スール制女子校の(知りたくない)日常
「・・・ここ、女子校ですよね」
深い紺色のセーラー服の、幼い女の子が立ち止まった。
「そうね」
薄い水色のブレザーを着た、大人びた女の子が答えた。
「なんでコンドームが廊下に捨ててあるんですか?」
「困ったものね」
淡々と答えると、ブレザーの子は顔をしかめながらもポケットティッシュを取り出して、さっとくるんで持ち上げた。
「先生に見つかったら犯人捜しされて、みんなに迷惑がかかるわ。ちゃんとルールは守ってもらわないと困るわね」
そう言ってなんともなしにティッシュをポケットに入れた。
「ここって、女子校ですよね?」
「山の上にある全寮制の女子校ね」
「それなのに?」
「たくましいわよね」
セーラー服の子はため息を大きくついて、手すりに寄りかかる。
「穢れを知らない乙女たちの学び舎、とは思っていませんでしたが・・・」
「安心して、8割は須崎さんの思っている通りよ。ただ1割、訳あり。1割、自主的な子がいるってだけよ」
ブレザーの子も同じように寄りかかり、十字架が掲げられた建物を指さした。
「問題なのは先生方が10割穢れない乙女だってところね。穢れない乙女たちは無敵だから、残りの2割は大変なの」
「・・・だから、お姉さまなんですか?」
ブレザーの子は微笑んだ。
一年前ね、コンドームを売っていた子が摘発された。その子は謹慎くらって、退学させられたわ。
その子は性格に難があったからホッとしたけれど、問題があったわ。コンドームを密かに売ってる子はその子しかいなかったの。慌てたわ。このままじゃ半年もしないうちに妊娠しましたって事件が起きるのは時間の問題だもの。
だから私はコンドームを売ってくれそうな人を5、6人見つけ出して協力してくれるように頼んだわ。
そのおかげで山翠女学園は妊娠騒動もなく、たくさん救えたと思っているわ。
「そんなことを、してるわけですね」
「いろいろあって、そういうことになっちゃったのよね」
なんでこんなことになったのやらと、その表情は暗いものだった。
しかし、どこか楽しげでもあった。
「楽しいけど大変、どうする?」
そう言って胸のポケットから結ばれていないミサンガを取り出して、濃紺の子に差し出した。
派手な金色でも、手作りというわけでもない。どこにでも売っていそうなごく普通のミサンガ。
セーラー服の子は右手首に巻かれていたハンカチを解いて、そのミサンガを受け取るとすぐに腕に巻いた。
そして、水色の子のポケットに手を突っ込むとティッシュを取り上げて、自分のボケっとに入れた。
「こういうのは、あたしがします」
いつも淡々とした表情の彼女が目を丸くしている。
それだけで奪ったかいがあったものだとセーラー服の子は満足した。
1
高等部の物置倉庫の二階、その部屋はまるで洋館の一室のようだった。
窓は開けられ埃臭さもなく、レースのカーテンが揺れている。
部屋には長テーブルが置かれ、真っ白なテーブルクロスがかけられていた。高等部の生徒と中等部の生徒が向き合い、隣の人と談笑しながらもその瞳は鋭く相手を値踏みしているようだった。
大正時代からある全寮制の女子校である山翠女学園には上級生が下級生を導くという変わった風習があった。
そして今行われているのは、まだ姉妹がいない生徒が集まる懇親会。
須崎香菜はこのお見合いパーティーに引き気味に参加していた。
スール制がある学校に通いたい!
と、友達に言われて全然興味がないのに山翠女学園に入学してしまった。まさか全寮制とは知らず実家から出ざる得なくなり、強制でこの会に参加させられたのだ。
恐ろしいことに、ここで姉妹になれなければまた来週、そこでも無理らなら再来週、要するに毎週土曜のお昼はお見合いがずっと続くらしいのだ。
「ねぇねぇ、香菜はどんなお姉さまがいい?」
「性格が合う人がいいな」
「性格は大切よね! 気が合う方がいいわ!」
髪の長い女子は瞳がハートにして体をくねらせている。
国見恋奈。
小学5年生から6年にかけてずっと一緒だった友人だ。仲の良かった子たちがことごとく別のクラスになってしまい、長いこと二人っきりだったのだ。だからこそ、山翠に一緒に行きたいという願いを断れなかったのだ。
正直、嫌で嫌でしょうがない。なんで知らない人を姉だと慕わないといけないのか、全く理解できない。
香菜は何となく高等部の方々に目を向けると、同じ髪型をした人と目が合った。
「スール制、嫌い?」
いきなり見透かされ、思わず顔が引きつってしまう。
「アニメや漫画のパクりですよね」
「原作は小説よ」
「・・・」
恥をかかされ、顔が真っ赤になる。
「更に言うなら、この学校の元になったのは京都の芸妓と舞妓の姉妹の盃ね。まぁ、小説がはやり始めて急にスールとかお姉さまなんて言われるようになったんだけどね」
ぶっ
隣の子が肩を震わせ笑い始めた。
ふくよかな子で、思わずこちらも微笑んでしまいそうな明るい笑い声だ。
「へぇ、知らなかった」
「とてもお詳しいのですねぇ」
声を掛けてくださった方の左右にいた女性が感心した声を上げていた。髪の短く背の低い人と、こちらはほんのりとカールのかかった髪の長い人だ。
「小学生を卒業したばかりの子が親元を離れて生活をし始めなければいけない、そんな不安に思うであろう子たちのための制度よ。だから必要ない人は必要ないのよね」
「そんな!」
恋奈は悲しげな声を上げた。
「絶対必要です!」
「そうねぇ、私もお姉さまとの思い出はとても大切ですもの」
カールかかった髪の、よく見ればほんのりとお化粧もしている綺麗な女性がおっとりと答えた。
「私もぜひ、誰かの姉になりたいと思っていたのよぉ」
「そうなんですか!?」
恋奈の目がキラキラと輝き始めた。
これは放っておこうと、同じ髪型の先輩に目を向けた。
先輩は、まるでこちらの心を見通したかのように話をつづけた。
「実際に、姉妹関係になっているのは6割ぐらいよ。4割はフリーのままね」
「あの、この集まりは姉妹ができるまで続けられるって聞いたんですけど」
「確かに強制ね。で? 出なかったらどのような罰があるの?」
聞かれてハッとし、隣の恋奈に顔を向ける。だが時すでに遅く、綺麗な先輩に夢中になっていた。仕方なく隣のふくよかな子に向き合った。
彼女は不思議そうに首を傾げている。
「もしかして・・・」
「強制よ。間違えないでね。強制よ。ただ、罰がないだけで」
ぶぅふぅ!
隣の子は、噴き出して笑い始めた。不覚にも釣られて笑ってしまう。
「あんたってすぐ笑うわね!」
髪の短い先輩は立ち上がるとこちらに回ってきた。香菜は立ち上がると席を勧めた。髪の短い先輩は感謝を口にして席に着いた。
「話を続けましょ」
「あ、はい」
いつの間にか恋奈はカールのかかった女性の隣に腰掛けていて、結局自分だけ向き合いながら話さなければいけなくなった。
少し残念だと思った気持ちは気づかないふりをした。
「私は毎週ここでのお見合いはいい習慣だと思うの。予想だけど、たぶんしなかったら来年になったらスール制は失われるわ」
「そうでしょうか?」
「ここは出会いの場、女の子ってすぐケンカしてすぐ別れたりするでしょ? ずっと姉妹でいることなんてほとんどないの」
なぜか妙に腹立たしく、妙に傷ついた。
「手、出してみて」
「え?」
さ、早くと目で訴えられおずおずと手を差し出すと腕にハンカチをまかれた。
キュッと縛られた時、心臓がドクンと跳ね上がる。
「仮契約。嫌だったら解いてくれていいわ」
腕を持って帰り、そっとテーブルの下に隠した。
「昔は言葉だけの契約だったけど、小説がはやった時は十字架のネックレスがはやったらしいわ。だけど基本私たちって仏教徒でしょ?」
ぶふっ!
隣から噴き出す声が聞こえてきた。
「さすがに神様に悪いってことでこれが流行ったの」
色々な色が混ざった紐を取り出した。
「ミサンガって知ってる? 最近の若い子知らないかな?」
「知ってます」
侮辱されたと思い顔が赤くなっていく。
「そう? これは卒業したお姉さまとのミサンガなんだけど、これを巻くのが私たちの学校流なの」
そう言って大事そうにポケットに仕舞った。
「これって結構重いの。一度結んだら外したらダメとか、姉妹になるなら手作りじゃなきゃダメとか、自分ルールがたくさんあるわけよ」
「お風呂はいる時も?」
「そうよ。つけてる子いると思うから観察してみたらどう? ちなみに私は、外そうが普段は付けてなかろうが別にどうでもいいわね。お姉さまに何度も付けてない事を怒られたけどね」
そう言っておかしげに笑った。
「その、これって、その・・・」
「とりあえず仮契約。一週間ほど姉妹ごっこしてみない? 嫌なら解いてハンカチを返してくれてもいいわ。正直な話、すぐに妹ができるなんて思っていないの。だから本当に気楽に返してくれればいいから」
何故かひどく侮辱されたように感じた。
2
デッドスペース。
天井を眺めながら、香菜はこのデッドスペースを活用できないものかと考えていた。
中等部女子寮は二階建てで、小さな自分だけの部屋が用意される。二畳ほどのスペースにロッカーと勉強机が置かれている、本当に狭い狭い部屋だ。
ただ、どういうわけか天井は高い。
箒をもって背伸びしたら天井の埃が落とせるかなというぐらい、とにかく高い。多分一か月もしないうちに部屋には荷物でいっぱいになるはずだ。それまでにどうにかこのデッドスペースを活用できないか、ぼんやりと考えていた。
寝室は別にあり、大部屋に二段ベッドが四つ並んでいて八人が利用している。ベッドにはカーテンが付いていて、心なしのプライベートスペースが確保される。
お風呂は交代制、ただし運動部なら深夜でもはいれる。汗でドロドロの状態で八人部屋の寝室に来られても大迷惑でしょ。
心なしのプライベートスペースも天井が高くて広く感じるのだが、そこを低くしてもらってもかまわないから3階を作ってもらった方がこの部屋も大きくなるんじゃないだろうかととりとめのない考えふらふらと浮かんでいた。
授業が終わり先生が出ていくと生徒たちは各々自由な時間を楽しみ始めた。
香菜と恋奈は新しくできた友人、里森百合子の元に集まった。姉妹お見合いの時に知り合った笑い上戸のふくよかな子だ。
「ユリちゃん、ご飯食べに行こう」
授業で疲れた声を上げる香菜に、いつもにこやかでほっこりさせる百合子が申し訳なさそうに手を合わせた。
「ごめん、お姉さまと一緒にご飯食べる約束してるの!」
彼女の手首にはリストバンドがされている。
「今度一緒にミサンガ買いに行く予定で、どんなのがいいってお話しするの!」
「ご馳走様。えっと、陸上部の人なんだよね」
百合子はそれはそれは嬉しそうに頷いた。
「そうなんだよ。小っちゃくて可愛くてぴゅーんってすっごく足が速いの!」
「よかったわね」
「うん!」
恋奈がちょんちょんと突っついてきて、わざとらしく腕のミサンガを見せてきた。派手な金色の目立つミサンガを、今朝からずっと見せてくるのでいい加減めんどくさくて無視をした。それでも恋奈は諦めず見せつけてくるので、しょうがなくそちらに顔を向ける。
「はいはい、よかったね」
「あたしのお姉さまはねぇ」
「美人で彼氏もいてカッコいいんでしょ?」
「そうなのよ!」
腰をくねらせて頬を染める。
「今度大学生の人と一緒にキャンプに行くんですって! それにつれて行ってもらうの!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
恋奈はかなり器量よし、男のいるキャンプになんか行ったら確実に初体験を済ませてしまうだろう。思わず友人の肩に手を当て、男狂いにならないようにと願うばかりだ。
「・・・あ、お姉さまからメールだ! 一緒にご飯食べようって!」
「はいはい、行ってらっしゃい」
「ごめんね、カナカナ。キャンプに連れて行ってあげるように言ってあげるね!」
「辞退させてもらうわ」
少しだけきゃいのきゃいのと喋ってから、香菜は一人で教室を出た。
女子寮ではお弁当を作ることができないので、昼食は必ず学食堂へ行かないといけない。食堂前で教室や外で食べる用のサンドイッチなどが売っている普通の食堂なのだが、この学校ならではと思うのが、高等部の学生も食べにくることだろう。
中等部の校舎から薄青色のブレザーを着た生徒が出てきて学食堂に流れている。
高等部と中等部は向かい合ってはいるが、違う学校だ。しかし地下に戦時中、旧日本軍が物資を隠すために掘られた通路があり、今では舗装され行き来する通路になっている。
学生たちは校門から出てはいけない。校門は開いており、道路を渡ってしまえばすぐだというのに大回りして通路を使うことになる。
香菜は恨みがましく高等部の校門を見つめ、腕に巻かれている白いハンカチに触れた。
バカなことに、名前を聞いてなかった。
「気が合う子が少ないって言ってたし、沢山の人に配ってるのかな」
胸が軋むような痛みが走った。
入学してからいつもバタバタして忙しかった。入学式や学校のルール、オリエンテーションを経てクラブ活動の勧誘、女子寮の引っ越し、荷物が多い子の手伝いなど、とにかくバタバタしていて数日前の懇親会が遠い昔のように思えてしまう。
高等部に行けば見つけられるだろうか?
人に尋ねるにしても、特徴がない。髪型が同じと言っても長すぎず短すぎず、髪を染めるパーマをかけないと禁止が多いと自然と似たような髪型の人沢山いる。それ以外の特徴と言われても・・・思いつかない。
淡々とした静かな口調。どこかミステリアスで、観察力がある。しかしそんな内面の説明をしたところで見つかるとは思えない。
何となく教室を出た廊下でぼんやりとしていると、一年の廊下を高等部の人が歩いてきていた。
「須崎さん、一人かしら?」
「えっ!?」
同じ髪型のその人は、目を細めて笑っていた。
3
彼女はまっすぐこちらを見つめ、一人ならお昼一緒しませんか? と誘って来た。香菜は自分のスカートを握りながら、俯き別にいいですよ、と返した。
「ハンカチ、巻いてくれてたんだ」
赤面しながら白いハンカチを手で隠した。
いざ当人を目の前にしても、特徴を上げろと言われて言葉に詰まりそうな人だ。小学生上がりの自分たちに比べるととても大人で、落ち着いていて、カッコいい人だけど、きっと高等部の生徒に紛れ込まれると見つけられる自信がない。
「それじゃ行きましょう。この校舎の案内するわね」
返答も待たず歩き出したその人の背中を香菜は追いかけた。
「あのっ!」
「高等部一年C組、佐藤日向」
振り返りもせず答えてきた。
「それとも、もうオリエンテーションで回ったから必要ないとか? それともなんで名前を知っているのか、かしら?」
「・・・全部です」
淡々としているというか、ただマイペースなだけなのかもしれない。中等部一年生の廊下で目立っているのに、気にしている風でもないところもそうだ。
「佐藤、日向さん」
「はい」
「可愛い名前ですね」
彼女は立ち止まると、当然のように香菜の手を握って歩き始めた。
手を握って歩くなんて、小学生低学年以来のことで心臓が飛び跳ねそうになった。
「花壇組」
日向は立ち止まり、グラウンドに目を向けた。
一年の教室は2階なのだが、そこから2年、3年が利用する校舎が見えた。外には綺麗な花壇が並んでいて、花を楽しめるようにベンチが並んでいる。そのベンチにはすっかり女子たちで埋まっている。
「キスやペッティングは禁止。花壇組は手を握るまでよ」
それだけ口にしてまた進みだそうとする日向を、香菜は大慌てで制した。なに? というように振り返った彼女に対し、香菜は声を出すことができない。
「オリエンテーションじゃ教えてくれなかったでしょ?」
微笑むと、香菜を引っ張って歩き始めた。
まるでデッドスペースの活用法を教えてくださるように、香菜にいろいろなことを教えてくれた。屋上は独りぼっち専用スペースで、この学校では大事な場所。学食堂の右端の席は不良専用席だから注意するように、トラブルが起きないようにみんなに伝えてほしい。クリーニングは寮でお願いするより被服部にお願いした方が安くて丁寧にしてくれるからお得、だけどこれはあまり人には言わないように。混みあったら私たちが困るでしょ?
「なんでも知っているんですね」
「数か月前まで通ってたからね。何も変わっていないのに、なんだか不思議なほど懐かしいわ」
お昼も食べず中等部の校舎を見て回る間、ずっと手を握っていた。
「どう思う?」
「え?」
「ここって、実は校則が厳しい学校なの。さすがは教会が校舎にある学校。だけど、みんな自由気ままに生活しているように思えない?」
校則が厳しいと言われ、少し疑わしく思ったほどに。
グラウンドでランニングをしている生徒、体育館ではバレーを楽しんでいる。部活棟には沢山の生徒たちが寄り集まり、廊下に出てお喋りしている女子たちは騒がしいほどだ。
「学生たるものかくあるべき、ひとまとめにして枠から外れるものを処罰していく。穢れを知らない乙女たちに対して、恐ろしいことだと思わない?」
「はぁ」
日向と香菜は上履きを履き替え、校舎裏の奥まった場所に向かった。
周辺は木々に包まれ高いフェンスに囲まれていたが、白いセメントのごみ置き場に真新しく見える黒い焼却炉が鎮座してあった。
「10年前まで利用されてたらしいわ。今じゃダイオキシンがなんたらかんたらで文化祭や体育祭の時ぐらいしか使われてないの。撤去費用もかかるから壊されもせず残ってるらしいけどね」
日向は焼却炉の灰を取り出す扉を開いた。そこには何十冊もの本が置かれていて、一冊取り出すと香菜に渡した。
「ひぃぐ」
表紙には、美形の男性が半裸状態で抱き合いキスをしている絵が描かれていた。
「値段は千円。中にある巾着袋に入れること」
うわさに聞く同人誌、とは違うみたいだ。題名もなく、番号だけが記されている。結構分厚く、重みもあった。嫌悪感があったが、好奇心に負け少しだけ中を開く。
すぐに後悔と共に閉じた。
「どうする?」
「買いません!!」
押し返された本を受け取りながら、日向は苦笑した。
「そうじゃなくて、このことを知って須崎さんはどうするのかってことよ」
本を戻して扉を閉め、香菜と少し距離を開けた。
「当たり前だけど校則違反よ。先生に言えばすぐに撤去されるでしょうね」
ハッと気づき、考えを巡らせる。
感情的に言えば、どうでもいい。花壇組も、この本も、自分に火の粉がかからないなら勝手にやってもらってかまわない。
「あたしを、試しているんですか?」
日向はきょとんとして、次に目を細めた。
「ただの好奇心よ」
そう言って香菜の傍に近寄った。
「須崎さんがどのような選択をしようと関係ないわ。もし先生に言うのなら、今後焼却炉にはBL本が置かれることはない。もちろん美術研究部も証拠不十分で処分されることもない。ただ二度と焼却炉にBL本が置かれることがないってだけよ」
そしてまた自分の知らないデッドスペースにBL本が置かれるだけのこと。
誰かが何かをしなければ、穢れを知らない乙女たちはかくあるべき姿に押し付けられてしまう。
その誰かを、この人は探しているのかもしれない。
4
「コンドームを売ってくださいませんか?」
ざわめくこともなく、教室は静まり返った。
シューズの色から中等部3年生の先輩が香菜の前に立つと、そう言った。
「あたしはそんなもの売っていないわ」
妙に冷静な香菜は、みんなに聞こえるように言い返した。
間違いなく、日向と衝撃的なオリエンテーションのおかげだろう。
「だったら誰が売っているのかしら?」
「さぁ? 相談できる人を探したほうがいいですね。あと、あまり不躾な質問の仕方はよくありません。あなたも、それに質問された方も困ってしまいますよ」
「そうですね、ありがとうございます」
その生徒は頭を下げて、教室を出て行った。
教室内は静まり返ったまま授業が始まり、一度もざわめくことなく今日という日程を終えた。
午後の授業が終わり、静まり返ったままの教室を飛び出した。
そのあと一気に教室内がざわめき始めたが、とりあえず気づかないフリをした。
地下道を進み、高等部の敷地内に入る。普通なら尻込みしてしまいそうだが、頭がパンクしそうでそれどころじゃない。
1年C組に向かっている途中に、友人と喋りながら歩いている日向を見つけた。
「あ、あれは何ですか!」
感極まって、思わず叫んでしまう。
あんな突飛な出来事は、日向が差し向けた以外に考えられない。
感情がごちゃ混ぜになり、涙が昇ってきた。悔しいから泣きたくないのに、命令に従わない涙がボロっと零れ落ちてしまう。
「どうして、あんな・・・」
日向は話していた友人置いて、香菜の正面に立った。
「私の妹になれば、あのぐらいのトラブルは何度も起きるわ。私はイジメにあったし、何度も先生に呼び出しを食らった。陰口をたたかれていることも知っているわ」
だからすぐに妹ができるとは思っていない。
だけど、感情が知性を上回る。あたしのことが嫌いなんだ! だからこんな意地悪するんだ! ひどい! イジメだ! あたしのことが嫌いなんだ! あたしのことが嫌いなんだ!
感情があふれ出て止まらない。
「今までは運よく立ち回れたから何も問題なかったけど、あなたはわからない。未来のあなたの妹も、どうなるかわからない。どれだけ備えても時の運、なにが起きるかわからない。だから・・・手を出して」
動く間もなくハンカチが巻かれている腕を持ち上げられた。
「!」
香菜は感情的になっていることに気が付いていた。だから、日向が何をしようとているのか瞬時に理解することができた。
日向が縛られたハンカチの端に手を掛けた瞬間、香菜はその手を掴んで止めさせた。その腕ごとハンカチを取ろうとするので、すかさず手首を掴んだ。日向の意思は固いのだろう、香菜の手首を掴み、気が緩めばその瞬間ハンカチを解けるようにした。
「・・・」
「・・・」
「・・・だからすぐに妹ができるとは思ってないの。新しい人を探した方が、あなたのためになるわ。意地とか、プライドとか、そんなことで姉妹を決めたらダメ。ちゃんと選ばなければいけないわ」
「・・・そう思います」
「・・・好奇心で踏み込んだらいい場所といけない場所がある。ちゃんと考えて行動しないと後悔することになるの」
「・・・意地もダメ、好きもダメ、だったらどうやって選んだらいいんですか」
プルプルプル・・・
二人は顔を見合わせながら、掴みあった手を小刻みに震えさせる。
「・・・わかって。あなたを傷つけたくないの」
「・・・傷ついたら泣きたい時だってあります。あたしはすぐ泣くし感情的になります。それとこれとは別の話です」
「・・・ちゃんとしてるのね。数か月前まで小学生だったなんて思えないわ」
「・・・小学生を何も考えていないバカと思ってることが問題ですよ」
プルプルプル・・・
話は円満に進んでいるようだが、香菜も日向も力を弱めない。
「!」
ならばと、小学6年生にまでなってスカート捲りなんてしてくるバカな男子に一撃を食らわせていた、必殺の脛蹴りを食らわせた。
さすがの日向も手を放し蹲った。
よしと急いでその場から逃げ出した。
すれ違う高等部の先輩たち、もしかすると突然ハンカチを奪うかもしれないと守った。日向は追いかけてこない。しかし、それでも注意するに越したことはない。時々見かける中等部の生徒でさえ疑わく、スパイなんじゃないかと思えてくる。
そしてそれは、考えすぎじゃないこともわかっている。
5
山翠女学園はそもそもが田舎にある。
女子寮が学校よりも上にあるのでいよいよ出不精になっている。それでも自由を求めて山を下りても大きなイオンがあるだけで、後は田んぼが並んでいるような場所だ。
まだ諦めず都会を求めればバスに乗って駅へ向かい、一回乗り換えて1時間かけてショッピングができる程度の場所にたどり着くことができる。
それでも数年前までは旅立つ生徒も多くいたが、最近ではスマホ所持が許されすっかり牙が抜かれてしまっていた。
数年前までならテレビが神のごとく貴ばれていたが、今では実家にいる時と同じぐらいの情報量がスマホから得られてしまう。そう、山翠女学園はまさにIT革命が起こっていた。
何故か少女漫画より少年漫画。ミリタリー好きが多くサバイバルゲームが人気で、密かにバイク雑誌が人気になっている。すっかりオシャレには疎くなっている女子が多く、女子力の高い子は異能力と恐れられた。
卒業生が教師をしている場合が多く、かつては世間から隔離されていた世界で育った彼女たちは純粋無垢で清らかな乙女ばかりで情報に疎く、本当に未だに携帯電話を持っていない先生が半数以上いる状態。そんな乙女たちからすると、すぐ問題を起こす思春期の娘たちが四角い板を持っていると急激に大人しくなり、少女漫画を隠すこともなく、テレビを各部屋に置いて欲しいという暴動も起きないので、赤子をあやす魔法のアイテムぐらいの認識でしかない。
唯一絶対的なタブーがあり、オカルト系だけは禁止されていた。昔、一世風靡した時があったらしく、その時、マジでマジなことがかなり起きたらしい。そこで神主がお祓いをしてもらい、教会もその時にできた。・・・違う意味で天罰が下りそうだ。
「この学園には三貴女と呼ばれる女性がいて、高等部2年と3年、中等部の2年に在籍している」
演劇よりもコント、お笑いの舞台が人気。運動部はこぞってレベルが高く県大会ぐらいなら常に優勝している。ただしバレー部は弱い。
「3年前の卒業した生徒たちが色々伝説を残したすごい先輩たちで、変な風習はその時沢山生まれた。だけど先生方からすると迷惑な生徒だったんだろう、校則が厳しくなっている」
香菜は腕に巻かれた白いハンカチを見ながら、この2日間で知ったことのおさらいしていた。
あの日から、日向は何の連絡もしてこなかった。香菜としても、ハンカチを奪われたら大変なのでおいそれと会いに行くことはできない。
「目標は一週間、だと思う」
お試し期間が一週間と言ったから、きっと一週間で妹になれる。
なんとも希望的願望だが、とにかくそこを目標に頑張ることにした。
「あたし、バカみたい」
授業が終わり帰り支度をしながら、自分の馬鹿さ加減にうんざりとしてくる。
ひどいことされて、謝ってもらってもいない。
実害だって出ている。あれ以来クラスで微妙な空気が支配して、孤立気味なのだ。恋奈と百合子がいなければイジメに発展していてもおかしくない。
それなのに、まるで日向の真似をするように耳をそばだてて情報通ぶって彼女のコンタクトを待っている。これを間抜けと呼ばずなんと呼べばいいのか。
「なぁ、すこしいいか」
一人で廊下を歩いている時だった。見知らぬ学生に話しかけられた。一年生だと思われるその子は、スカートが短くほんのりと髪を染めた地味めな香菜と正反対の女子だ。
「その、お前ってさ」
コンドーム売ってんだろ?
聞こえるか聞こえないかの声で囁いてきた。
「その、だから、その・・・」
「あたしは売ってない」
彼女はみるみる青くなり、顔をそむけた。
周囲を見渡し、彼女に近づいてささやいた。
「売っている人を知っているだけ」
彼女は驚き目を丸くする。
「基本他言無用。もしこちらに火の粉が降りかかるようなら、取引は二度としない」
彼女は真剣な表情で頷いた。
と、かっこよく決めたのだが、距離を戻して申し訳なさそうに両手を合わせた。
「本当は嘘。まだ知らない。明日か明後日にもう一度話しかけてくれない? いいかな?」
「お、おお。で、でもさ、土曜か日曜までには欲しい」
「多分大丈夫、だと思う」
「そっか、その、頑張ってくれ」
要するにこういうこと、こういうことなのだ。
ショッキングな噂は広がり、必ず困っている人が相談に来る。きっとこれが、日向の試練なのだろう。
香菜は彼女と別れ、あれほど避けていた高等部の校舎へと向かった。
薄青色の制服の人たちとすれ違いながら、小さな興奮に震えていた。
「覚悟、あたしには覚悟が足りていなかった」
本当はお姉さまになってほしいと思っていた。そのミステリアスな魅力の理由もどこかで気が付いていたはずだ。ショックを受けてしまい癇癪を起してしまった、それだけのことなのだ。
日向は1-Cの教室の前で一人立っていた。
「膝、大丈夫ですか?」
「・・・あの後、本当に立てなかったんだけど」
「6年生の男子にやってた技なんで、ちょっと痛かったかもしれません」
「ちょっとじゃないって」
それからコンドームの話をすると、日向はこぼれそうな笑みを隠そうとなかなか面白い表情になっていた。
まるで用意されていたかのように売っている中等部の女子、値段、箱売りはしていない事、合言葉などを伝え、メモに残さず記憶するようにと教わった。
更に難癖をつけられても潔白を証明できるように常に気を配ること、あえて校則違反のファッション誌を入れておくのもいいかもしれないと、懇切丁寧に教えてくれた。
最後に、少し口ごもらせながらこういうことを伝えてきた。
「今日の夜の12時、中等部の校門前で待っているわ」
「え?」
「覚えていて」
もう言うことはないと、教室に入っていった。
6
消灯時間は9時。勉強をする子は11時まで。ほとんどはベッドに入ってスマホを触っている。60代の痩せた寮長はすごく怖く規則に厳しいが騒がしくしない限り部屋には入ってこない。
「寮長の巡回時間、調べていてよかった」
小心者の香菜はこんなこともあろうかとしっかりと時間を調べていた。
小心者の香菜は、時間が近づくにつれて震えが止まらなくなり始めた。もし見つかったら、もし怒られたなら、もし日向が学校にいなかったら、もし学校に行く途中で見つかったら、もし・・・もし・・・もし・・・
嫌なことばかり考える。
それでも、不安で少し頭がふらふらしながら身を起こした。大きな抱き枕を自分の身代わりと布団にくるませ、まるで忍者のようにそっとベッドから出た。足を忍ばせて、静かにトイレに向かう。共同トイレに誰もいないことを確認し、窓からそっと出た。
パジャマは学校指定のジャージを使用していたので問題ない。靴は茂みに隠していたシューズを履いて、暗闇の中走り出した。
通学路の道路は学校と寮までの道でしかないので誰も利用しないのだが、それでも森の中の道を進んだ。小心者の普段の香菜ならとても通れそうにないほどの道、しかし今はその暗闇が震えを押さえてくれる。
そして、頭が真っ白になりながらたどり着いた。
青く、真っ白な校舎。
まるで本当に映画の中に入り込んだかのような、幻想的な景色が広がっている。
閉じられた校門の内側から、日向は姿を現した。
「須崎さん」
今まで見せたことのない、本当に素直な笑顔が浮かんでいた。香菜は、思わずウルっとしてしまう。
静かにこっちにこいと言われたので、自分の身長ぐらいある柵をよじ登り反対側に着地した。やっぱりジャージでよかった。
日向は黒いパーカーに黒いパンツ、黒い帽子をかぶり完全に忍びスタイルだ。彼女は静かにこっちに来るようにと指示した。二人は月明かりを避けるように暗闇の中を突き進んでいく。
「守衛さんの巡回時間を覚えて。時々時間を変えて巡回するから、できれば一か月に一回は調査がしたいの。それに時々先生が居残りしている場合もあるから、必ず職員室を調べてね」
「は、はい」
「今度黒い服を買いに行きましょう。目立たないに越したことはないわ」
「はい」
草むらの中をさささっと進み、暗闇の中でじっと身を潜めた。
校舎の壁を背にしてしばらくしていると、巡回が始まったのだろうドアが開く音がして、男性の鼻歌が聞こえてきた。日向は動かず、ジッとその警備の人を観察し続ける。
「追いかけないんですか?」
「巡回ルートなんてここから見てたらわかる。校内で言えば私の方が詳しいし」
「それはそうですよね。あと・・・警備員さんって男の人なんですね」
「昔は女性の頃もあったらしいけど、長い間何事もなかったから人員が減らされて一人になって、警備員とはいえ女性が一人ってのは危険だろうと男性の方が選ばれたそうよ」
「不景気ですね」
「私たちからすると、今後も何事もなく一人でいて欲しいものね」
日向は香菜の手を握ってきた。
自分でも気づかないうちに、小さく震えていたようだ。
「ごめんなさい、あなたにひどいことをしたわ」
暗闇の中で、いつものように淡々と謝罪された。
「謝っても、もう状況は変わらないわよね」
「だったら、何かしてくれます?」
驚いたようにこちらを見てきた。
「何がいい?」
「そうですね・・・売店のフルーツサンドがいいです」
中等部の売店で売られるフルーツサンド。
イチゴとパインとミカンがたっぷり入っていて、信じられないほどの分厚さの生クリームが入っている。
正直なところ、生クリームは相当不味い。不味いはずなのだが、何故か癖になってまた食べたくなってしまう、恐るべきサンドイッチなのだ。次点にずっしり重いクリームパンというのもある。
「・・・中等部の売店でしか売ってないから、ちょっと購入戦争に勝てないかも」
「何とかならないんですか?」
「えっと、私が何か料理を作るって感じじゃダメかな」
「料理得意な感じですか?」
「その、それなりに・・・」
「だったらそれでいいです」
握った手が、強まった。
「うん、すごいの用意する」
それから、特に何か口にすることもなく時間が過ぎて行った。
7
夜の学校を、手を繋いで歩いていた。
巡回は深夜の3時までない。二人はゆっくりと校舎を見て回り、昼間なら一人だけしか入れない屋上に入った。
「どう?」
日向は月明かりの中に入っていく。
「今ここでは、日本国憲法が適応されない空間よ」
「どんなキメ台詞ですか」
香菜はくすくすと笑いながらコンクリートブロックに腰掛けた。
「誰かに言われたセリフじゃないですか?」
「わかる?」
「らしくありません」
日向は不満そうに隣に腰掛けた。
「はいはい、お姉さまがおしゃられたことを言いました」
「どんな人だったんですか?」
「美人」
手を開き、指を折り始める。
「背が高くて、すごく痩せてて、頭がよくて、みんなに愛されるカリスマ性があって」
毎週、男をとっかえひっかえしていた。
香菜は「うん?」っと聞き返した。
「2年の頃ね、本当に毎週違う男性と学校に忍び込んでたわ。3年になってからは月一ぐらいになったけど、ひどい時なんて一週間毎日おヤりになられましたわ」
「ぅぇ?」
香菜は出したことのない声が出ていた。
「一時期、女同士にも目覚めてね、うちの生徒には手を出さなかったけどOLとか、主婦とか連れ込んでた時もあったわ。何度か一緒に楽しみましょう的な誘いがあったときは逃げるのが大変だった」
日向は大きくため息をついた。
「勘違いしないでね、ただの色狂いじゃないの。あえて言うなら、すごい色狂いなの。普段はお淑やかで、少し体が弱い物静かな令嬢風なの。分け隔てなく誰にでも優しくて、生徒はもちろん先生やシスターもみんなが模範的で憧れの象徴としてため息をついていたわ。地味な私を妹に選んだ時なんて、まるで小説に出てきそうな物語のようだともてはやされたものなんだから」
「で、でも違った」
「そうよ。私の仕事は基本的にリュックに掃除道具を入れて、汚した教室を綺麗して整えることだったわ。見た目と違って大胆でね、ぶらっと夜の学校に忍び込んで、本当に何事もなく情事を済ませちゃう人。大人しい顔して既成概念にとらわれない、困った人なのよ」
迷惑そうな口調だが、それは本当の侮蔑は混じっていなかった。だから、香菜もだんだん楽しくなってきた。
「それで、情報通になったんですか?」
「お姉さまのように神に愛されてるわけじゃないしね。私は私なりに頑張った。自慢じゃないけど、学校で妊娠問題が持ち上がらないのは私のおかげだと自負しているわ。女の子同士で来世幸せになりましょう自殺も3回ぐらいは止めた。相談に乗ったから問題も起きず、学校を辞めずに卒業できたって人もたくさんいるわ」
「日向先輩がいなかったときはどうしてたんでしょうか」
「妊娠、自殺未遂、問題起こして退学はそこそこあったらしいわよ。シスターにコンドームをコンビニで買ってきて欲しいなんて相談できないでしょ?」
ちょくちょく口が悪くなるのは、きっとその人の口調になっているからなんじゃないかと思った。きっと、自慢の姉なんだろう。
「東京の大学に行くことになってね、お姉さまは私にこう言ったわ、最強のホステスになってくるってね」
恐ろしい化け物を世に放ってしまったと日向は笑いながら言っていた。
今やっと、本当の日向の姿を見た気がした。
「大変だけど、沢山の人の役に立ってる。それが嬉しいの。危険で、大変な仕事だけど、続けていきたいって思ってる」
「はい」
「漫画と違って3年間、妹探しができる。それで無理なら諦めよう、努力はしたって思うことにしたの」
「はい」
「だから・・・」
月明かりの中、二人は時間を忘れて喋り続けた。
8
恋奈と百合子と机を寄せ合って学食で購入したパンを食べていると、こんなことを言われた。
「カナちゃんのお姉さまってさ、実はすごい人? 三貴女の人とすごく仲いいって、お姉さまが言ってたよ?」
「まだあまり詳しくないから」
「そうだよねぇ、香菜は最近姉妹になったばかりだもんねぇ」
恋奈に迫られ、香菜は恥ずかしそうにミサンガを隠した。
土曜日に日向に呼び出され、特に変なテストがあるわけでもなくごく、普通にミサンガを渡された。少し肩すかし気味だ。
「なんだか意外、カナカナってばお姉さま選びに苦戦しそうだったのになぁ」
「恋奈はどうなのよ。うまくいってんの?」
「あったりまえじゃーん。私とお姉さまは運命の赤い糸で結ばれてるの。知らなかった?」
「はいはい」
小学生の頃を思い出す。是が非でもこの学校に通いたい、絶対一緒に来て欲しいと迫られ困ったものだった。だけど今は・・・気づかれぬようにミサンガを撫でた。
「だけど、やっぱり三貴女はすごいよね。なんだか別世界の人みたい」
「中等部2年の楓ちゃんなんて、絶対私たちより年下だよね」
ぶふぅー!
い、いや、私たちより年上でしょと笑ってしまう百合子。この癇癪もすっかり慣れてしまった。
「いやぁ、確かに楓ちゃんはヤバいわ。誘拐されるレベルだよね」
「ここは身の安全を守るためにもあたしらが誘拐しとくかって話よね」
ぶふーっ!
あ、あぶない! かえって危ないよ! あはははは!!
なんでも笑ってくれる百合子を前に、危うく芸人魂が生まれそうになる恋奈と香菜だった。
昼休み、賑やかな教室が突然静まり返った。
「須崎香菜さん、こんにちは」
どえらい美少女が、クラス内でも地味で端っこに座っていたグループにやってきた。
「放課後、就任祝いの会をしたいのだけど、いいかしら?」
それはまるで歩くお人形さん。
身長は低く、整った顔つきは自然と幼く見せていた。天使のような微笑みは、もはや抱きしめずにはいられない無垢な微笑みに見えた。
彼女こそ三貴女がひと柱、沢見楓。
同性でさえも目を奪う美少女として学園内を賑わせている。
「今日の、午後、でしょうか?」
香菜は、絞り出すように声を出した。
「はい」
彼女は顔を近づけると、香菜の耳元でささやいた。
「高等部は高等部、中等部は中等部。わかるでしょ?」
小さく頷いた。
彼女はフラっと離れると、くすくす微笑みながら教室を出て行った。
「えっと・・・カナちゃんも人気者?」
「たぶん、人気とは違う」
さっそく頭を抱えそうになった。
数日後の放課後、高等部の学食堂で日向と顔を突き合わせながらお茶を飲んでいた。
高等部の学食堂は中等部と違いカロリーより品のいいメニューが多く、同じように姉妹らしき制服が違う生徒たちが談笑をしていた。
日向は紅茶を口にしているが、何となくサラリーマンが仕事中に飲んでいるコーヒーのように見えてくる。
「そう、大変だったのね」
就任祝い会のことを隠さず伝えると、それは可哀そうにという視線を送ってきた。
「慣れて」
「はい」
あくが強い面々だった。
中学生とは思えない妖艶な人、どこに生息していたのか古いスケバン風の人、やたらと人の悪口を言う人、恐ろしいまでに個性のないごく普通の生徒などなど、悪い意味の個性が集まっていた。その一員になるのかと思うと、両親に謝罪すべき案件だ。
「髪型だって、似たような人が多い中。問題児はとても個性的でしょ?」
「見習いたくはないですね」
「本当にね」
日向は楽し気に笑った。
同じ髪型、別に変なことではない。規則で長すぎず、短すぎず。髪は染めずと言われれば、似たような髪型になるのは当然だ。実際、同じような髪型の生徒はこの場にも数人見かける。
「でも、沢見楓さんが変態の一員なのが不思議です。他の方々の役割、それはわかったのですが、楓さんは何もわからなくて」
「・・・そうね、妹になったんだから知っておかないとね」
珍しく口ごもり、そして小声で話し始めた。
「楓さんは、お客様。お相手は、実のお兄さんらしいわよ」
危うく手にしたカップを落としかけた。
言葉の意味が理解できず、衝動のままに声を上げてしまう。
「犯罪じゃないですか!」
思わず声を上げて立ち上がってしまう香菜に、周囲の生徒たちの目が注がれる。そんな中で日向は慌てることなく、香菜の言葉に肯定して頷いた。
周囲の視線の危険性に気付く香菜は慌てて座り、日向に顔を近づける。
「早く警察に連絡入れるべきです!」
あの幼く、愛らしい少女が犯罪に巻き込まれていると考えるだけで、頭が沸騰して、その実の兄という男に鉄バッドを片手に殴り込みに行きたい衝動にかかられる。
「無理よ」
「どうして!?」
日向は更に顔を近づけ、更に声を落とす。
「だって、誘ってるのが楓さんですもの」
「・・・」
認めたくないと香菜は首を振る。
あの穢れない少女が、そんなはずがない!
「恐れおののきなさい、香菜。そのお兄さんは大学中退で現在ニート、働かず実家でゲーム三昧。楓さんが可愛らしく振舞っているのは、そのような女の子が好きだと知って演じているところがあるらしいわ」
「や、やめてくださいお姉さま」
残酷すぎる!
あまりに残酷な現実に耐えられない!
「せ、せめて美青年、なんですよね? とても繊細で、触れれば壊れてしまいそうな、少女漫画の主人公みたいな」
「学校へ何度か忍び込ませたことがあるから、姿を見たことがあるわ。残念だけど、武士、野武士系男子だった。そこそこのマッチョよ」
神は死んだ。
もはや金属バッドでしか世界を浄化できない・・・
「私はね、香菜。女の子の味方なの。日本国憲法よりね。私たちが手を差し伸べなければ、きっとお兄さんは捕まって二人は離れ離れになるわ。マッチョな野武士さんは潔く腹を切る人に見えたわ。そして楓ちゃんは・・・」
なんとも言えない表情を浮かべた。
「女は生れたときから女。私はね、犯罪者を学校から出したくないの」
あたしの純粋無垢な楓さんが・・・
肩を落とす香菜に、日向は目を細めた。
「ね? 楽しいでしょ?」
香菜は座りなおし、腕に巻かれたミサンガに触れた。
「はい」
今日も山翠女学園には明るい笑い声が響いている。
グラウンドでは陸上部が、教室の中ではサバイバルゲーム部がゲームを楽しんでいる。体育館ではバスケ部が汗を流し、きっとカーテンで仕切られた教室ではBL本が書かれているのだろう。
そんな何でもない日常が風に流れて送られていた。