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10.Twist the fate

 ***B


 茫然としていた。あまりに突然と立て続けにあり得ない事が起こったからか、虚ろ気になりかけていた。明後日の方向へ視線を逸らし続け、一定時間一言も言葉を口にしなかったのだ。


『ボクは感情と記憶の集合体……マスノマディック、とでも呼んでおこう』


 倒れていた男たちの下腹部に刺さっていたナイフが知らないうちに取り除かれ、流れていた血液すら消した白髪眼鏡の研究員のような人物。ただ僕を一瞥して不敵な笑みを浮かべていただけなのに、不気味で、何を考えているのか正直分からなかった。


「おーーい聞いてる?耳はありますかーー?大丈夫ですかーー?」


「聞こえ、てるよ。だから……そんな近寄らなくても平気」


 ミユは顔を僕に近づけてきた。具体的には鼻と鼻がくっつきそうな距離感だ。だから僕は少しだけ戸惑ってしまった。こんな時、どんな反応を取ればいいのか、申し訳ないほどに分からなかったからだ。


 ところでミユは大体10歳程度の少女で、背丈も似合って僕よりも50cmほど低い。だから顔と顔を近づけることなど出来ないのだ。


「っ、うっさい!!心配して損した!!」


 つまり僕が男性を救助していた付近のベンチ。その上に立って身長差を帳消しにしていたのだ。


 そしてミユは僕と近づきすぎたことを恥じたのか、突然頬を紅潮させて右足を蹴り上げ。ちょうど右足の上に……


「うおおうっ……うう……」


 僕の下半身、足の分け目、股の中央部にクリーンヒット。絶え間ない冷たい痛みによって悶絶する形となった。痛みは下半身から腹部へと移行し、立っていられなくなる。


「あ、あれ……どうしたの?まさか何か変なモノでも食べた?それとも救助して疲れたの?」


「それが本心から、本音で言っているとしたら。君、本当にたちが悪いよ……」


 自分で股間を打つことはあまりない。というか無いに等しいけれど、まさか転生して、一度死んでもまたこの痛みを味わうとは、思いもしなかったよ。 


 それに自分が何をしでかしたのか把握していない少女だし……酷、酷すぎるよ神様。


「もういいよ……一つ忠告しておきたいんだけど、男の人の股は蹴っちゃだめだからね?分かった?」


「ん、どうして?じゃあ女性の股は蹴ってもいいってことになるの?そんな風習があったっけ、私が知る限りじゃ覚えていないけど……」


「暗黙の了解って言葉知らない!?いい?やっちゃダメなことはダメ。それぐらいは覚えてくれ」


 何も知らない無垢で純粋な少女だということなんだろうが、無知は罪だ。教えた方が良いことと、知らなくていいことの両端が存在するのだ。今回は前者、知らなければ生きづらいったらありゃしないだろう。


 だけど、僕には少女に表立って性知識とかを話す技量はないし……まあ……知るべき時が来たら知るだろう。大まかなことだけしか話さないことにした。


「男には股に重要なものがあるんだ。だからそれを潰されたら終わりなんだ。痛いってのもあるけど、痛い以上に辛いんだよ」


「ふーーん。そんなもんなんだーー、変なのね男って。弱いものをあえて股に置いておくなんてひ弱」


 何でだろう。なぜか、背徳感、敗北感だけが背中にどんどん積もってくる。


「と、とにかく。そっちの男の人は平気だった?怪我とかなかったの?」


 話を逸らす。このままだとロクな展開に成りそうにもない気がしたし、今はそんな話をするべき時じゃない。


「こっち?私の方の人は平気よ、どこも異常は無かった。ただ腹痛で倒れただけみたいで。それも変だけどね」


 やはり下腹部あたりに刺さっていたナイフは見えていなかったようだ。僕だけに見えるホロ。それがいったいどんな意味をもたらすのか、多分、さっきのマスノマディックと何か関係があるのだろう。ミユには見えない浮いた存在。感情が欠落し、言葉によって表現しづらい存在。


「僕の方も気にする必要はないよ。たぶん、同じくお腹の痛みなんだろうけど、原因は分からない。でもおそらくだけど、これは意図的な現象だと思う」


「意図的……それって誰かが計画的に襲ったってこと?」


「うーん……それとはちょっと違うかな。恣意的な現況、誰かがいて初めて起こる現象かな」


 つまり自然に腹痛になったのではないということ。言い換えれば、三人という複数人が同時にお腹を抱えて倒れこむというのは誰かがそうしたに違いないということ。

 そもそも僕は彼らの下腹部にホログラムのナイフが突き刺さっていたのを見ていたし、そう思うほかなかった。だけど……


「君が助けた時、男の人たちの下腹部に何か刺さってた?ナイフとか棒とか、なんでもいいからとにかく鋭利なもの」


「そんなの見てない。けどお腹の下の方が痛みの原因がありそうな仕草を取っていたよ、なんだか必死に押さえてたから」


 やっぱりそうだ。ミユは見えていなかった。彼らの腹部にナイフが突き刺さっていたことを知らない。


 しかし、とにかく事件の被害者に何が起きたのか聞かなければならない。そうすることが真相の解明に繋がるもっとも近い道筋。僕はベンチの上で安静にさせた茶髪の男性に声をかけた。すると、痛みをこらえるようにやっとのことで口を開いた。


「俺たちは……っ、変な奴に襲われたんだ」


「変な奴……?それって男?それとも女?一人だった?」


 腸がつまっている辺りを押さえつけ、痛みに必死にこらえて言う。


「い、いや一人だった……性別は……分からねえ。あまりにも突然のことすぎて頭が追いついていかなかった」


「それで……どうして君たちはそんな状況になったんだ?理由があったんじゃないか?」


 苦しんでいる人間に何度も質問するのはいささか気が引ける。まるで僕が拷問でもしているように見えるからだ。たとえ言いたくないことを強引にしゃべらせているわけではないにしろ、辛そうにしている人には大人しく安静にして欲しいものだ。


「小さな……知らない小さな子を囲んでいた」


「どういうこと……?」


「女の子だ……三人で囲んでいたら突然襲われた……何の余地もなく」


 それは助けたつもりなのか?彼らは小さな子供を囲んで危険な目に遭わそうとして、そしてその現場を見かねた誰かが彼らに対して制裁を下した。そんな顛末だったのか?


「少女って、その子はどこにいるんだ?見たところ、周囲にはいないけど……」


 周りには誰もいない。僕とミユ、そして彼ら男たち三人だけ。だからてっきり僕は少女がやむなく恐怖で逃げ出してしまったのかと思った。


 なぜならそれが妥当だからだ。目の前で下腹部を刺され、ホロだとしてもリアルな流血を見てしまうのは必然的。そして10歳の少女ならば驚いて逃げるかあまりの恐怖でその場を立ち去れないほど怯えていた、としか考えられない。


 あるいは刺した本人が、連れ去った可能性、というのもあったけれど、それも違ったのだ。


「どこって……そこにいるじゃないか……その子だ」


 そう言って微弱な力で指で示したのは、僕の隣で終始聴いていたミユだった。


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