エリザベートのお願い1
笑顔のままミュラーの手を握って離さないエリザベートにミュラーの背筋に汗が流れる。
(そういえば、エリザベート殿は最初から『1つ目』のお願いとか言っていた・・・もしかして、してやられたか?くっ、この女の人、苦手だ)
心の声を悟らないように辛うじて無表情を保つミュラーだが、ふと見ればフェイレスが呆れ顔でミュラーを見ている。
(気付いていたなら教えてくれよ・・・)
エリザベートとフェイレスにはミュラーの心の声が聞こえているのか、いないのか、確信を持った笑顔と全てを悟った無表情に挟まれてミュラーの脳裏に敗北をの文字が過った。
「2つ目・・・って、あと幾つお願いが控えていますか?」
ミュラーとて際限なしに願いを聞き入れるつもりはない。
それどころか2つ目の願いですら内容を聞いてみるまでは承諾するか否かは分からないのだ。
「あら、人聞きの悪い。私、そんなに厚かましくありませんよ」
そう話エリザベートは十分に厚かましいが、とりあえず要望を聞いてみることにする。
「お願いを聞くかどうかは、先ずその内容を聞いてからです」
エリザベートは頷いた。
「こちらのお願いの方がご負担をお掛けすると思うのですが・・・」
(やはりな・・・)
「実は、ゴルモア公国からの難民を受け入れていただきたいのです」
笑顔を消して真剣な表情で訴えてきた。
「・・・どういうことですか?ロトリアで何かが?」
「いえ、これは我がロトリアのことではありません。穀物取引のおかげで我が領民は十分ではないにせよ、飢餓の恐怖から脱しつつあります。しかし、ゴルモア公国全体で見ると食料危機に陥っている地方が幾つもあるのです。このお願いは我がロトリアの遠縁に当たり、ここにいるシェリルの実家に近しい領家が治める領の領民達です」
ここでエリザベートの横に座るシェリルが立ち上がった。
「ロトリアよりも北方に私の叔父の領があるのですが、我が叔父でありながら領主として有能とはいえず、領民は飢餓に苦しんでいます。ご存じのとおり、ゴルモア公国は穀物が育ちにくい土地なのですが、叔父が治める地方は今年は特に凶作で、これから冬を迎えるにあたり一部の領民は冬を越すことができないでしょう。領民の多数を占める中間層や一部の裕福層は大丈夫と思われますが、貧困層や領内に住む他人種の部族の幾つかは冬を越せません。そんな彼等が救いを求めて土地を捨てて難民となり、方々に散りました。しかし、それは希望など無い、当ての無い旅となります」
「難民の一部は我がロトリアにも救いを求めてやってきました。しかし、ロトリアも決して余裕があるわけではなく、難民を受け入れることはできません。私は領主として領民のことを優先するため、同じゴルモアの民を拒否する選択をしたのです」
ミュラーの表情が険しくなる。
「それでエリザベート殿が拒否した難民をリュエルミラに押し付ける、というわけですか?」
だとしたらいくらなんでも虫が良すぎる。
「いえ、押し付けるつもりはありません。私も彼等の受け入れを拒否する代わりに僅かながらの食料を供出しましたが、到底足りる量ではありません。そして彼等は僅かな食料を手にゴルモア公国を見限って旅立ちました」
「その先がリュエルミラだと?」
「ロトリアからリュエルミラには間にある山脈を越える険しい山道を抜ける他に道はありません。彼等に残された体力と食料ではこの山道を抜けることは困難で、多くの者が命を落とすことになるでしょう。私自身も彼等がリュエルミラに向かうとまでは考えていませんでしたが、公国の最南端にあるロトリアに拒否されたとなると、他に選択肢が無かったのでしょう。彼等が南に向かったと報告を受けた私はそれが途轍もなく危険でありながら、ごく自然な選択だと感じました。私は彼等を拒否した立場ですから、彼等を止める権利もありません。そこで私は極秘裏に、彼等よりも先にリュエルミラを訪れてミュラー様のお耳に入れ、厚かましいことですが、彼等のことをお願いしようと考えたのです」
「そうしますと、難民達は既にリュエルミラに向かっていると?間もなく冬を迎えようというこの時期にあの山道を越えようとしているのですか?それは無謀過ぎる!」
「それでも彼等に他に道はありません。私はここに来る道すがら彼等を追い抜いてきましたが、あの速度ではまだ山道の半分にも到達していないでしょう」
「人数は?」
「老人、子供、他人種部族を含めて5百人程。幾つかの集団に分かれていますが、リュエルミラに到着する頃にはその数はもっと減っている筈です」
「・・・・」
ミュラーは言葉を失った。
これは難し過ぎる問題だ。
他国からの難民の受け入れなど容易に決断できるものではない。
傍らにに座るローライネは怒りのせいか、小刻みに手を震わせながら、やはり険しい表情を浮かべている。
ミュラーはフェイレスを見た。
「どうすべきだと思う?」
意見を求められたフェイレスは無表情のまま口を開いた。
「帝国法に照らせば、敵対国の民とはいえ、国から逃れた難民を受け入れることは何ら問題ありませんし、このリュエルミラは主様に自治権を委ねられた自治領ですので主様の決断に異議を申し立てることのできる者はおりません。加えて今のリュエルミラにはある程度の余裕もあります。しかし、私は反対です。理由は3つあります。まず、以前の古代スライムの際にエルフォードの避難民を受け入れたこととは事情が違います。今回の難民を受け入れるということは、一時的なものではなく、長期的に彼等を支援する必要がありますが、それによるリュエルミラの負担は膨大なものになります。将来的な労働力の確保といっても、利益よりも損失の方が大きいでしょう。2つ目は、大変失礼ながら素性の分からない5百人もの集団を受け入れることは領内治安的にもリスクが高いです。そして3つ目は、そもそもリュエルミラは難民を受け入れる理由がありません。強いて言えば人道的なものだという理由がありますが、そこには義務も義理もありません」
ミュラーも頷く。
「私もフェイと同意見だ。エリザベート殿との1つ目の約束の利点を加味しても、我々の負担が大きすぎる」
ミュラーの判断にエリザベートは表情を変えず、それ以上は食い下がってもこない。
エリザベートとしても無茶な頼み事だと分かっているのだ。
交渉決裂か、という空気が室内に広がった時、その空気を引き裂いたのはローライネだった。
「何を仰いますのミュラー様!もしもリュエルミラが拒否したら険しい山道を越えてきた難民の皆さんはどうするのですか?少ない食料も底をつき、他に向かうことも敵わないでしょう。数百に及ぶ彼等の屍をリュエルミラに晒すつもりですか!それを目の当たりにした領民達はミュラー様のことをどう思いますか?」
ローライネの言うことも尤もだが、受け入れを拒否することは難民を見捨てることになるのはミュラーもフェイレスも理解している。
それを理解した上での選択だ。
「リュエルミラとロトリアの境界は山脈を越えたリュエルミラ側です。まさか、必死の思いで山脈を越えて救いを求めて来た難民達を国境線で追い返すおつもりですか?国境を守る領兵や衛士達にそんな非情な役を負わせるのですか?」
「「・・・・」」
ローライネの話は感情論、理想論だが、非の打ち所の無い感情論にミュラーもフェイレスも反論することができなかった。