悲劇の始まり1
ドワーフ猟兵が放ったバリスタの矢は騎兵連隊の戦闘集団を巻き込みながら着弾したが、エストネイヤ伯爵も集団の間隔を開いていたこともあり効果は然程でもなかった。
そして、突撃を止められなかった騎兵が一気に距離を詰めたため、バリスタの第2射は間に合わない。
「バリスタを放棄して後退!代わりに擲弾兵前へっ!」
馬車と荷車に積載したバリスタをそのまま騎兵に対する障害物として放棄して後退した猟兵に代わり、前方に出たのはドワーフ擲弾兵だ。
小隊長のマージが率いる擲弾兵5人はそれぞれが火薬玉を手にしている。
「目標距離50、2号玉用意!」
マージの号令で擲弾兵達は火薬玉の安全符を引き抜いてアルコールを流し込んだ。
「3、2、放ていっ!」
狙うは突撃態勢にあるエストネイヤ騎兵連隊の目前。
バン、バン、バンッ!
微妙に炸裂のタイミングをずらした火薬玉が敵の目の前で次々と炸裂した。
威力は低いが炸裂音と効果範囲に特化した火薬玉の効果は抜群で、炸裂音に驚いて転倒する馬、飛び散った破片を食らい落馬する者、そして、それらに巻き込まれる後続の騎兵。
初撃で20騎以上の損害を与え、一定の成果を上げたものの、エストネイヤ騎兵連隊にすれば微々たる損害だ。
戦闘集団の残存数十が迫る。
「擲弾兵後退!盾兵は防御体形を構築しつつ徐々に後退!敵を領都に引き込む!」
ゲオルドの指示で擲弾兵が一目散に後退して領都内の各所に潜伏し、その間に大盾を装備した中隊が盾を重ねて壁を作り出した。
「ゲオルドか・・・。面倒な奴が領都に残っていたな」
リュエルミラの防衛部隊の中にゲオルドの姿を見たエストネイヤ伯爵は既に突撃態勢に入っている前衛部隊はそのまま突撃させ、本隊の足を止めた。
かつてエストネイヤ騎兵連隊の部隊長を務めていたゲオルドが相手では一筋縄ではいかない。
現に現在の連隊の中隊長以上の指揮官の多くはゲオルド自身が鍛え上げた者達だ。
数の上で圧倒的有利でも地の利を得ているゲオルド相手では分が悪い。
「無理をする必要はないが、せっかく連隊を動かしたのだ。ミュラーの裏をかけたことだし、もう少し突っついてみるか」
ゲオルドの防壁に突っ込んでゆく前衛部隊を見送りながらエストネイヤ伯爵は呟いた。
領民達を収容したミュラーの館では敷地内の様々な場所に領民を避難させていた。
病人や老人、赤ん坊やその母親、その他の女性達は館の中や使用人の宿舎に、男性等の体力のある者は屋外に待機する。
内戦の最中、リュエルミラに避難してきたシャミル、ミルシャとハロルドの3人の皇子と貴族達は地下の倉庫に隠れるが、彼等と共に避難してきた近衛騎士と領兵の中で志願した者は盾と棍棒を装備して敷地内の守りに就く。
衛士とリュエルミラ冒険者ギルドから名乗り出た冒険者達は館の外周の防御に当たる。
ローライネは館のバルコニーに立ち、全体を見渡しながら指示を出すが、そのローライネを補佐するのは行政所長のサミュエルとリュエルミラにハロルド等を連れてきたクラレンスだ。
そんな中、孤児院から避難してきたシスターと職員、そして孤児達はパットとステア、サムの誘導でサムが使っている道具小屋に避難しようとしていた。
サムの道具小屋は館の裏手にあり、敵が攻めてくる正面から一番離れた位置にある。
「みんな慌てないで、お兄さんやお姉さんは小さい子と手を繋いで離しちゃだめだよ。大丈夫だよ、何も恐くないからね」
パットが先頭に立って子供達を誘導しているが、どういうわけかミュラーの館に身を寄せていたエルフォードのラルクとその姉のソフィアが手伝っている。
ローライネは館が攻められれば真っ先に狙われる要人達を地下の倉庫に隠れさせることにしたのだが、そんなことは知らないパットは地下倉庫に隠れる前のラルクの姿を見かけると
「そんなところでウロウロしてないで手伝ってよ」
と無意識であるが、越権行為も甚だしい発言によりラルクを強引に手伝わせて、それに気付いたソフィアも率先して避難誘導に加わったというわけだ。
パットとステア、その他のメイド達とラルク、ソフィアが子供達を誘導し、サムが殿を守る。
庭園を抜けて館の裏側に回り込もうとしたその時
バゴンッ!ガラガラガラッ!
突然館の外周の壁が崩れた。
「みんな逃げろっ!」
殿にいたサムが叫ぶが、子供達は足が竦んで動くことができない。
というのも、壁が崩れた場所から剣を構えた5体のリザードマンと壁を叩き壊した元凶であろう、1体のサイクロプスと2体のオーガが侵入してきたからだ。
「抵抗しないでください。降伏してくれれば私達は貴方達に危害を加えません。そうすれば今この都市を攻めているエストネイヤ伯爵も直ぐに攻撃を止めると約束してくれています」
サイクロプスの肩の上の少女、魔物使いの冒険者プリシラが叫んだ。
外壁の外側にはまだ複数の魔物の姿が見える。
エストネイヤ騎兵連隊が陽動となり、本命のプリシラが背後を突く。
エストネイヤ伯爵の策が完全に嵌まったのだ。
子供達を守ろうと魔物達の前に立つサムとステア。
サムの手には丸太のような棍棒が握られている。
「ステアは直ぐに奥様に知らせに行ってくれ」
「何を言っているのサム。貴方や子供達を置いていけるわけないでしょう?」
「子供達は俺が守る。それに、頭の悪い俺でも分かる。俺とステアの2人がここにいちゃ駄目だ。奥様に知らせなきゃ。そして、それはステアの方がいいんだ」
ステアに背を向けて立ちはだかるサム。
庭師として穏やかに暮らしてきたサムだが、強靱な筋肉に包まれた肉体にいささかの衰えも無い。
並の兵士が束になって掛かってきてもサムならばびくともしないだろうが、目の前にいる魔物の集団ではそうもいかないいだろう。
それはステアが加わっても同じことだ。
「分かったわサム。直ぐにローライネ様に知らせてくるから下手に手出しをしてはダメよ」
「大丈夫だ。子供達には指一本触れさせない」
ステアはサムから離れて駆け出した。
1人で魔物達の前に立つサムは振り返ることなく立ち竦んでいる子供達に呼びかける。
「大丈夫だ。俺は強い、あんな奴等になんか負けないぞ!」
そんなサムを包囲しようと魔物達が前に出るが、その足がサムが育てた花々を踏み荒らす。
「花を踏むな!ここはミュラー様の庭だ。俺が育てた花を踏むなっ!」
棍棒を構えるサムの迫力に気圧された魔物が威嚇の声を上げたが、その声に怯えた子供達が泣き出してしまう。
「子供達を泣かせるなっ!」
子供達の泣き声を聞いたサムの怒りが爆発した。