ミュラーの結婚準備
憂鬱な宮廷晩餐会を乗り越えたミュラーだが、リュエルミラに戻ってからも多忙な日々が続く。
宣言してしまった以上は後戻りはできない。
ローライネとの結婚の手続きを進めなければならないのだ。
ミュラーだけならばしきたり等は必要は無いが、結婚は1人の問題ではない。
ミュラーが「結婚式は無用だ」と言えばローライネも異を唱えることはないだろうが、いくらミュラーが朴念仁であろうとも、それではあらゆる面でけじめがつかないこと位は理解している。
そして何より、全てを失う覚悟でリュエルミラに来て、ミュラーの妻(仮)として尽くしてくれたローライネの想いに応えなければならない。
「しかし、面倒なものだな・・・」
執務室でフェイレスとクリフトンを相手に結婚式の打ち合わせをしていたミュラー。
他家の者を招待する予定は殆ど無く、領内のみでこぢんまりとした式の予定ではあるが、それでも皇帝への報告の書簡や他家に送る挨拶状等の政治的なしきたりや領民への振る舞い等、決めるべきことが多く、うんざりしたミュラーは思わず呟いた。
「コホンッ・・・」
「ミュラー様、そのお言葉をローライネ様の前で絶対に言ってはいけませんぞ」
フェイレスとクリフトンに窘められるが、その程度はミュラーも弁えている。
ローライネはローライネで結婚式の進行や衣装の準備で大忙しだ。
「ローライネ様は敬虔なるシーグル教の信者ですから、今回の式はシーグル教の司祭にお願いするのですね?」
確認するクリフトンにミュラーは頷く。
「ああ、私は信仰を持たないが、ローライネは違うからな。孤児院を運営している教会のシスターに頼んだ」
「しかし、ローライネ様のためとはいえ、頑固、いえ強固な意志を持つミュラー様が神に祈りを捧げるとは、意外ですな」
クリフトンの言葉にミュラーは不満げな表情を浮かべる。
「まあ、ローライネのためだからな。形式的になら、と思っていたら、あのシスター、何と言ったと思う?」
「何と?」
そこでミュラーはニッと笑った。
「結婚式は花嫁のローライネが主役だから、私は横に立っているだけでいいらしい。あのシスターめ、信仰云々以前に私を置物扱いだ」
「それは・・・確かにそうではありますが、シスター様もなかなか豪胆ですな」
クリフトンも思わず苦笑する。
そんなミュラーとクリフトンの戯れ言を余所にフェイレスは黙々と挨拶状の送り先をリストアップしていた。
その執務室にステアが来客を告げに入ってきた。
「ミュラー様、ランバルト商会の会長様がお越しです」
ミュラーが呼びつけていたランバルトの来訪を告げるステア。
「ああ分かった。ここに案内してくれ。クリフトン、すまないが席を外してくれ」
「かしこまりました」
クリフトンが退席するのと入れ替わりにランバルトが案内されてきた。
ミュラーとフェイレスは応接用のソファに移動し、ランバルトを迎える。
「ご注文の品をお持ちしました」
ランバルトはそう言うと小さな箱を2つテーブルの上に置いた。
1つはミュラーが注文したものでシンプルだが、上品な拵えの指輪が2つ入っている。
「なかなかいいな」
手に取ったミュラーは頷く。
ローライネと自分の婚姻の指輪だ。
「奥方様の指輪のサイズを知らないミュラー様からの無茶な注文に難儀しました。奥方様が領都に買い物に出た際に商会の支店の者を総動員して奥方様に悟らないように調べました。因みに、彫金師は若いながら腕のいい職人に依頼しました。加えてミュラー様は普段は指輪を着けないでしょうから、指輪を通して首に掛ける用に白金の鎖を付けておきました」
その気遣いは顧客のことを理解しているランバルトらしい。
ミュラーは隣に座るフェイレスを見た。
「フェイは何を注文したんだ?」
「今はまだ内緒です」
珍しく薄い笑みを浮かべているフェイレス。
「フェイレス様のご注文の品も同じ彫金師に依頼したもので、ご注文通りの仕上がりになっていると思います」
ランバルトの説明にフェイレスも頷く。
注文の品の納品を済ませ、お茶を飲みながら穀物取引等の情報交換をしていたところで、ランバルトが小さな手帳を取り出してテーブルの上に置いた。
「実は、特異な情報を仕入れたのですが、お買い上げいただけますでしょうか?」
ミュラーはテーブルの上の手帳に目を落とす。
小さな手帳で丁数も少ない。
情報量は多くはなさそうだ。
「いくらだ?」
単刀直入に聞くミュラーにランバルトは意外そうな表情を見せる。
「何の情報かはお聞きにならないので?」
「聞いたところで答えるか?仮に商談成立前にその情報の一端でも答えるならば、それは大した情報ではないということだ」
「流石はミュラー様です、お話しが早くて助かります」
ランバルトはニヤリと笑いながら算盤を弾いてミュラーに見せる。
「高いな・・・」
「お値段に見合うだけの品質であると存じます」
ミュラーは腕組みして考える。
「仕入れ先は?」
「他所からの買い入れでなく、私共の担当者が直接仕入れたものです」
ミュラーが傍らのフェイレスを見れば、彼女も無言で頷いている。
「その手帳、買わせてもらう」
ミュラーは執務机の中から金貨袋を取り出し、指輪の代金と合わせて情報料も支払うと手帳の中身を確認した。
フェイレスも横からミュラーの手元を覗き込んでいる。
「・・・ランバルトがこれだけの代金を吹っかけたのだから情報の精度については高いものなのだろう。しかし、これはまた厄介な代物だな」
内容を確認したミュラーは手帳をフェイレスに渡すとランバルトを見据えた。
「その情報を知ることは確かに厄介なものでしょう。それでも、情報が手の内に有るのと無いのとでは対応に天と地程の差が生まれる筈です」
「確かにな。この情報を帝国政府には売らないのか?」
ミュラーの問いにランバルトは肩を竦めた。
「私は愛国者ではなく商人です。より良き商品をその価値が分かる御方にお売りすることが私の商人としての矜持であります。その上で私はミュラー様こそがこの商品の買い手に相応しいと考えてご提案させていただいた次第でございます」
「それに、この情報通りの事態になれば、ランバルトとしても商売のチャンスが広がるということか?」
ミュラーの皮肉にランバルトは心外そうな表情を見せる。
「それは違います。私は常に、如何なる時にでも儲ける機会を窺っております。何かの事象に期待していては良い商売はできません」
ランバルトの確固たる意志を感じたミュラーは素直に謝罪した。
「すまない。私は商人の誇りというものが理解していなかった。軽率な発言を謝罪する」
ミュラーの謝罪にランバルトは表情を戻す。
「謝罪していただく程のものではございません。私の矜持といえど、ちっぽけなものです。それに、私の言葉に耳を傾けてくださるミュラー様は今や我が商会の上得意様です。お気になさらずに」
そう言ってお茶を飲み干したランバルトは席を立つ。
「まあ何にせよ、今すぐに事態が動くわけではありません。今は奥方様との結婚に向けて全力を注いでください。我が商会もあれやこれやとご注文いただいて、良き商売ができますので」
「それについてはサミュエルから報告を受けている。色々と世話になっているようだ。しかも、まるで値引きに応じないとサミュエルがぼやいていたぞ」
ニヤリと笑うミュラーにランバルトは平然と答える。
「適正価格ですよ。それに、祝い事の代金を値切ってはいけませんよ」
「確かにそうだな。まあ、色々と世話を掛けるがよろしく頼む。特にローライネからの相談があった場合には聞いてやってくれ」
「それはお任せください。結婚式といえば主役は花嫁である奥方様で、ミュラー様はただの飾り物に過ぎませんからね」
恭しく頭を下げて執務室を出ていくランバルトを見送ったミュラーはため息をつく。
「どいつもこいつも、私を何だと思っているんだ」
ミュラーの不満を聞いたフェイレスは無表情のまま答える。
「置物、飾り物、引き立て役であることに相違ありません」
「・・・1つ多くないか?」
「・・・・」
ミュラーの問いにフェイレスは答えなかった。