然、というか、エドマンド陛下のずぼらでありながら心配性の性格が招いたことなのです」
クラレンスの説明によれば、本来は三器のうち宝冠と聖剣は常に皇帝が持ち、国璽は宰相が管理することが通例になっており、第3代皇帝までは通例どおりに管理されていたのだが、第4代皇帝のエドマンドが即位すると事情が変わった。
元来ずぼらな性格のエドマンドは宝冠と聖剣について
「余が持っていると壊しかねない」
と言い出し、宰相のクラレンスと協議した上で秘密裏に宝冠と聖剣のレプリカを作成し、それ以降エドマンドは公式行事を含めてレプリカを身に着け、本物の宝冠と聖剣はクラレンスが隠匿していたということだ。
そして、エドマンド皇帝暗殺の直前にデュランが偽物と気付かぬままに聖剣を持ち出し、その後に一連の事態が勃発したというわけである。
この時点で三器はクラレンスの下に揃っているのでクラレンスが支持するアンドリューが正式に皇帝に即位すればデュランの正当性を打ち崩すことはできたのだが、ことはそう単純なものではない。
東方貴族の後ろ盾を受けてことを起こした以上はアンドリューが皇帝に即位したとしてもデュラン、いやその背後にいるスクローブ、ラドグリス等が矛を収めることはないだろう。
結局は国を二分する内戦に突入することは避けられず、そうなると総兵力では優勢に立っているとはいえ、保有戦力の大半が帝国正規軍のアンドリューは国内外に警戒をしなければならず、強大な兵力を有するデュラン等の軍勢に勝利できる確証はない。
そこでクラレンスは自らが支持するアンドリューにすら三器の真実を伝えなかったのだ。
結果的にクラレンスの懸念が現実のものと化し、アンドリューの軍勢が劣勢となる中、幼い妹達や弟の身を案じたアンドリューがクラレンスに対して帝都から脱出するように命じ、その際にクラレンスは三器をも持ち出してきたというわけである。
因みに、敗れたアンドリューはデュランの命により帝国某所に幽閉されているとのことで、クラレンスの手の者により無事が確認されているとのことだ。
「デュラン様は短絡的、直情的なお方ではありますが、愚者という程のお方ではありません。ご自分が勝利した後に兄であるアンドリューを害するつもりは無かったようです。まあ、その辺が支配者としては甘いと言わざるを得ませんがね。しかし、デュラン様が正式に皇帝になれば、帝国はスクローブ等のいいようにされてしまいます。それだけは阻止しなければいけないのです」
クラレンスの説明にミュラーは首を傾げる。
「だったら、クラレンス殿の手の者とやらにアンドリューを救い出させ、皇帝の座に据えればよいのでは?アンドリュー救出に手を貸すつもりは無いが、邪魔をするつもりもない。その上で私はアンドリューの即位に反対するつもりもありませんよ」
ミュラーの言葉にクラレンスのみでなく、フェイレスとローライネまでもが首を振る。
「ミュラー様、それでは駄目なのです。一度敗北したアンドリュー様を帝国皇帝にしたとしても帝国人民の忠誠と心の安定を得ることはできません。国を二分して多くの国民を犠牲にしたアンドリュー様とデュラン様ではこれからの帝国を統治することはできません。今帝国に必要なのは国を一度ひっくり返し、新しい帝国を築く新たな支配者なのです」
エストネイヤ伯爵家で冷遇されていたとはいえ、貴族の娘として高度な教育を受けたローライネがミュラーに説明する。
「奥方様の言うとおりです。私はその役目をミュラー殿に担って貰いたいと思うのです。帝国を打ち壊し、新たな皇帝の道を歩んではみませんか?ミュラー殿が皇帝となれば、フェイレス殿が宰相の役に就くことになるでしょうが、私も如何なる端役であろうとも持てる能力の全てを捧げてお仕えします」
決断を迫るクラレンス。
ミュラーはローライネとフェイレスを見た。
ミュラーの考えは決まっているが、2人の表情を見れば何を考えているか分かる。
ローライネはミュラーがどんな決断をしようとも妻としてミュラーと運命を共にする覚悟だろう。
そして、フェイレスはミュラーと同じ考えのようだ。
「・・・クラレンス殿、私は帝国の支配者になるつもりはありません。皇帝の座に興味はありませんし、そんな面倒な役目、ただで貰えるとしても私の方が願い下げです」
拒絶するミュラーだが、クラレンスもその答えは予想していたようで、無理に食い下がろうとはしない。
「そうですか、残念です。ミュラー殿ならば結構良い皇帝になれると思うのですが・・・。仕方ありません、他の方法を考えるとしましょう」
クラレンスの「残念だ」という気持ちは本心のようだが、ミュラーも自分の信念を曲げるつもりはない。
「私は予定どおり現在の帝国に対して自衛的な積極的攻撃を敢行し、現在の帝国をぶっ壊します。私が行うのはここまでで、その後はクラレンス殿のお好きなようにしてください」
ミュラーの言葉にクラレンスは笑みを浮かべながらため息をつく。
「それでは苦労ばかり引き受けて見返りが何も無いではありませんか?」
「軍人というのは身の丈以上の見返りを期待してはいけないのですよ」
「まったく、ミュラー殿は色々と面倒なお方だ。まあいいでしょう、ミュラー殿の案に従いましょう」
クラレンスは笑い混じりの呆れ顔で退室していった。