カイゼリオン
鮮やかに軽やかに一輪バイクで駆け抜け、少女は騒動のあった美術館に到着した。
現場は静寂に包まれており、数人の警察官が現場検証を行っている以外は野次馬もマスコミたちも居ない。
遅かったか、と落胆する少女に、丸っこい男声が投げられた。
「おお、トーニャちゃん。どうしたんだい」
それが自分の名前である、と黒髪の少女は判断に一瞬だけ時間を要した。他人から名前を呼ばれることなんて、久しく無かったから。
「あ、署長さん。……その、月光団は、どうなりました?」
声をかけたのは、カルボン・シティ警察の署長。小柄で丸みを帯びた体型はいつ見ても警察の仕事をするには不向きだとトーニャは思う。
「やられたよ。とっくに逃げ出したあとさ。でもトーニャちゃんが野次馬なんて、どういう風の吹き回しだい?」
「その、テレビでニュース見てたら、月光団のことがやってて、えっと、身内が、団員の中にいるような気がして」
「そうかい。確かに、連中の中にひとり、おそろしく剣の腕が立つ者がいるけど、まさかティロくんのはずが無いだろう。あの厳しいおばあさまに育てられているんだからね」
「でも、クセとか、似てたんです」
真剣な眼で追いすがられて署長は困惑したように返す。
「ごめん。恥ずかしい話、連中の正体はどれだけ捜査しても糸口すら掴めないんだ。ティロくんかどうかは、分からない」
「そう、ですか……」
見ていて気の毒になるぐらい落ち込むトーニャに、署長は務めて明るい口調で話題を変えた。
「トーニャちゃんが以前設計してくれた対人用ガウディウムだけどね、順調に作成されているよ。技術部からの評判もいい。もうすぐ実践に投入できると思うよ」
「あ、ありがとう、ございます……」
評価してもらったことは嬉しいが、弟にビンタしてやれなかったことのショックが大きく、落胆した肩が上がることは無かった。
「……?」
ふいに夕暮れに引き延ばされた影が急激に膨れ広がり、トーニャは反射的に上空に視線をやった。
何か巨大なものが降ってくる。
白い。
夕焼けに照らされながらなおはっきりと分かる純白。
知っているガウディウムだ。
そう認識した直後、トーニャの眼前にガウディウムが白い巨人の形を成して派手に着地する。衝撃で土埃が舞い狂い、思わず目を閉じてしまう。
巨人が着地した足音にトーニャは覚えがある。
土埃が収まり、開けた視界の真っ正面にあるのは巨人の膝。もうそれだけで白い巨人の正体がわかる。
「トーニャちゃん逃げて!」
署長が遠くで叫んでいる。
彼の声が悲痛な理由はわかるが、逃げるわけにはいかない。
圧倒的なまでの巨体を前にしても、トーニャは一切怯まない。
いま落ちてきた純白の巨人に乗り込み、操る者こそが、トーニャの弟なのだから。
「なぁにやってるのよ、ティロ!」
足を踏ん張り、腕をがっしりと組んで、少女と思えない大音声で叫ぶ。後ろの署長が耳を押さえて眉をしかめて軽くしゃがむが、純白の巨人は小揺るぎもしない。
無視されることも予想済みだ。
「いいわよ。あんたがそういう態度ならねぇ」後ろ腰のベルトに差した棒を抜き、正面に構える。「こっちにも考えがあるんだから!」
気合いも高らかにアーマー・ギアを棒の束に突き刺す。と、棒が少女の腕ほどに伸び、次いで右側の先端が膨らみ、蒸気のような白い気体をまき散らしながら弾けた。
いや、弾けたように見えたのは錯覚。
白い気体が収まると、そこには竜でも相手にするかのような巨大なハンマーを堂々と構えるトーニャの姿があった。
「こいつでぶん殴って弾き出して思いっきりビンタしてやるんだから!」
ばしゅん! と鎚の端々から水蒸気のような気体が吹き出し、トーニャもふんっ、と鼻息を飛ばし、叫ぶ。
「覚悟しなさい!」
ハンマーの束を両手で握りしめ、一切の恐れなく白い巨人へと突進する。
白い巨人も動く。左足を半歩下がらせ、左手で地面をトーニャごと掻き出すように走らせる。土石流さながらに迫る、砕けたアスファルトと土が入り交じった壁を前にしてもトーニャは臆せずハンマーを足下に叩き付ける。
「でえいっ!」
その反動でトーニャのからだがふわりと浮き上がり、次いでハンマーから吹き出す気体が上昇気流となって獲物ごと彼女のからだを空へと舞い上げる。
「おばあを裏切るようなマネして!」
トーニャのからだが白い巨人の頭部をはるかに超える。
「絶対に許さないから!」
顔を全身を下に。トーニャの視界の隅で陽が完全に落ちる。一瞬、すべての光が失われたかのような暗闇が世界を覆う。その一瞬を狙ってトーニャはハンマーを振りかぶり、白い巨人の頭部目がけて振り下ろす!
下から何か来る。
それが先ほど地面を抉り削った白い巨人の左手だと気付くのに、それほど時間は要さなかった。自分をつかみ取ろうとする巨人の手を、身を捩って回避。その回転力を使って、追撃に来た巨人の右手首にハンマーの一撃を喰らわせる!
ごぉん! と耳をつんざく轟音が響く。衝撃はトーニャのからだを吹き飛ばし、しかしハンマーから白い気体を吹き出して落下のダメージを減らした。
息つく間もなく白い巨人が迫ってくる。
うん。やっぱりティロだ。踏み込む時に右肩がわずかに沈む癖は、おばあから何回言われても、八年の月日が経過しても治らなかったようだ。
にっ、と口角が上がる。
なんだ。うれしいんだ。
勝手にいなくなって、この八年連絡ひとつ寄越さなかったくせに、再会できたことは、やっぱり。
「わああああっ!」
気合いも高らかに白い巨人へダッシュ。白い巨人は軸をずらし、トーニャの左横に一歩で移動。両手で押し潰すように地面すれすれを走らせる。前後から猛スピードで迫る壁にトーニャは、ハンマーを横に構え、叫ぶ。
「伸びろおおおおおっ!」
束のアーマー・ギアが呼応するかのように激しく輝き、鎚からは白い気体が吹き出し、直後萎み、再び一本の棒となってぐんぐん伸びる。
白い巨人がこちらの意図に気付く。だが、一度付いた勢いをそう易々と殺せるはずもなく、トーニャの狙い通り棒の両端が白い巨人の手のひらに突き刺さる。
「ドリル!」
刹那、棒の両端が白い気体を吹き出しながら鋭いドリルへと変貌し、高速回転を始める。がりがりと巨人の手が悲鳴を上げ、一瞬で手首から先が粉砕された。
にっ、と口角を今度は自分の意思であげて白い巨人を見上げる。
「ハンマー!」
ぎゅんっ、と柄が元の長さに戻り、同時に鎚も形成する。
「だああああああっ!」
白い巨人の左手首に飛び乗り、駆け上がり、もう一度頭部を目指す。
二の腕に差し掛かったところで白い巨人は自身の左肩を見つめる。その双眸が濃緑色に光り、肩口にひとりの黒猫を現出させる。
やっぱりティロだ。全頭マスクのせいで顔は見えないが、あいつとは双子だ。それぐらいは分かる。
ティロが腰の刀に手を添え、身を低く構える。容赦しないってことね、と思わず舌なめずりをしてしまうトーニャ。
「せえのっ!」
肩に入る直前、鎚から白い気体を大量に放出させて煙幕代わりにし、自身は高くジャンプ。狙うはティロの左肩!
「ふんっっっ!」
思いっきり振り下ろす。狙いもタイミングもばっちりのはずなのに、命中した感覚は全くのゼロだった。
「えっ」
慌てて手元を見る。煙幕が晴れる。柄が途中から切断され、鎚が遙か前方を飛んでいくのを視界の隅でとらえた。
「二度と俺の前に立つな」
低く静かに。すっかり声変わりした弟の声はトーニャの耳朶を打ち、次いで巨大な扇へと姿を変えたティロの刀が巻き起こした突風に巻かれて消えた。
「きゃあうっ!」
きりもみ状に吹っ飛び、地面を何度もバウンドしてようやく止まった。
「……かはっ」
よく頭を打たなかったと思う。そのことに感謝しつつ立ち上がろうとするが、力が入らない。ティロが放った突風には、無数の斬撃も織り交ぜられていた。
身につけていた作業服もTシャツも肌も、ぼろぼろに切り裂かれている。アーマー・ギアを酷使したせいで体力も気力も使い果たした。
稽古をサボり続けた報いがこんな形で出るなんて。
「ティ……ロ……っ」
足はふらつき、目もろくに開かない。遠くで署長が叫んでいるような気がするがうまく聞き取れない。意識も朦朧とし、全身が鉛にでもなったかのような疲労感と倦怠感がトーニャを襲う。
どうにか視界に収められたティロは、再度白い巨人の中に戻り、トーニャから興味を失ったように周囲を見回し、やがて建物の片隅に腕を伸ばす。
戻した腕には白いワンピースを着た女性がしがみついていた。
仲間だろう、と思う。けれどもうだめだ。踏み出そうとした足が石につまずき、顔から派手に転んでしまう。
遠くから署長が、こけつまろびつ駆け寄ってくる。一応警察官なんだからそんなのでどうするの、と思ったのが最後だった。
意識を失う瞬間は、どうしてこんなに気持ちがいいんだろう。
視界も意識もすべてが黒に包まれた。