月光団
「さて、どうしたもんかな」
トーニャが仕事場としている工房は、主にふたつの区画に分けられている。
入って右手側に歯車の付いた板状の機械、アーマー・ギアを直接修理する作業台と、こぶし大の赤く濡れた石、魔素が山積みにされた木箱が並ぶ。左手側には必要な部品を設計する年期の入った木製の製図台が置かれている。
六十年前に世界が裏返るまではただの町工場だったここを、きっと必要になるから、という理由でアーマー・ギアの修理も受け付けるようになったのは、まだ祖母と知り合う前の祖父。
そういえば祖父母の馴れ初めも聞いたことがない。武の人だった祖母がどんな風に技術者の祖父と知り合ったのか、それを唯一語るのは作業台の脇に置かれた机にある、若かりし頃の祖父母の写真。
レンズは分厚く、毛皮をクッションにしたゴーグルを首から下げ、黒髪の女性の肩をはにかみながら抱く青年と、少しイヤそうに、けど嬉しさもにじみ出ている女性。
「あたしもこんな彼氏とか出来るのかな」
この写真を見るといつもそう思う。
ふう、と羨望のため息をこぼしてトーニャはここへ来た目的を思い出す。
脇の机には祖父母のツーショット以外にも、自分と過ごした頃の祖母や、何度ミィシャに言われても絶対にカメラ目線にはしなかったティロと祖母とのスリーショットの写真も並んでいる。
仕事に詰まった時、祖母の写真を見ているとなにかヒントがもらえるような気がして、写真たちは欠かせない。
ともあれ、まだ祖母に頼るほど追い詰められてもいない。自分で考える。
「ただ直しただけじゃ、また返り討ちにあうだろうしな……」
なにしろあいつは、こちらがふっかけたケンカに大型機巧体、カイゼリオンで応じたのだ。
再会した直後、顔を見ていないこちらが弟だと断定したのだ。顔を見ているティロが、こちらが誰かを理解していないはずがない。にも関わらず。
あいつが家を出て行ってからの八年間で、お互い顔も体つきも変わっていても、面影ぐらいは残っているだろうし、あいつの名前も呼んだし、おばあのことも叫んだ。これで気付かないほどあいつは莫迦じゃない、と思いたい。
「んー、でもなー……」
あいつは最後までマスクを脱がなかった。
脱げない理由があるのかも知れないけど。
ひょっとしたら本当に赤の他人なのかも知れないけど。
直感を信じたい。
だから。
「やっぱり使うしかないかなー……」
一転、重いため息を吐いてトーニャは、入り口から真正面の壁に視線を足を向ける。
そこにあるのは、工具などが詰め込まれた引き出し式の五段棚。その引き出しをある手順で開け閉めすると棚はゆっくりと右にスライドする。そして棚が隠していた壁にあるスイッチを押すと、棚のあった床はゆっくりと地下へ降りていく。
目的の階までは時間がかかる。このエレベーターは単純に床だけが降りていくだけ。なので掴まるものがないから安全のために速度を落としている。
到着までの間思うのは、やはりティロのこと。
ミィシャに言われるまでもなく、ティロが頑固なのはわかっている。
一緒に暮らした時期に言葉を交わしたことなんて、数えるほどしか覚えていないけれど、こっちが何か言ったところで絶対に無視するんだろうけど。
あいつとは双子だ。もう他に肉親のいない、たったひとりの血縁者。
だから、人様に迷惑をかけてるあいつに一発ビンタしてやるんだ。
それで、今回のケンカは終わりにしよう。
言葉でいくら謝ったり謝られたりしたところで、お互い納得はしないから。
「そうしよう」
床のあった場所が手のひらほどになった頃、ようやく目的地へ到着する。
エレベーターから降り、すぐ右手側の壁にある水銀灯のスイッチを入れる。
完全に明るくなるまでの間、トーニャは彼女になんと声をかけようか考える。
もうずいぶんと顔を合わせていない。三年か、五年か、ひょっとしたらティロよりも姿を見てないかも、と思う。
やがてすべての水銀灯が輝きを放ち、部屋の中央にある巨大な漆黒の影をくっきりと浮かび上がらせる。
「……久しぶり」
悪友に会った時のような、困った笑顔をトーニャは影に向ける。
「プリンセッサ」
光が当たってもその影は払われなかった。
むしろ照らされたことで黒真珠のような艶が現れ、その姿をあでやかに染め上げている。
ティロが駆るカイゼリオンとこのプリンセッサは、どちらも祖父が設計、建造したガウディウム。カイゼリオンの純白に対してこちらは漆黒。カラーリング以外のデザインは微差しかない。性能も魔素出力も同じ。つまり、これがあればあいつがカイゼリオンを持ち出してきても、同じ土俵で戦えるということ。
ここ数年ろくな稽古をしていない自分がどれほどやり合えるか分からないけど、前回のような体格差を気にしなくてもよくなる。
「あんたも弟と闘うのはつらい?」
腕組みして見上げて問いかけたところで返事があるはずもなく。
まあいいや、とトーニャは一歩踏み出す。
かつん、と床材の鉄が高く鳴る。
「とりあえず動作チェックと、ハンマーと召還機関の連動かな」
思いついたことを口にして、ぐい、と腕まくりしてぱしん、とほっぺたをたたいて気合いを入れて。
「うっし、やるぞーっ!」
今日は徹夜だ。
あ、工房に閉店の看板出してないや、と思ったが、客なんてそうそう来ないしいいや、とすぐに思い直した。トイレにでも立った時にやればいい、と決めた。
「ふっ! ふっ! ふっ!」
そして翌朝、トーニャは玄関先でハンマーの素振りを行っていた。
夜通しの作業は朝日が昇る頃に終わり、いまは朝食前の稽古。結局晩ご飯を食べていないので空腹感を一気に満たすため、メニューは昨夜のカレーにした。ご飯が炊き上がるまでの時間つぶしに思われても別に構わない。
ミィシャが様子を見に来たらこう返すつもりだ。
「いいの。これはあたしの問題なの。正しいこととかどうとかは関係ないんだから」
半ば意地になってしまって引き返せないのが丸見えなのは、トーニャも薄々気付いている。
でもいいのだ。
これはもう、プライドの問題だから。
ふん、と鼻息荒くトーニャは素振りを続ける。
とりあえず動けなくなるまでやって、その後はハンマーの改造だ。
つっ、と頬をなにかが伝った。血じゃないのは分かる。
あれ。
なんだこの気持ち。
悲しいのか、怒っているのかも分からない。
構うものか。
濡れた頬を拭うこともせず、トーニャは素振りを続ける。
トーニャの決意は、固い。
*
それから数日。
稽古とハンマーの改造とプリンセッサの調整の合間を縫って、トーニャは依頼されていたアーマー・ギアの修理を行っていた。
ギアの修理依頼は半年前から増え始めている。八年前この工房を継いだ時は全くのゼロだったのに、半年で急に、だ。最もいま考えれば当時八歳だった自分に大切なアーマー・ギアの修理をわざわざ依頼には来ないだろうとは思うけれど、少し変だとも思う。
「……んー、この回路がねじれてるから解いてあげたいんだけど、そうするとこっちをいじらなきゃいけないから……あーもう。なんでこう難しく設計するのよ」
工房の製図台の前で頭をひねっていたトーニャの耳に、電話のベルがけたたましく割り込んできた。
ティロだ。
直覚し、トーニャはしかし落ち着いた様子で電話台の前に立ち、受話器を取る。
『トーニャちゃんだね? 月光団から予告状が来た。まだ弟さんが来るかどうかは、』
「いますぐ行きます! 場所はどこですか!」
いや、一切落ち着いてなんかいなかったようだ。