陥落
エストネイヤ伯爵の騎兵連隊が撤退したのを確認したミュラーはソフィアとクラレンス、3人の皇子等を伴って領都へと帰還した。
帝位継承の意志が無いとはいえ、継承権を持つ皇子等を受け入れてしまったので、今後の対応を決めなければならない。
直ちに行政所長のサミュエルを呼び出したミュラーはクラレンス等との会合の席を設けた。
参加するのはミュラー、ローライネ、フェイレス、バークリー、サミュエルにクラレンス、ソフィアだ。
3人の皇子は1歳にも満たない乳児のハロルドと4歳の幼児のミルシャ、シャミルの双子であり、一緒に脱出してきた乳母や女官に加えてミュラーの館のメイド達が別室で面倒を見ている。
「ミュラー殿、ハロルド殿下達を受け入れてくれたこと、お礼申し上げます」
改めて謝意を示すクラレンスだが、腹の底では何を考えているのか分からない。
若くして帝国宰相の地位にあるのは伊達ではないのだ。
そう、クラレンスはグランデリカ帝国の宰相なのである。
「詳しい事情が分からない今、まだ感謝の気持ちを受け取る段階ではありません。そもそも、帝国宰相ともあろうお方が帝国の危機に際して何故にこのような辺境に逃げてきたのか?3人の皇子達を護るためだけとは思えません。そして、何より警戒すべきは貴方が持つその箱の中身だ」
ミュラーは対面に座るクラレンスの卓上に置いてある箱を指差した。
華美ではないが、重厚な造りで厳重に管理されている。
現に、ハロルド達の護衛目的で黙認した筈の剣を携えた近衛騎士2名がクラレンスの背後に控えている程だ。
「お察しのとおり、私の目的はこの箱の中身を持ち出し、安全な場所に保管すること。ハロルド殿下達を連れてきたのは、未だ幼く何も理解出来ないお三方が戦禍に巻き込まれるのはあまりにも忍びないというアンドリュー様のお考えであり、真の目的のついででしかありません」
ミュラーはクラレンスを睨む。
「3人の幼い皇子を闘争に巻き込ませたくないという心境は理解できます。しかし、より多くの国民が宮廷闘争に巻き込まれて危険に曝されている。まあ、全ての人の命は平等だ、なんてきれいごとは言いませんが、理不尽極まりないと思えませんか?」
ミュラーの牽制をクラレンスは涼しい顔で受け流す。
「そこはそれ、アンドリュー様の我が儘でもありますし、私の手が届くのもハロルド殿下達が限界です。折角お救い出来るのに不公平だからと見捨てるわけにもいきませんからね。それに、国民の危機を語るならば、ミュラー殿とて同じでしょう?多くの国民が内戦に巻き込まれている中で自領の民の安全を優先して他の国民を救おうとはしない。いや、ミュラー殿の選択は領主として何も間違えてはいませんが、これも大いなる矛盾ではありませんか?」
互いに牽制し合うように見えるミュラーとクラレンスだが、何のことはない、単なる嫌味の応酬でしかない。
その内容を要約すると
『帝国宰相ともあろうお方が幼い3人の子供を助けたいと言っておきながら、多くの国民を見捨てて逃げてくるなんて何を考えているんだ』
『アンドリューの命令だし、3人を残して私だけ逃げると色々と都合が悪い。そもそも傍観者を決め込んで国民の危機に何もしなかった貴方に言われる筋のことではない』
となる。
「混乱する帝都を脱する際に私はアンドリュー様から多くを託されました。アンドリュー様に万が一のことがあろうとも、どれ程の時間を要しても、時が熟すれば宰相として帝国の平穏を取り戻すことが私の責務です。それはリュエルミラの安定を守るためでもあります」
(起死回生の策を持って敗色濃厚の帝都から逃げてきました。ハロルド殿下が成長すれば真の帝国を再興することができます。だから知らん顔せずに手伝いなさい)
「宰相殿の策とやらに興味はありませんし、その箱の中身を知るつもりもありません。貴方達はリュエルミラの保護下にありますのでその安全は保障します。今はハロルド皇子等の安全を第一に考えてください」
(面倒事を持ち込んだり、私に余計な物は見せるな。ここで大人しくしていてくれ)
表面上は穏やかに話す2人だが、その裏では角を付き合わせて激しい火花が散る。
ソフィアはそんな2人の間に入り込めないし、フェイレスは呆れて何も言わない。
そんな中、痺れを切らしたローライネが立ち上がる。
「ミュラー様も宰相様もいい加減になさってください。宰相様達もまだリュエルミラに来たばかりです。先ずは身体をお休め下さい!」
ローライネに一括されて一旦は矛を収めたミュラーとクラレンスだが、ローライネの言うとおりにはならなかった。
「特1号の緊急報告です!」
重要会議すらも遮ることも許される最優先の報告を手に駆け込んできた伝令兵。
手渡された報告文に目を通したミュラーはため息をついた。
「デュランの軍勢により帝都が陥落した。アンドリュー様の安否は不明、帝都にも甚大な被害が生じ、住民にもかなりの数の犠牲者が出たらしい」
その場を重苦しい空気が支配する。
クラレンス等が帝都を脱出した時点で予測されたことだが、報告の内容にある帝都の被害が大き過ぎるのだ。
「帝都にまで魔物を攻め込ませるとは。デュラン様の策とは思えませんが、これが現実ですか・・・」
クラレンスもミュラーに渡された報告文に目を通し、怒りに拳を握り締めている。
直ぐにでも次の対応を考えなければならないところだが、まだ情報が足りない。
ミュラーが情報収集を継続するように下命した矢先、更なる急報が届けられた。
報告をもたらしたのはエルフォード境界の警戒のために現場に残ったゲオルド配下の伝令兵。
「エストネイヤ伯爵がエルフォード領都を占領したか」
帝都に続いてエルフォード領都陥落の知らせはミュラーに決断の時が迫っていることを意味していた。