たすけて
「ティロは?」
どこに居るんだろう。
「分かりません。他の方々の意識も希薄で捉えることが……」
「そんなの、愛の力でどうにかしてみせなさいよ」
「あ、ああ、愛とか、私とティロはそんな関係じゃ……」
照れるボスに、むふふ、と口元に指の先を当て、挑発的に笑う。
「ふうん。ま、姉としては弟が誰とくっつこうと勝手にすればいいんだけど、さ」
ぐるぐると視線を巡らせて、本来の目的のものを探す。
「あたしはルーマのことが気になるの。場所、ほんとうに分からない?」
目を伏せ、首を力なく振るボス。
そう、と呟いて、前方へ無造作に手を伸ばし、何かを探すように指を動かす。
「あった」
わしっ、とその空間を掴み、手元へ引き寄せる。
「う、うおおおおっ?!」
困惑の悲鳴がトーニャの手元から聞こえる。その手が掴んでいるのは首根っこ。すぐにその主が分厚い縁のゴーグルを首に下げた少年だと分かる。
この空間でそんな格好をしているのはひとりしかいない。
トーニャは重さを感じさせない挙動で首根っこをずるずると引っ張り、やがて全身が姿を見せるとあっさり手を離し、重力なんて無いはずのこの空間に腰から落とした。
引きずり出された少年はまず立ち上がり、混乱と焦りにまみれた息を全身でしながらトーニャとボスを交互に見やる。どうにか状況を認識した直後、トーニャを睨み付ける。
「な、な、なにした、おまえ」
前髪が乱れる弟がかわいい。顔だけはいいんだ。こいつも。
「分からなかった? べつのところにいたあんたを、引っ張り出したの」
やっぱりこいつは、と眉根を寄せて、ティロは文句を言うことを諦めた。
「そういうことじゃなくてだな」
ふふん、となぜか自慢げに微笑み、調子づいた顔で語り始めた。
「この空間って、いろんな悪意が詰まってるでしょ? それって魔素みたいなものかなって。魔素って思いを伝えるから、人の思いって時間も空間も飛び越えるから、特に縁のあるティロの首根っこぐらい掴めるかなって」
ああそうかい、とティロはうめく。
「と、とにかく。ルーマの元へ急ぎましょう。首根っこを掴めなくても、近くへ移動することはできるはずです」
うん、と頷いてルーマのことを思い返す。
悲劇のヒロインぶってるいけ好かない女。
だからって見捨てていいはずがない。
「一緒に帰るよ、ルーマ」
手を伸ばして探ってみるが、彼女との縁は薄いから難しいかも、と思い直し、ティロに向き直る。
「ティロ、あんたがやりなさい」
「は?」
「ルーマはボスの欠片が集まって出来たんだから、ルーマとの縁はあんたの方が深い」
「お、俺とこいつは」
「自分の惚れた相手の面倒ぐらい、自分で見なさいって行ってるの!」
乱暴にティロの右手首を取って、やはり適当に決めた空間をまさぐらせる。
「おまえ、そんな強引だったかよ」
「強引にもなるわよ。たったひとりの弟が居なくなっちゃうんだもん」
「だから俺は」
「ごめんごめん。あんたにも都合があったんだよね」
「…………」
視線を外し、起こったように、困ったように口を曲げるティロ。
もう冗談を言える雰囲気では無くなったから、トーニャは本題に切り替える。
「……どう? なにか感じる?」
「別に、なにも」
変ね、とつぶやいて、巡らせた視線はすぐにボスに行き当たる。
「ボス、あんたもティロの手、握ってやって。ルーマの情報が足りないみたい」
「はぅっ、はひっ!」
「なに照れてるのよ。八年も一緒に暮らしておいて」
何か言いたげなティロの視線を後頭部に感じたが、長くなりそうなので無視した。
「ほら早くして。あたしいい加減、家帰ってお風呂入ってご飯食べてぐっすり寝たいの。今日は朝早くから一日動き回って思いっきり疲れてるし、食事だっておにぎりとお味噌汁しか食べて無いんだから」
でもあのお味噌汁は美味しかった。今度遊びに行ってレシピを教えてもらおう。
そんなことを考えていると、おずおずとボスが手を差し伸べてきた。
「ほら、早く!」
乱暴に掴んでティロの左手と握手させ、トーニャはボスの右手を握る。そうすることで自分とルーマの縁をティロに伝えられるような気がして。
「あ、あんまり強く握るな、よ」
あんたまで照れてどうする。
長くなりそうだったので急かしてみる。少しぐらいプレッシャーをかけてやらないと、こいつはちっとも動かないから。
「もー、早くしてよ」
「おまえみたいな感覚派と一緒にするな」
このぐらいの反撃なら驚かない。だから正論で押し込めてやる。
「あんたが考えすぎるのよ。実戦になったら型どおりの状況なんて滅多に起こらないんだから、っておばあもミィシャさんもいつも言ってたでしょ」
「うるさい」
「ふん、だ。妹のこと忘れてこんなかわいいひとと暮らしてたんだからさ、これぐらい我慢しなさいっ」
「忘れてなんかねえよ」
「行動で示してくれなきゃ、女は分からないの」
「……悪かった。い、言われたからじゃねえぞ。言うタイミングが無かっただけだからな」
「だからっていま言うの? ったくもう。そういうところは変わらないわね」
どこか気まずく、どこかほんのり暖かな沈黙が三人を包み、やがて、ティロが言う。
「あった。やっと見つけた。かなり深くまで落ちてた」
「ん。じゃあしっかり掴んで引っ張り上げて」
ティロが頷き、腰に力を入れる。
瞬間、周囲を埋め尽くしていた怨嗟が蠢き始める。
それまで言葉にならない、うめき声のようだった声が、はっきりと、単語として理解できるほどに強くなる。怨嗟の声は耳を脳を内蔵を、そして精神を揺さぶってくる。
だが、なによりトーニャの心に触れたのは、酷く濁ってはいるが、それらがすべてルーマの声音だったこと。
─きえたくない
─おまえたちがきえろ
─にくいにくいにくい
─あっちいけ
─たすけて
なによ。
あんた、人族の闇をどうにかするつもりだったんじゃないの?
ふん、と鼻息を荒く吐いて、ティロの背中をぱしん、と叩く。
「全部引っ張り出して、ティロ。苦しみは集まっても苦しみが増すだけ。辛い思いを和らげられるのは、幸せな日々だけ。あたしは、よく知ってるから」
恥ずかしいことを言ってる。でもいい。ルーマを助けると言ったのは自分だから。
ティロは視線を小さくボスにやる。つられてトーニャもボスを見る。
怨嗟の声に全身傷だらけになりながらも、ボスは恥ずかしそうに視線を外した。
「なーによ。孤独に戦ってた妹を八年もほっぽっといて、こんなかわいいひととイチャイチャしてたの? おにーちゃんずーるーいー」
「ばっ、ばか! 俺はそいつに指一本触れてない!」
「へー、純情なんだー。赤くなっちゃってかーわーいーいー」
「うるさいっ!」
ふふん、と意地悪く微笑み、ばしん、と今度は強く背中を叩く。
「ほら踏ん張ってお兄ちゃん! 頭が見えてきたよ!」
なにか違うような気もするが、気にしないでおく。