開戦
帝国に戦乱の烽火が上がった。
遂にアンドリューとデュランによる武力衝突が始まったのだ。
「状況はどうなっている?」
フェイレスとバークリーを前にミュラーが確認する。
「まだ始まったばかりで戦況云々の問題ではありません。状況的にはデュランの軍勢が帝都に向かって進軍を始め、アンドリュー側が帝都を出て迎え撃つ、といったところです。今のところは各所で先陣部隊同士が衝突した程度で、大規模戦闘は発生していません。現状でどちらが有利、とかいう状況ではありませんね」
バークリーの説明にミュラーは頷く。
「まあ、そんなところか。戦況がどちらに傾くかはもう少し進行しないと分からないな。ところで、我がリュエルミラの周辺の他家の様子はどうだ?」
こちらの問いに答えるのはフェイレスだ。
「リュエルミラの東側のアラミス伯爵家と南東に隣接しているオルトレン伯爵家はアンドリュー支持を表明し、それぞれ帝都に連隊を派遣しています。それから、エルフォード子爵家もアンドリュー支持を表明しましたが、領兵の派遣はしていません」
「子爵は連隊規模の領兵を持つことは認められていないからな。ラルクのエルフォードも今のところは中隊規模の領兵のみで、それも先の古代スライム騒ぎで損耗した部隊の再編を終えたばかりだ。アンドリュー側としてもそんな部隊を戦力として加えるわけにはいかないのだろう」
ミュラーは卓上に広げられた地図のエルフォード領都に盤上勝負で使用する歩兵の駒を置き、地図の各所に配置された様々な駒を見ながら状況を分析する。
リュエルミラ領内各所も部隊の配置を完了しており、暫くの間は直線的な脅威の心配はないだろう。
「当面は現状を維持しながら様子見を継続だな」
ミュラーは帝都北東にあるエストネイヤ伯爵領に置いた騎兵の駒を睨みながら呟いた。
様子見を決め込むとしてもやるべき事は多い。
アンドリュー、デュラン両陣営の動静と戦況についての情報収集。
ランバルト商会を通じてのロトリアとの穀物取引。
そして、煩わしいのが他家からの誘いに対する返信だ。
開戦以後、双方の陣営に属する貴族から参戦の要請が後を絶たない。
この内戦がどのような結果になろうとも、宮廷闘争には加担しない、どちらの勢力にも与しないというリュエルミラの意志を明らかにするため、個々の要請に対して参戦を拒絶する旨の返事を認める。
「しかし、これは一体何を考えているんだ?」
ミュラーを敵視している筈のスクローブ侯爵とラドグリス侯爵からの要請書を前にため息をつくミュラー。
普段ならば放置するところだ。
しかし、今回だけはどのような相手であろうとも挑発的な返事ではなく、リュエルミラの立場を丁寧に説明する文書で返信する必要がある。
当初はバークリーに代筆させようとしたが、元来の性格故か、バークリーの書く文書は丁寧でありながらどこか嫌みったらしい。
フェイレスに任せれば間違いないのだが、フェイレスはフェイレスでミュラーに回す仕事の仕分けやその他の業務が山積みだ。
仕方なくミュラーがペンを取ったのだが、元々筆不精のミュラーにとっては苦痛でしかない。
気乗りしない仕事に疲れたミュラーはローライネを誘って館の庭園を散策しながら気分転換をすることにした。
「本当にこの庭園は素晴らしいですわね。冬になろうというこの時期なのにこんなに沢山の花が咲いていますわ」
息抜きとはいえ、ミュラーを独り占めできるローライネはすこぶる上機嫌だ。
ミュラーの手を引いて庭園に咲き乱れる花々を楽しんでいる。
「サムが季節に合わせて花を育てているからな。サムの植物に関する知識と育てる技術は素晴らしい。本当に植物が好きなんだな」
今やトレードマークとなった麦わら帽子を被り、庭園の中でせっせと花の手入れをしているサムを眺めながらミュラーも笑う。
庭園にある東屋ではサムの姉であるステアがお茶の準備をしている。
「短い時間だが、せっかくのんびりできる機会だ、有意義に過ごそう」
ローライネをエスコートして東屋のテーブルに着いて肌寒い風を受けながら温かいお茶を楽しむ。
ミュラーが特に何も話さないのでローライネもニコニコと笑み見せながら沈黙を楽しんでいる。
そんな2人に気付いたサムがのそのそと大きな身体を揺すりながら近付いてきた。
その手には花畑から間引いたものであろう、幾つかの花を手にしている。
「ミュラー様、奥様こんにちは」
サムが摘んだばかりの花をローライネに差し出した。
「花瓶に生けて窓際で風に当ててあげればまだまだ元気に咲く」
「ありがとう、サム。とっても綺麗ね」
受け取った花の香りを楽しむローライネ。
そんなローライネの笑顔を嬉しそうに見るサムだが、ミュラーを見て表情を険しくした。
「ミュラー様、兵隊達が忙しそうにしている。戦いがあるのか?」
心配そうなサムにミュラーは首を振る。
「戦いにならないように皆が頑張っているんだ」
ミュラーの言葉に安心した様子のサム。
「そうか、よかった。俺、戦いは嫌いだ。でも、悪い奴等が来るならば俺も戦おうと思っていたんだ」
「そうならないように私が頑張るさ。それでも、サムが必要だと思った時、その時にはサムが大切だと思うものを守るために力を使え。・・・そういえば、前にも同じことを言ったかな?」
肩竦めるミュラーにサムは力強く頷く。
「覚えている!ミュラー様が俺を庭師にしてくれた時に言っていた。俺、ここに来て一生懸命働いて、ステアの他にも大切なものが増えた。ミュラー様や奥様にミュラー様の仲間達、それに街の人達もみんな優しくて大好きだ。それにミュラー様が任せてくれたこの庭は俺の宝物だ。だから俺の大切なものを守るためになら俺は勇気を振り絞って戦う!」
庭師をしていても衰えが見られない肉体で力こぶを見せるサムにミュラーは頷く。
「そうだな。でも、そんな時が来なければいいな。そのためには私がもっと頑張るさ」
ミュラーの言葉にサムが、ローライネが、ステアが笑った。
帝国が戦乱に包まれつつある中、ミュラーは一時の安らぎの時間を楽しんだ。