とある少女の悲哀
戦いの天秤はデュランへと傾いた。
ミュラーがにらんだとおり、戦線の各所で綻びが生じ、防衛線を後退させる際に生じた間隙を突かれたアンドリューの軍は帝都付近まで一気に押し戻されている。
アンドリュー側の損害は兵力の3割弱で、未だに数の上では優勢を保っているが、その数の上で有利だと思っていた中で友軍部隊が次々と各個撃破され、防衛線を維持できなくなり後退を余儀なくされた精神的な損害は計り知れない。
現に前線では逃亡や投降したり、デュランに寝返る部隊も出始めていた。
戦況が一変し、デュランの軍が帝都に迫る勢いであることの報告を受けたエストネイヤ伯爵は自らの領兵連隊2千を率いて領都から出撃した。
内戦の前、スクローブ侯爵領において、エドマンド皇帝亡き後にデュランを皇帝として帝国の実権を手に入れることを目的として多数の貴族が賛同して結ばれた盟約。
その盟約にはエストネイヤ伯爵も名を連ねていたのだが、いざデュランが挙兵した時にはエストネイヤ伯爵自らは参戦しなかった。
デュランやスクローブ侯爵等の不興を買わないため、家督の継承者である長男に5百程の騎兵を預けて参戦させたが、エストネイヤ伯爵自身と領兵連隊の主力は領都に留まり、戦況の流れを観察して次にどう動くべきなのかを見極めていたのだ。
全軍を率いるデュランはやや直情的ではあるが、優秀な戦略眼の持ち主である。
同じく優秀なアンドリューと対峙しても互角かそれ以上の戦いを展開することが出来るであろう。
そのままデュランが指揮を続ければ帝国を支配することも不可能ではないのだが、問題はその後ろ盾だ。
多くの貴族がデュランの下に馳せ参じたが、その中心となるのはスクローブ、ラドグリスの両侯爵であり、デュランが真の皇帝となった暁にはどちらかの侯爵が宰相の地位に就いて帝国の実権を手に入れるだろう。
しかし、それは宰相の座を巡るスクローブ侯爵とラドグリス侯爵の争いでもあるのだが、特にその争いに躍起になっているのはスクローブ侯爵だ。
というのも、デュランの姉であるエリーナはラドグリス侯爵の長男に輿入れすることが決まっている。
つまり、ラドグリス侯爵は皇帝の姉の義父になるため、デュラン帝政の宰相に最も近い人物だと目されており、一歩出遅れているスクローブ侯爵がそれを挽回せんと目論んでいるのだ。
スクローブ侯爵の人となりを鑑みても、どんな非情な手を使ってでも内戦での功績を挙げようとするだろうが、そんなことに巻き込まれるのは何としても避けたい。
そこでエストネイヤ伯爵は息子を名代として少数の兵力を預けて前線に送り出し、自らは参戦せずに機会を覗っていたのだ。
そして、戦況が大きく動いた今、エストネイヤ伯爵は自ら領兵連隊を率いて出撃したのである。
しかし、目指すのは帝都攻略の最前線ではない。
エストネイヤ伯爵はもっと先を見据えていた。
主戦場が帝都付近まで後退した後のある戦場跡。
帝国軍第1軍団の騎兵大隊が布陣していたこの地は今や兵や軍馬の屍が散乱する惨劇の跡地と化していた。
その惨劇を生み出したのはトロルやオーガ等の数十体の魔物達。
その手に持つ巨大な斧や棍棒には生々しい血や肉片がこびりつき、凄絶なる殺戮の後であることを物語っている。
その中心にに1体のサイクロプスが佇んでいた。
多分に漏れず両手を血に染めたその巨人の単眼はその恐ろしい風貌とは裏腹に悲しげな雰囲気だ。
サイクロプスの視線の先、自らの右肩の上にその少女はいた。
サイクロプスの肩の上で膝を抱えるように蹲るのは魔物使いの冒険者プリシラ。
「・・・もう嫌だよ・・・こんなひどいことはしたくないよ。みんなにもこんな辛いことはさせたくない・・・もう許してよ。・・・でないと・・・私が私でなくなってしまう。恐いよ・・お願い・・・誰か助けてよ」
サイクロプスの肩の上で嗚咽を漏らすプリシラの前に彼女が使役する魔物達が集まる。
全身血にまみれた魔物達はサイクロプスの肩で悲哀にくれるプリシラを慈しむように、崇めるように見上げていた。