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再びの闇へ

 あの霧へ向かう前に、彼女と少し話しをしておこうと、トーニャは決めてプリンセッサの手の平に降り立つ。


「よろしく、ボス。しっかり掴まっててね」


 近くで見るボスの顔は、あまりルーマに似ていなかった。ルーマはもっと哀しそうな顔をしていたけど、ボスはこんな状況だというのにどこか晴れやかだ。


「はい。お久しぶりです」


 笑った顔に覚えがある。月光団になる直前、自宅にやってきたワンピースの女性だ。


「ボスが直接催眠かけに来てたのね」

「……はい。結果的に、トーニャさんには何度も辛い思いをさせてしまいました」

「いいよ。いまはこうやって笑ってられるんだし。母親だって最初から居なかったんだもん。あんなの見せつけられてびっくりはしたけど」

「でも私がトーニャさんの、」


 あ、今の顔ルーマに似てた。だから遮る。


「いいってば。いまやらないといけないのは、ルーマを引っ張り出すこと。それだけに集中しよ」

「……では、ことが終わったら話を聞いてくださいますか?」

「うん。そういう口ぶりだと、あんまり嬉しい話じゃなさそうだけど、後でなら聞く」

「ありがとうございます」


 いくよ、とひと言置いて両手をふわりと合わせ、プリンセッサを走らせる。できるだけ霧の塊を挟んでカイゼリオンと一直線上に入るような位置取りをしつつ赤黒い霧へと向かう。

 赤黒い霧は自身の一部を伸縮させてムチのようにカイゼリオンを執拗に攻撃しているが、回避と誘導に専念している彼には掠ることさえ出来ずにいる。

 プリンセッサがあと数歩の距離まで詰めた瞬間、赤黒いムチが音を置き去りにして迫る。直後、すぱぁん! と鋭い音がプリンセッサの手を切り裂き、細かな破片が散華する。

 しかし、その手の中は空洞。人影ひとつ無かった。


「残念でした!」


 声は赤黒い霧のすぐ麓。ボスと並び立つトーニャから発せられた。

 一瞬遅れて霧は自身からムチを何本も伸ばしてふたりへ殺到させる。しかしトーニャは不敵に笑むだけ。なぜならば─


『囮になるなって言っただろうが』

「あんたがしっかり引きつけておかないからでしょ」

『ひとのせいにするな』


 左からカイゼリオン、右は片手を失ったプリンセッサにより全て切断、あるいはその手に絡め取られて、トーニャたちには毛筋ほども触れなかったのだから。

 ふう、と大きく安堵の息を吐くボスの額が薄く割れ、たらりと赤い液体が流れた。

 それを見て驚いたトーニャはポケットからハンカチを取り出し、傷口にあてる。


「あ、ごめん。そんなに怖かった?」

「い、いえ。あの霧に、あてられてしまって」


 ボスは純粋な魔族だ。この距離で傷を負うのならば、と僅かに生まれた躊躇をトーニャは素直に吐露する。


「……どうする? いまなら止められるけど」

「いえ、いきます。元は私が始めたことです。だから」

「そう。じゃあ」


 一度目を閉じ、そのままトーニャはボスの両手を握りしめる。

 トーニャからの感情の流れに若干の不安を感じ取ったボスは狼狽する。


「え、あの、トーニャさん?」


 開けたトーニャの瞳はらんらんと輝いていた。

 その奥にある真意を感じ取ったボスは、ひぃ、と小さく悲鳴を上げてしまうがトーニャは手を離さず、むしろ強く握りしめ、叫ぶ。


「ほおら、行って来おおおおいっ!」


 砲丸投げのようにぐるぐると回転を加え、ボスを天高く放り投げた。


「こ、こんなのってぇえええっ!」


 いまにも泣き出しそうなボスの悲鳴が公園に響き渡った直後、赤黒い霧は急速に膨張。本当に一瞬だった膨張は、ボスだけでなく、トーニャもプリンセッサも、ティロを乗せたカイゼリオンまでも一気に飲み込んだ、と思った刹那、急速に収縮する。

 残されたのは、五つ腕の半分ほどの大きさの赤黒い霧の固まりと、耳を壊すほどの静寂。


「……え?」


 残されたミィシャは、呆然と赤黒い霧の固まりを見つめることしか出来なかった。


    *


 気がついた時、トーニャの周囲には赤黒く染まった空間が広がっていた。


「やっぱり短気はダメなのかなぁ」


 あれだけ周囲から言われても、トーニャ自身自覚はあるものの、短気は治らない。

 ボスを投げ飛ばしたのだって、早く決着を付けたかったから。

 でも、迂闊だった。

 ボスをルーマに近づければ勝手に引きずり出されると勝手に思い込んでいた。


「だったらぶん投げる前に出てくるはずだよね」


 けれど、ボスが中に取り込まれた現在もまだ状況に変化が無いということは、そもそもの仮定が間違っていた可能性も出てきた。

 

「ルーマ、聞こえたら返事してー」


 ルーマが取り込まれる直前に流した涙も、トーニャにすれば過去のもの。彼女を助けたい気持ちは当然あるが、失われることへの悲哀はもう消え失せている。

 あの程度で泣くなんて。まだまだ子供だと思う。だってルーマは自分とは少し言葉を交わしただけでほぼ無関係。

 泣いた理由はたぶん、祖母が亡くなった日のことを無意識に重ねていたからだろう。

 きっとそうだ。

 そうに違いない。

 でなければ自分が他人なんんかのために涙を流すはずがない。

 と、強引に決めつけ押し込め、トーニャは声をかけ続ける。


「ねえ、誰もいないのー?」


 声を掛けながら、トーニャは状況を整理する。

 赤黒い霧が、ボスを投げた直後に膨張したところまでは見えていた。その速度にからだが反応出来なかっただけで、プリンセッサとティロたちも呑み込まれたところまでちゃんと視認している。


「プリンセッサ、聞こえたら返事してー」


 声が届くかは分からないけど、絶対に届かないと分かるまでは止めない。


「ティロー、ボスー、カイゼリオーン、ルーマー。居ないのー?」


 やはり返事は無い。

 耳を澄ましてみても、聞こえるのは霧を形成する、負の感情の欠片たちの言語にもならないような淡い声音だけ。


「やだな、こういう感情」


 八年前の自分を見せつけられているみたいで。

 あの頃の自分は酷いものだった。

 おばあが死んで、ティロが黙っていなくなって、訳の分からない大人たちが殺到して。

 ミィシャにもヌェバにも、本当は心を開いてなんかいなかった。

 ふたりともあいつらと同じ大人だったから、いつ心変わりして家や思い出を奪っていってもおかしくない、と心のどこかでは思っていた。

 すぐに、そんなこと無い、と否定しても、一度生まれてしまった負の感情はそうそう消えはしなかった。

 たぶん、いまでもその種は残っている。

 厳重に厳重に封印して、心の奥底に閉じ込めているけれど、どんな拍子で芽を吹くか分からない。


「あのふたりを信じなくてどうするのよ」


 ふたりは大恩人だ。

 ミィシャは当然として、普段あれだけ憎まれ口を叩いていても、深入りせずに気遣ってくれるヌェバに感謝の気持ちを忘れたことは無い。

 心が剥き出しの魔族だから相手を傷つけないで近づく術を熟知しているのだろうけど、それでも。


「やめやめ。考えても暗くなるだけ」


 ぶるぶると頭を振って疑念を追い払う。

 胸に手を当てて心の具合を見れば、あれだけ詰め込んだ元気は赤黒い霧の言葉に浸食されてすっかり枯れている。


「だめだ、こんなのじゃ」


 元気を出したくても出せない。

 この空間が心を犯しているのは理解できるのに、それ以上のことはできない。

 気持ちがどんどん沈んでいく。

歩くことも、ティロたちを呼ぶこともできなくなっていく。


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