33.You(We) are me(same)
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「まさか、二体間では解決できないと考えて、自分を犠牲にするとはな!!」
腕で顔を覆い、腹を抱えて嗤いあげる男の姿、僕自身。
「なんだ……何故刺されてこうも平然としていられるんだ?」
二人のエモーショナーと話し合った後、僕は自動的に感情思念センターの最上階に戻されたのだ。黒一色を身に纏う僕は心底つまらなそうに螺旋階段に座っていた。
『それはボクから答えさせてもらおう』
聞き覚えのある声。だけど彼は、僕の姿、名前を語る男にとって身に覚えのない声のようだった。
「誰だ、私の脳内に直接話しかけてくるなど、この世界の在り方に反するはずだ」
『もちろん、そうしているつもりさ。君にこの世界の権限があるのは知っている。だからこそ、ボクが生まれたんだよ』
「ど、どういうことだ」
『有体に言えば抑止力のようなものさ。誰も君を止めなければいつしか暴走の果てに繋がる。そうさせないためにね』
男は徐に立ち上がると、崩れかかっていた気を取り直すように話し始めた。
「抑止力……?この世界で私が触れていない概念?データ?そんなはずは……」
『申し遅れた。ボクの名前はマスノマディック、放浪する意識の集合体さ』
『そして君が取りこぼした感情の結晶体、いや代替機とも言えるかな』
そうか。だから放浪するのか。明確な顔や姿を持たず、この世界の中に存在するだけ。個々人としての記憶はあるが、個人じゃない。それは多面体にすぎないのだから。
「私が取りこぼした……?ホログラムワールドを、この世界を作ったのは私なんだ、手が届かない範囲など」
『そこまでボクの証言が信用できないと言うのなら、証拠を突きつけた方が速いか』
突如、男の目の前に一人の女性が浮かび上がった。とはいうものの、ホログラムで出来ているとはいえ、姿形は普通の人間にしか見えない。頬、腕、足、体の全てに渡って本物の肉付きだったけれど、肌は怖いくらいに純白に染まっていた。日焼けしていないどころではない、真っ白な雲のように、不純な色が混ざっていなかったのだ。
「もう止めにしましょう?海人さん」
雀の涙のようなか弱い声を聞くと、男は両手を小刻みに震わせた。そして頭を左右に振り「そんなはずは……」と現実から目を逸らそうとしていた。
背丈は彼よりも少し小さくて、細身で華奢な女性。そしてどこかミユの面影が過る幼げな顔。
『彼女は彼の、鈴波海人の唯一のパートナーだよ』
マスノマディックは僕の疑問に答えようと直接脳内に話しかけてきた。
そして男は未だに体を震わせて驚嘆に満ち満ちた声を洩らした。
「どうしてここにいるんだ?いやまさか、そんなはずはない………」
「全部知ってる、なぜこの世界を作り出して感情を数値化させようとしたのか、ホログラムを利用したのかも」
「みんな私のためにやってくれてたんだよね」
頭を抱えて「あり得ない」と呟きながら、床に倒れこむ。女性の前で嗚咽を洩らす男は、自分の服の袖を強く握りしめていた。
「なんでだよ………」
そして、男は悲しみに明け暮れつつ、静かなる叫びを声にしていたのだった。
***
こんな世界、生きている価値などあるはずもない。
そう思い始めたのはいつ頃だったのだろうか。
私は日本人として生まれた。日本には銃規制によって易々と人を殺せないようになっていて、保険だって入っていれば不安定な生活を強いられることもない。普通に働いて給料を貰っていれば、少しぐらい余興を楽しんでも経済的に悪くもなく。
ただ有り体の家族という幸せを享受していた。
一流企業とはいかずとも、安定した収入を得られ妻と子供二人を養うには満足に足るものだった。
生涯孤独だった私を支えてくれた妻と絶え間ない笑声をもたらす子供たち。それさえあれば苦難を強いられる仕事から帰る夜道など、明るく照らすには十分なほどで。
私に不満を抱く要素などあるぱずもなかったのだ。
しかし、人生には浮き沈みが付き物だった。
宝くじに当選した人は一時の絶頂期を迎えてから落ち込む人がいるように、私もまた長らく安寧の幸福を享受していたツケが回ってきたのか。
妻が卒倒したのだ。
私が仕事から帰宅した際、ちょうど玄関の扉を開いた時だ。出迎えてくれたと同時に私にもたれ掛かるようにして倒れ、意識を失ったのだ。
「お………おい!!しっかりしろ!!どうしたんだ!?」
反応は無かった。救急搬送され、即時入院し一命は取り留めた。点滴を打ち、酸素マスクを着け、たとえ目を覚まさなくても、近くにあったモニターに心拍数が表示されていることに安堵した。まだ生きている、またきっと意識を取り戻してくれるだろうと。
そして幸いなことに、たった数日ほどで妻は目を開けたのだ。だから私は必死に話しかけたのだ。聞こえているのか聞こえていないのかは気にせず、何度も、飽きるほどに繰り返し続けた。
「聞こえるか?私だ!!海人:かいとだ!!返事をしてくれ!!」
結果、返事をしてくれたのだ。だが、それは全く予想だにしなかった言葉だった。
「あなたは…………誰?わたしの知り合いか何かですか……?」
声が出なかった。あまりに突然なことで何を言っているのか理解できなかったのだろう。
後から聞いた話だが、妻はてんかんの症状を患っていた。一般的にてんかんは意識障害が起こったとしてもそれは短時間で済むと言われていた。だが、数日も眠った妻の場合はイレギュラーだったのだ。医師に何度も聞いても症状しか判明せず、どうして長期間にわたって意識障害が起こったのか、原因は不明と糾弾される始末。
私は赦せなかったのだろう。その医師に対しても、もちろん私自身に対しても。
どうして症状を察知できなかったのか、このまま何もしてやれずに生きるのか、と。
だから、私は贖罪をすることにしたのだ。
皮肉なことに私が手にした職はデジタルデバイスを扱うものだった。そして少なくとも大学で内蔵型ヒューマン・インタフェース・デバイスを研究していたため、手段を考える暇は省けたのだ。脳から発せられる電気信号を読み取るデバイスを脳付近に埋め込み、記憶の収拾を行おうとした。
だが、現実は恐ろしいほどに残酷だった。消えた記憶はもう元に戻ることはなかったからだ。キーボード上のバックスペースを押せば文字やデータが消えるように、消したものは簡単には元に戻らない。
ゆえに私は次の手を考えた。本人から回収できないのであれば、別の、関わりのある人間から回収すればよいと。




