エリザベートの思惑
「実は私、ミュラー様を籠絡しようとしていましたのよ。私の身を差し出してミュラー様に取り入ろうとしていましたの」
「ブッ・・・!なっ、何を・・・ゲホッ・・」
密談も終わり、お茶を飲んでいたミュラーは笑顔を浮かべながら話すエリザベートのとんでもない発言に盛大にお茶を吹き出した。
給士をしていたステアが無言でテーブルを拭き、ミュラーのカップに新しいお茶を注ぐが、その際のステアの非常に楽しそうな目を見てミュラーは背筋が寒くなる。
(マズい!ローラに告げ口されてしまうかも・・・いや、絶対にされる)
弟のサムと2人、地下闘技場の闘士から奴隷に売られるという辛い過去を持つステアだが、姉弟共にミュラーの館で職を得て、穏やかな日々を過ごす間に同じ年代の他のメイド達とも仲良くなり、年頃の娘らしくなってきていた。
つまり、人の色恋沙汰に興味津々で、噂話等も大好きなのである。
特に最近はローライネ付のメイドであるアンとメイとも仲が良い。
しかも、現在ローライネは避難民の保護に向かっているが、戦闘の心得が無いアンとメイは館で留守番なのだ。
直ぐにでもステアの口を塞がなければならないと一瞬の間に判断したミュラーだが、ステアの動きの方が早かった。
いつの間にかポットを乗せたワゴンを押して執務室の出口に向かっている。
「ステアッ、ちょっと待って・・・」
「おかわりのためのお湯とお茶菓子を補充してきます。少々お待ちください・・・クスッ」
「そうでなくて・・・あっ」
笑みを浮かべたステアはミュラーが止めるのも聞かずに退室してしまう。
目の前にエリザベートがいるので後を追うことも敵わない。
「如何致しました?ミュラー様?」
エリザベートは首を傾げる。
「如何も何も、私を籠絡しようなどとは、笑えない冗談ですよ」
「あら、冗談ではありませんよ。前回の会談の時、ミュラー様がご結婚される前のお話ですけど」
エリザベートは前回の会談の際にミュラーの婚約者の存在は知っていたが、隙あらばミュラーに取り入ろうと画策していたらしい。
しかし、実際にローライネに会って付け入る隙が無いことを悟って諦めたということだ。
(クソッ!なんで今ステアがいない!)
肝心な時に席を外しているステアだが、後からミュラーが説明したところで苦しい言い訳としか取られないだろう。
「しかし、現実的な可否について、かなり無理のある計画ではありませんか?」
「あら、そうでもありません。確かに、ゴルモア公国とグランデリカ帝国は敵対関係にあります。しかし、私はロトリア領主として領民の生活の安定を第一に考えています。領民を守るためにはゴルモア公国を離れてグランデリカ帝国に編入してもらうことも選択肢にありました」
非常に危険な発言をこともなげに話すエリザベート。
「それこそ無茶だ。公国がロトリアを手放すわけがない。貴女を拘束し、領地没収の上で処罰されるだけでしょう?」
「迂闊に行動すればそのような結果になるでしょうが、慎重に事を運べば成功の可能性は十分にありました。確かにロトリア領兵だけでは公国軍に敵うはずもありません。そこで、先ず私がミュラー様に接近し、この身を最大限に利用してミュラー様の協力を得る。私とミュラー様が個人的に仲を深めてあわよくば婚姻を結ぶことができれば、ロトリアをリュエルミラに併合させるなり、帝国の領地として編入させるなりのことが可能になります。グランデリカ帝国にしてみれば、ロトリアを手に入れるということは公国に楔を打ち込むことが出来るので、喜んで手を貸してくれるのではないかと思います。その上で、ロトリア守備のためにそれなりの規模の軍を派遣してくれるでしょう」
「しかし、領民を守るためと言うが、公国との戦闘になれば間違いなく領民を戦禍に巻き込んでしまうでしょう?それこそ本末転倒だ」
「いいえ、そうでもありません。今回の難民流出でも分かるとおり、公国の食糧難に伴う民の不満は深刻です。ロトリアが公国に叛したとなれば追従する他領や反乱を企てる民が必ずいます。そうすれば公国軍はロトリアだけに集中することは出来なくなります。しかも、我がロトリアは公国首都から離れた最南端に位置しており、兵站に不安のある公国軍がロトリアを攻めることは簡単ではありません」
ミュラーの表情が険しくなる。
「つまり、他領や他の民がロトリアへの障害になると?彼等を犠牲にしてでもロトリアを守るつもり、ということですか?」
ミュラーの問いにエリザベートはさも当然のように頷いた。
「はい、私が守るべきはロトリア領民であり、それが私の責務です。それ以外の者の優先順位はずっと低いですね。・・・まあ、その計画もミュラー様の婚姻で頓挫しましたけど、そのおかげでリュエルミラの穀物を輸入することが可能になり、より安全に領民の生活を安定させることが出来ました。結果的にはこちらの方がよかったですね」
つまり、エリザベートがミュラーを籠絡しようしていたのは過去の話なのだが、この肝心な時にステアは戻ってこない。
「まあ、私は色恋沙汰には無頓着で、ローライネとの婚姻も半ば押し切られたようなものです。しかし、仮に私がローライネに出会ってなく、エリザベート殿が私を籠絡しようとしても私はその気持ちには気付けなかったでしょう」
とりあえず今はもうエリザベートにそのつもりは無いようなので一安心したミュラーは雑談的に話を続けた、いや続けてしまった。
「そんなことありませんわ。多少なりとも自信はありましたのよ。ミュラー様と私は同い年ですが、見てのとおり私は10代から20代の若々しい肉体と容姿を持っています。私のこの姿を魔術や呪いの類だと噂する者もいますが、それは誤りです。実は、私の家系には僅かながらエルフの血が混ざっていて、肉体の成長が人よりも遅いのです。寿命は人間よりもほんの少し長い位ですが、例えば70歳を過ぎた老人になっても見た目は40代そこそこで止まっていると思います」
敢えて聞くことが出来なかったが、エリザベートが異様に若々しいのはエルフの血が混ざっていることが原因らしい。
「なるほど、そのような事情でしたか。他の人間の女性から見れば羨ましい限りなんでしょうな」
「まあ、私の見た目について他の者の評価など気にしていませんが、ミュラー様を籠絡するためには最大限利用するつもりでした」
・・・カチャ・・・
エリザベートの話の途中で執務室の扉が開いた。
ミュラーが凍りつく。
「この若々しい肉体と美貌があればミュラー様を虜にすることなど造作もありませんわ」
とんでもないタイミングでステアが戻ってくる。
エリザベートの話を聞いたステアが満面の笑みを浮かべた。
「お待たせしました」
「いや、違・・・」
「ミュラー様、エリザベート様とのお茶の時間をごゆるりとご堪能ください」
笑顔のままミュラーの言葉を聞き入れようとしないステア。
ミュラーは目の前に注がれたお茶を一口飲んだが、緊張か恐怖のためか、何の味も感じられなかった。