再びの対峙
月光団の予告状に記された場所は、カルボン・シティでも有数の豪商の邸宅。
アーマー・ギアの発達、普及により貧富の差が薄くなったと言っても、六十年前からの資産は別だ。
「ここって……なんだろう、覚えがある……?」
署長に連れられて、彼の部下数人と共に屋敷の応接間に通されたトーニャは、部屋に散りばめられた調度品や絨毯の模様に気を奪われていた。
こんな豪商の大邸宅に来た記憶なんてないはずなのに、見覚えに似た何かが記憶の引き出しを引っかく感覚に、トーニャの心は少しざわめいている。だからみっともなく部屋をキョロキョロ見回して、となりで汗を拭きつつ緊張した面持ちの署長に余計な心労を重ねさせている。
やがてトーニャたちの正面にあるドアが静かに開く。
「おお、おお、トーニャお嬢ちゃん。久しいのぉ」
ドアを開けて現れたのは、穏やかな笑顔の上に白美髭をゆらりと垂らす一人の老人だった。
この屋敷の主、ベラート・フォーゼンレイムだ。
杖こそついているが、背筋も歩調も淀みない、また上等そうなスーツも完璧に着こなしている。
そんなベラートを見ていると、機械油の焦げ茶色の染みや、魔素の赤い欠片がこびり付いた作業服と指抜きグローブ姿の自分が急に恥ずかしくなってきた。
「ああ、気にせずともよいよ。お嬢ちゃんはその姿が勝負服なんじゃろう? 恥じることは己の仕事を恥じることに繋がることじゃよ」
言ってベラートは、かかか、と笑う。そして仕草で署長とトーニャを部屋の中央にあるソファに座るよう促す。皮張りのソファも、その前にある黒いテーブルも、ひと目見ただけで高級なものだと分かる。
この格好で座るのは悪いな、と思いつつも先程のベラートの言葉を思い出して座ることにした。遅れて署長も恐縮した様子で続く。部下たちはふたりの背後やドアの周りに散って油断なく部屋を警備する。
無礼ともとれる部下たちの行動に、ベラートはしかし腹を立てることもせず、執事に目配せをする。受けた執事は一礼して静かに部屋を退出していった。
まだ緊張している署長が落ち着くまで、とトーニャはベラートに問いをぶつける。
「あの、あたしのことをどこで、知ったんですか」
「なに、きみの祖母殿が所属していた研究機関に、少しばかりの融資をしておってな。その頃何度か遊びに来たことがあったからの」
「あ、だから見覚えがあったんですね」
「ほう。覚えておったか。さすがじゃの」
かかか、とうれしそうに笑う。
こんな風に褒められるのは初めてなのでくすぐったい。なので話題を変えることにした。
先程までの疑問は解消できたが、また別の疑問が浮かんできたからだ。
「え、おばあって武術のひとじゃないんですか?」
「彼女は文武両道を真の意味で体現する、正真正銘の天才じゃよ。あそこまでの傑物は、もう永劫、出ぬかも知れんほどにな」
「そんなに……」
ただ感嘆するトーニャの前に、品の良い花柄のティカップが置かれる。その腕を辿れば、先程退出した執事だったが、いくらベラートとの話に夢中になっていたとは言え、紅茶を淹れる音も香りにも気付けないでいたなんて、不覚すぎる。
「なぁに。執事の格好こそしておるがの、この者以下執事もメイドもお嬢ちゃんよりも腕が立つ。気配ぐらい容易に消してみせるのじゃよ」
執事を見上げれば、そこにはただにこやかな笑みを浮かべる壮年の男性がいるだけ。だが、その身のこなしに、祖母に通じるものを感じた。
「大旦那さま、そろそろ予告状に示された時間です」
執事が胸ポケットから懐中時計を取り出し、聞き惚れる低音で告げると、場に緊張が走った。
仕事の時間だ。
署長からも緊張の色は無くなった。
「人員の配置などはこちらに一任させてもらいます」
「構わんよ。お主らに何を言うても聞かぬじゃろうしな」
一度署長を鋭く睨み、次の瞬間には、かかか、と高らかに笑って見せた。
月光団の狙いは、この邸宅の地下に保管されている鎧兜一式。
いつごろからこの屋敷にあるのか、誰も知らず、また記録にも残されていないので、おそらく何代か前の当主が表にできぬ借金のカタにでも引き受けたのじゃろう、とベラートは笑っていた。
経緯はどうあれ、現在はフォーゼンレイム家の所蔵品なので警察も動かざるを得ず、トーニャたちが警備にあたることになった。
配備された警官の数はおよそ百人。月光団は通常十人程度で行動することが多いので十分すぎるように感じるが、これまでの失態を考えれば明らかに少ない。
これには理由がある。
特にアーマー・ギアの普及したカルボン・シティでは月光団以外の犯罪件数は少なく、基本的な人員も予算も限られている。
その上いままで一度も逮捕されたことの無い月光団が相手とあっては、いくら署長が本部へ応援を要請しても、メンツを重んじる上層部にはまるで届かずにいる。
しかも、義賊として人気の高い月光団が相手では署長以下カルボン署全体への風当たりも強く、離職者も多い。
そんな状況で集まった百人はまさに精鋭であり、士気も高い。だが士気の高さが結果に結びつくかと言えば、それはまた別の話だ。
「正直、助かった思いが強いんだよ。トーニャちゃんが協力を申し出てくれて」
「いえ、そんな。あたしは弟のほっぺたを一発叩きたいだけですから」
「それでも、だよ。今日はみんな張り切ってるから、アーマー・ギアの調子もいい。今日こそは逮捕できるかも知れないね」
そうですね、と返し、トーニャは警戒を強める。
ふたりが居るのは、屋敷の三階にある大広間。壁際に立つと、向かい合う正面の壁が手の平ほどに見えるほどに広大な、部屋と呼ぶのもおこがましいような場所だ。
ぐるりと見渡して、あたしの家の何倍あるんだろうな、とトーニャはぼんやり思った。
そこに警官たち、総勢五十名ほどが油断なく配置され、署長の姿を見て敬礼したりしている。
部屋の片隅にかけられた、大型のゼンマイ時計が低く鳴り響く。
そろそろ時間だ。
どこから─場の全員に緊張が走る─いつだ、はやく、こないでくれ、さっさとこい、こわい、くるなくるな、いつでもこい─警察官たちの思いが渦を巻き、それぞれのアーマー・ギアの出力を上げる。
上。
誰よりも早く感じ取ったトーニャが叫ぶ。
「みんな伏せて!」
雷が頭上を天井を一気に疾った。刹那、ふわりと梁が天井が浮き上がり、爆散した。
もうもうと立ちこめる煙や、建材の細かな破片に警官たちは咳き込み、照明器具が天井ごと吹き飛ばされて視界を奪われたことも重なって現場はパニックに陥った。
ただひとり、トーニャを除いて。
「……そう。やっぱりそれ使うのね」
煙が風にまかれて消えていく。その向こうにうっすらと見えるのは、白い巨人カイゼリオン。
「ティロ!」
このケンカは今日で終わりになる。
そんな予感だけは、くっきりとあった。
天井が無くなったのは、ベラートには悪いが好都合だ。
ハンマーを両手で高く掲げ、アーマー・ギアの出力を高めて叫ぶ。
「来て! プリンセッサ!」
ハンマーから上空へ放たれた一筋の光は、夜の闇に触れると瞬間、漆黒へとその輝きを変え、夜空を覆い始める。夜空が一層暗くなり、星々までも覆い尽くす。
完全な闇が屋敷を覆った直後、トーニャの真上の闇が膨らみ、薄い膜を上から押し伸ばすようにぐいぐい降りてくる。
押し伸ばされた闇の膜は徐々に巨人の姿を形作っていく。猛禽をそのまま人族へ模写したような外見を整え終えると、つま先から、グラスに液体を注ぐように闇色の何かが充填されていく。
充填が完全に終わると、眼下のトーニャへ向け、その瞳から濃緑色の光を照射する。
ハンマーを棒形態へと戻して後ろ腰に差し、トーニャは両手を広げて濃緑色の光を背中から受け止める。ふわりと浮き上がり、すぅっと漆黒のガウディウム、プリンセッサへと吸い込まれていった。
それら一連の動作を数秒で終えた後、バイザー・アイに光が灯る。
『闇より生まれ、光裁つ! 光后プリンセッサ!』
ずしゅん、と見た目以上に軽い足音で着地したのは、屋敷の外に広がる庭園。白い巨人、カイゼリオンは左前に居る。
鋭く指を突きつけ、叫ぶ。
『覚悟しなさい!』