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心の闇

 暗闇だけがあった。


 見えるのは、完全な闇。


 聞こえるのは、懺悔。


 感じるのは、嫉妬。


 うっすらと、目覚めたばかりに残る夢のように。

 月光団として活動したあの夜、ティロに助けられた時のことが思い出される。

 あのとき自分を支配していたのは、この空間に満ちる赤黒い霧と同じ感情。

 全身を真綿で締め付けられるように、あの赤黒い霧が放つイメージそのままの感情がプリンセッサとトーニャを包み込んでいた。

 自分の手さえ見えない空間だが、自分のからだの感覚はちゃんとある。そして全身を包むプリンセッサの暖かさは感じられる。


「プリンセッサ、大丈夫?」


 異常なし、と答えてくれた。


「さっきは警告ありがとね。活かせなかったけど」


 無事ならいい、とプリンセッサ。

 ん、と返して自分たちの状態を確認する。

 こんな状況に放り込まれたと言うのに、お互い特に恐怖は感じていない。

 試しに右腕を動かす。反応があった。薙刀も持っている。

 もっと重苦しい抵抗があるかと思っていたけど、それほどでも無かった。重油よりは軽く、水中よりは重い。そういう認識でいいと思う。

 足元には床や地面の感触も反応も無いので踏ん張りはきかないけど、祖母から水中での稽古も受けているから大丈夫。

 これならばなにか出てきても対応はできる、はず。

 さて、と状況を整理する。


「プリンセッサ、ここがどういう場所か……分かる?」


 答えは期待せずに問いかける─やはり彼女にも分からないようだ。


「あ、気にしないで。念のためだし、分かってたらもっと前に教えてくれてたはずだし」


 こんなにも彼女と喋ったのは、たぶん初めてだ。やっぱり心のどこかでは、少なからず不安は感じているのだろうか。

 ふふ、と小さく笑って考えを整理する。


「五つ腕に呑み込まれた、のよね。あたしたち」


 肯定、とプリンセッサ。

 うん。それはいい。事象として理解できる。

 けれど目的が分からない。

 この空間を満たしているのが、闇や悪の心の細かな欠片が集まって出来たものだとして。

 この五つ腕は生まれた直後からではなく、人を認識してから行動を開始していた。

 けれど。攻撃しても攻撃を受けても、五つ腕からは全くなにも感じなかった。攻撃を受けて痛がる素振りも、攻撃が命中させたときの喜びも。一切を感じなかった。

 なにも感じられないから次になにをするのかが分からず読めず、結果この有様だ。

 反省はあとだ。

 自分たちを取り込んで、これから五つ腕がなにをするつもりなのか。それが問題だ。

 まさかこのまま吸収するつもりなのだろうか。


 十五年前の母のように。


 ふいに脳裏を過ぎったあの幻に、しかし心がざわつくことは無かった。

 むしろ心は落ち着き、幻のことを考える余裕も生まれた。

 こんな時に、とも思うが、一度始まった思考は止められない。

 あの魔族は、なにが目的だったのだろう。災害の現場で人の精神エネルギーでは無く人体そのものを取り込むなんて。


「ヌェバも分からないって言ってたしな……」


 でもその魔族もまだ生きているのだと思うと少し腹が立つ。

 魔族は不死だ。

 ヌェバは、母を取り込んだ魔族は自分たちとは少し違う、というようなことを言っていた。けど不死であることまでは覆らないだろうと思う。

 やめよう。

 自分だって人族の全部を知っているわけでもないのだし。

 けれど、と思う。あのあと祖母はどうしたのだろう、と。

 母について祖母が語ることはほとんど無かった。

 同年代の子供たちと自分の家の環境が違うことに、トーニャは不満を感じたことは無い。このことでティロが表立ってワガママを言っている姿は見たことも無いのでがまんしていたのだろう。

 弟の無愛想な顔が浮かんだら、今度は弟のことに思考がシフトした。

 あいつ、結局なにが目的で家を出て行ったんだろう。

 八歳の子供に出来ることなんてたかが知れているのに。

 いまだって大したことなんて出来ていないのに。

 そう考えると、祖母がいなくなってからの一年ほどの間、無礼な大人たちにもみくちゃにされた自分が不公平に思えてきた。

 でもきっと、あいつはあいつで苦労ぐらいしているんだと思う。一緒に暮らした数日間でそれははっきりと分かった。

 だって、嫌いでいつも残していたニンジンを嫌な顔ひとつせずに食べていたから。


「子供のままじゃ、生きていけないもんね」


 弟のことを考えたら、あれほどぐちゃぐちゃになっていた思考の流れが静かに落ち着いてきた。

 いま考えなければいけないのはここからの脱出方法だ。

 現状を再確認。

 全天を赤黒い霧に覆われ、動きはやや鈍くなっている。足元に床や地面の感触も反応も無いので踏ん張りは期待できない。


「取りあえず動いてみるか」


 山などで遭難したときはその場から動かないことが鉄則。だがそれは助けが来る可能性が高い場合だけだ。

 現在、五つ腕がどう動いているか分からないし、ミィシャをこんなよく分からない場所に巻き込むわけにはいかない。


「よっと」


 手を足をじたばた動かしてみる。抵抗や負荷をほとんど感じないのでどのぐらい移動できているかの実感もなく、プリンセッサの高性能な目から見てもそれの観測は難しい。

 でも動く。

 諦めるのは大嫌いだ。

 というよりも、諦められるひとがすごいと思う。皮肉抜きで。

 出来ないことがあるとすぐ意固地になってできるまでやってしまう。一旦手放すことはあっても、何日か、あるいは何年か過ぎたらまた手を付けている。

 ミィシャになんとなしに相談したら、なんでそんなこと気にするのよ、と笑っていた。

 やっぱりミィシャさんはすごい。

 自慢のお姉ちゃんだ。


「あんたも、長いこと放置しててごめんね」


 構わない、と返ってきた。

 いい子だ。

 おばあがいなくなって、ティロが出て行って、それからはひとりで生きてきたと思っていたけど、そんなのは甘えだったと今更に気付いた。


「ふたりで出るからね」


 宣言して操作に集中する。

 どれだけ動いたかも分からなくなった頃、背後から闇が払われていく。

 違う。

 払われたのではなく、ふたりの正面の一点に凝縮していく。霧が晴れた場所は淡く輝く無色透明な空間となり、それはどんどん拡大していく。だが変化があったのは視覚だけであとは変わっていない。むしろ眼が利くようになったことで視覚に頼ってしまいそうで少し不安になる。

 畏れを消そうと薙刀を構え直す。切っ先は凝縮を終えた霧の塊。塊はぐねぐねと粘土をこねるように形を変え、きっと母親を呑み込んだ魔族の姿を取るんだろうな、と予想したトーニャの期待を裏切る姿へと変貌した。


「……ボス……?」


 月光団のボスに、酷似していた。


「な、なんでボスなのよ。全然、関係無いじゃない」


 赤黒い霧が凝縮して生まれた女性は、月光団のボスによく似ていた。

 ボスに似た女性はプリンセッサの胸の辺りに漂いながら、悲痛な面持ちで話し始めた。

 その面持ちにイヤなモノを感じ、トーニャは身構える。


『私は、ルーマ。六十年前この世界にやってきました』


 あ、だめだ。嫌いなタイプだ。

 一見で断じたが、しかし話だけは聞いてやろうと、プリンセッサの中で腕組みして足組してからだの力を抜く。


『この世界の人々とふれあい、技術を提供している内にこの世界の人々が内包する問題をどうにかしようと思うようになりました』


 トーニャは自身でも気付かないうちに舌打ちをしていた。

 なぜここまで嫌うのかは、八年前に散々やってきて、いまでも年に一人ぐらいはやってくる、善意と同情だけで出来ているようなおばさん連中と同じにおいを感じ取ったから。


『この世界の人々と共同で、いまではアーマー・ギアと名を変えた機械を生み出し、争いの無い、エネルギー資源を必要としない世界へと変えようとこの世界の方々と共に行動しました』


 ルーマは一度目を伏せてうつむく。

 しばし肩を震わせた後上げた顔は、悲しみに溢れていた。すごく鬱陶しい。


『しかし、私のやり方は間違っていました。この世界の人々は正しい心だけでは生きていけないのだと知った時に、研究施設の事故は起きました。その反省から、私は月光団を立ち上げ、人々の心の充足を謀りました。しかし、それもああいう形に終わり、いまもこんな姿になってしまいました』


 もう我慢の限界だ。

 外がどんな環境なのかも考えずにプリンセッサから飛び出し、胸の前に広げたプリンセッサの手のひらの上で仁王立ちになる。


「ふっざけんじゃ、ないわよ!」


 大音声が透明な空間に鳴り響く。


「勝手に人族の心に同情して、勝手に助けようとして、勝手に失敗して! それを人間のせいにしようとか、あんた神様でもやってるつもり?! 人族の心を甘く見てたのはそっちでしょうが!」


 ルーマは驚いたように目を丸くする。


『で、でも、私は』


 弱々しい反論を視線だけで封じ、トーニャは問いかける。


「あんた、魔族?」

『は、はい』


 やっぱりね、と嘆息し、睨み付ける。


「あんたたち魔族は心が剥き出しになってるから解らないでしょうけどね。人族はみんな、気付いてなくても心に闇を抱えてるの」

『知識としては、わかっています』

「だったら覚えておいて。人族の心の闇は自分でも触れないぐらい危険なものだけどね、だからこそ一番大事な思いも入ってるの!」


 びくん、とルーマが震える。


「それを他人が勝手に同情してあれこれいじり回して挙げ句、きれいにしてあげましょう、なんて、めちゃくちゃでっかいお世話なのよ!」


 最後にふんっ、と荒い鼻息ひとつ。


「さあ、わかったらここから出して! ミィシャさんたちが心配してくれてるんだから!」

『は、はいっ!』


 弾かれるようにルーマは返事をし、両手を掲げる。


『いま、出口を開けました。おふたりはそこから出てください』

「は? なに言ってんのよ」

『え』

「あんたも一緒に来るのよ!」


 ぐい、と腰から抱き寄せ、プリンセッサに合図を送る。


『ちょ、ちょっと離して! 私は外に出たらダメなんです!』

「うるさい。あんたが五つ腕作って動かしてたんでしょ。あんた引きずり出せば片付くのよ!」

『ち、違います! 私はここで、ちょ、ちょっと待ってえええぇ……』


 三人は上空にぽっかりと開いた穴に吸い込まれるように上昇し、さほど時間もかからずに外へ放り出された。


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