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人のこころ、魔族のからだ

 まず眼に飛び込んできたのは鮮やかな青空。良かった、時間はそれほど経過していない。次いで眼下に視線をやる。五つ腕は全身にワイヤーを巻き付けられ、その端は地面に杭で打ち付けられ、身動きを封じられていた。

 強化鎧を纏った警察官たちの数も十人ほどに増え、五つ腕が動き出してもいいように散らばって取り囲んで警戒しているが、トーニャの視線は真っ先にミィシャを捉えた。


「お待たせっ!」

『トーニャ!』


 ミィシャも真っ先に名前を呼んでくれた。嬉しい。そういえば、さっき助けてくれた時は妹って言ってくれた。もっと嬉しくなる。


「プリンセッサ!」


 その喜びを噛みしめるよりも先にトーニャは濃緑色の光を浴び、彼女の中へ戻って着地。すぐさま掌の上のルーマをミィシャに預け、五つ腕の正面へとジャンプ。


『だああああっ!』


 自分でもどうにかなってしまいそうなほどに舞い上がった気持ちはプリンセッサの出力を極限まで引き上げ、余剰分が白い霧となって各所から吹き出す。

 落下し、攻撃が届く距離まではまだいくらか時間がある。それを使って作戦を練る。

 あの赤黒い霧が凝縮してルーマを形作った。そのルーマを外へ引っ張り出したのだから、五つ腕はもう無力のはず。だったらあとは五つ腕のからだを解体すれば終わり。


 なんだ。意外と簡単じゃない。


 ハンマーを両手で握りしめ、双頭の残った一つへと叩き付ける。

 ごおおおおんっ、と重苦しい金属音が商業エリア全体に響き渡り、トーニャは弾き返された衝撃でハンマーを落としそうになりながらも、打撃面を見る。わずかに凹んだだけ。


『だったら!』


 手に残るしびれもなんのその。もう一度強く握りしめ、叫ぶ。


『ブレード!』


 薙刀へと形を変えた獲物を水平に(はし)らせる。今度は弾かれない。が、刃がこめかみの辺りでめり込み、それ以上進まなかった。


『なんで』


 そんなはずは無い。舞い上がった感情をアーマー・ギアに乗せてプリンセッサへと伝えられたエネルギーは、もう片方の頭部を破壊したときよりも遙かに上なのに。

 ぞわっ、と悪寒が走る。その根源を探った視線は開いた首の穴で止まる。そこから五つ腕の中身を覗けば、赤黒い霧が充満しているではないか。


『なんで!』


 怒りも混じった疑問を叫びつつ薙刀を引き抜く。また取り込まれる可能性も考慮して地表に降り、ルーマに問い詰める。


『どうなってるのよ、あれ! あんたがあの霧を集めて持ってたんじゃないの?』

「確かに私は、あの五つ腕のガウディウムの中に集まった、月光団の活動が誘発した悪や闇の感情が凝縮して生まれました」


 そんな経緯で生まれる存在があるなんて、目撃しなければトーニャも信じなかっただろう。

 けれど現実にルーマはミィシャの側に立ち、トーニャと会話している。信じざるを得ない。


「いまあれを満たしているのは私を形作ったものではなく、人族の方々から溢れた雑多な悪意の集合体です。私とは無関係です」


 ということはつまり。


『はぁっ?! じゃああんた抜き出しても無駄だったってことじゃない!』

「だからそう言ったじゃないですか」

『なんで不満そうなのよ』

「あなたが私の話を聞かないまま連れ出すから!」


 しょうがないじゃない、と頬を染めて、照れ隠しに言う。


『じ、自分の話や願いが初対面の相手に聞いてもらえるとか、そんなの甘えだから』


 ルーマの隣のミィシャがたしなめるようにトーニャを見上げ、睨む。だって、と小さく反論して、


『だったら、どうすればあれを止められるか、教えて』

「ありません。そんな方法」

『なんでよ』

「あなたが私をあそこから引きずり出したからです!」

『どういうことよ』

「私はあそこで、時間をかけてでも悪意を説得して鎮めるつもりでした」

『じゃあ連れてくから、』

「もう無理です。いま生まれた霧の悪意にとって私は異物でしかありません。悪意にとって異物は攻撃の対象にしかなりませんから」


 言われて思い出す。

 八年前、祖母が他界したとき、トーニャにとって世界の大半は敵だった。

 おばあさまの古い知り合いでね、の言葉を武器にすり寄って、あなたのような子供が一人暮らしなんて、の言葉を盾に遺産を掠め取ろうとしていた大人達。

 少なくともトーニャはそう感じていた。

 だから、素性を隠して客としてやってきても、少しでもそんな気配を感じたら水をぶん撒いて魔素をぶつけて追い返していた。

 ミィシャとヌェバと、祖母と弟と暮らした八年間の思い出だけが彼女の心の拠り所だった。

 思い出だけを胸に八歳のトーニャは涙を堪え、夜ごと襲いかかってくる寂しさに耐えて来た。

 そういう大人たちが諦めて来なくなるまで。

 いま思えば相当心がささくれ立っていたんだと思う。

 いま思えばヌェバもミィシャにも相当暴言を吐いていたし、向こうは向こうでよく見放さなかったと思う。

 感謝しかない。

 だから、いまルーマが言ったのは本当だと思う。

 回想と思考を止め、ルーマに言う。


『どうにも出来ないってこと?』

「はい。私が近付いたとしても、説得の余地無く一瞬で滅ぼされてしまいます。それだけ深い闇なんです」


 ルーマは自身を魔族だと言った。

 人族の心や精神が肉体の内側にあるのだとすれば、魔族の肉体は心や精神の内側にある。これは脊椎動物と外骨格動物との違いに近い。

 精神を心を剥き出しにしている魔族は、悪意や殺意をぶつけられれば本当に傷つくのだと、トーニャは八年前に身をもって経験している。


『ん? ちょっと待って。なんであそこに居たあんたは平気だったのよ』

「生まれた場所だからです。あそこにため込まれた、人族の悪や闇の感情の根源である月光団の記憶が凝縮して私は生まれました。……魔族としての特性は持っていますが、私を純粋に魔族と呼ぶことは出来ないでしょう」


 また泣きそうな顔になる。やめて欲しい。こっちが悪者みたいじゃない。


『じゃ、じゃあなんであたしを引きずり込んだのよ』

「私がなんとかするから、攻撃とかしないでってお願いしようと思ってたの!」


 う、とうめくトーニャ。

 じろり、と睨むミィシャの視線が痛い。


「どうする、おつもりですか」


 初めてルーマの語気が荒くなった。


『あれぶっ壊しても、ダメなの?』

「はい。内包されていた悪意が飛散し、人族も魔族も悪意に汚染されてしまいます」


 そこでミィシャが割り込むように口を挟んだ。


『人族が汚染されることは、たぶん無いと思うけどね』

「どういうことです?」

『さっきトーニャが言ってたでしょ。人はみんな心に闇を抱えてる、って。光も闇も抱えてるのが人族の心だから、少しぐらい悪意に染まっても、芯がしっかりしてれば、ちょっと暴れてすぐに元通りよ』

「そんな、簡単に……?」

『そうしなきゃアーマー・ギア使えないし、ギアが使えなきゃこの街で暮らせないし、ね』

「そういう、ものですか?」

『そ。人の心ってね、結構頑丈なのよ。傷ついて傷つけられても、十年もすれば笑い話にできるんだから』


 ルーマはいまひとつ得心がいっていないようだったが、トーニャは構わず言う。


『じゃあ、あれぶっ壊してもいいの?』

『だからそういう短気はやめなさいって言ってるでしょうが』

『だって』

『だってじゃない。ちっちゃい子じゃないんだから、頭使いなさい』

『じゃあミィシャさんにはなにか考えがあるの?』

『ないわよそんなの。あたしガウディウムなんか持ってないし、この強化鎧もあんなの相手にするには出力が足りないわ。せいぜいあんたの援護ぐらいよ』


 そんなのずるい、と呟いてトーニャは反論する。


『やっぱり壊せってことじゃない』

『考え無しに突っ込むなって言ってるの』ルーマに向き直り、『あなたが生まれたのがあそこで、要因は悪意に含まれていた月光団関係の記憶、ってことならさ』

「はい」

『またあなたみたいなのが生まれるってこと?』


 あ、とトーニャは小さく漏らし、ルーマは五つ腕をじっと見つめて考える。


「どうでしょう。いまあのガウディウムの中にあるのは、月光団とはほぼ無関係の悪意です。ルーマの欠片はあるでしょうが、顕現出来るほどの濃度も可能性も低いです」

『じゃああなたが増殖したりはしないのね』


 はい、と頷くのを見てミィシャは胸をなで下ろした。


『じゃあ……ん? あいつ、膨らんでない?』


 ミィシャに言われ、全員が五つ腕を見る。


『……うん。膨らんでるね』


 なにが起こっているかは理解できるが、なんであんなことが起こっているのかが理解できない。

 ただでさえ巨大だった五つ腕が、風船のように不格好に膨らみ、その巨体を封じ込めていたワイヤーも地面から解き放たれようと揺らいでいる。


「あんなにも……膨大なものを……、私は……」

『ま、あれでも足りないぐらいよ。人の持ってる悪意って』


 ミィシャがあっけらかんと言う。トーニャが知らないだけで、彼女もまた苦労しているのだろう。


『とにかくルーマ、あなたはプリンセッサの中……、トーニャ後ろ!』

『ふぇ』


 変な声が出た。

 そのせいで振り返るタイミングを逸し、うなりを上げて迫るワイヤーの束への対応が致命的に遅れた。


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