猫の集会
短いですがキリがいいのでこの長さで投稿します。
「あ、おかえりー」
「んだよ、その笑顔」
朝からそんな顔を見せられて、ティロは隠すことなく眉根を寄せた。
「ん? あんたがちゃんと帰ってきたから」
「なんだよそれ」
「これぐらいがまんしてよ。どーせあんた、任務とやらが終わったら二度とこの家に戻ってくるつもりなんか無いんでしょ? だったらせめて、嘘臭くてもおねーちゃんらしいことぐらい、させてよ」
さっきまであんなにだらしない笑顔だったのに、急に引き締めた笑顔になるものだから、ティロはどうしても戸惑ってしまう。
「……お、俺は」
「いいわよ。ムリしなくても。イヤだったら素っ気なくしてくれていいし。ほんとにただの自己満足、」
「そういうこと、言うな」
今度はトーニャが驚く番だった。
「なによ。今日は優しいじゃない」
「うるさい」そこで何かを思いだし、トーニャに何かを突きつける。「これ、外に落ちてたぞ」
間違いなく、自分のアーマー・ギアだ。
「あれ? なんで?」ばばばっ、と自分のからだをまさぐり、「はずした覚えなんて、……ない、よね?」首を捻る。
「俺に訊くな」
「そうだけどさ」
不安になりながらもしばらく考えたあと、見つかったしいいや、と思考を打ち切り、ティロに視線を戻す。
「ご飯にする? お風呂は……たぶん掃除してないから、シャワーでがまんしてね」
「なんだよたぶん、って」
「まだ見てないんだもん」
「意味わかんねぇ」あくびを噛み殺しながらドアを自分が通れるまで開ける。「ちょっと寝る」持っていたアーマー・ギアを渡す。
渡す瞬間、ちらりと見たトーニャの首を、なぜか驚いたようにじっと見る。
「どしたの? ひとの首なんか見て」
「……べつに」
「あ、変な筋になってるから? なんだろね、これ」
あっけらかんと問うトーニャに、ティロは息を呑んだ。
トーニャが言う首の筋。それは誰がどう見ても黒いチョーカーにしか見えない。
「なによ。変な病気なの? この黒い筋」
「……そう言うのじゃ、ない。安心しろ」
ふうん、と興味を失ったように相づちを打ち、
「朝ご飯作っておくから、起きたら食べるのよ」
「……わかった」
今日は本当に素直だ。
「食べたいものある?」
「米があればなんでもいい」
ふふ、と笑うトーニャ。
「わかった。たっぷり炊いておくから」
ん、と返事をしてティロはアーマー・ギアを手渡して家の奥、風呂場へ向かった。
弟の後ろ姿を見ていると、だんだんトーニャの首が傾いでいく。
なんだろう。昨日出て行く時と格好が違うような気がする。祖父の形見のゴーグルはいつも通り首に提げているし、衣装もくたびれてはいるけど変わってはいない。
通り過ぎる時に女のにおいもしなかった。
今日は、夢見からして違和感だらけだ。
「せっかくいい気分だったのに」
不平不満は一日一回まで。
だから今日はもうなにがあっても文句は言わない。がまんする。がまんしてお風呂できれいさっぱり洗い流すんだ。
そう決めて朝食の準備に取りかかると、風呂場からシャワーの音が聞こえてくる。あ、そうだ。タオルとか用意しておかないと。
またいそいそと動き出す。
家に自分以外の誰かが居て、向かい合ってご飯を食べたり並んで歯を磨いたりトイレの順番待ちをしたり、あれこれ世話を焼く暮らしも悪くない。
素直に、そう思えた。
*
結局その日は新規の仕事の依頼も無く、溜まった修理依頼をこなしているうちに一日が終わった。
ふたりで夕飯を食べ、適当にテレビを見て、ラジオを聴きながらお風呂に入って、ほぼ同じ時間にそれぞれの寝室に入った。
特に会話は無かったけれど、いまさら仲良くするのも違うと思った。ただ世話は多目に見て、おねーちゃんとしての本分を堪能していた。
「さて。明日はなに食べようか……な…………」
ベッドに上がる前、窓に浮かぶ月に視線がいく。今日は満月。それもスーパームーンだとラジオで言っていた。
満月なんて何度も見てきた。でもこの月は、怖い。
飲み込まれそうな、自分の意識が無限に広がっていくような。
そう思った刹那、どくん、とトーニャの全身が震えた。
ぱさり、とトーニャの足元にパジャマと下着が落ちる。
頼りないほどに細い首にはめられた首輪以外、一糸まとわぬ清らかな裸身が月光に照らされ、彼女はふらふらと窓を開け放った。
その夜、バレンシェバッハの家から二匹の黒猫が、夜の街に出掛けていった。
きっと集会だろう。
猫は存外、社交性の高い生き物なのだから。