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双后恋魔 プリンセッサ  作者: 月川 ふ黒ウ


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いのち

「月光団のマスクだ」


 どこに行ったのかと思えばこんなところにあった。プリンセッサを暴走させたあの日、きっとティロが引き抜いてくれた拍子で脱げたのだろう。

 あの日のことは夢のようにしか記憶にない。

 けれど、伝え聞く限り、自分の感情が溢れたせいでプリンセッサを五つ腕のような、いやきっともっと酷い異形に変えてしまった。

 彼女はガウディウムだから、こちらを拒絶したりはしないけれど。自分だったら絶交どころでは済まさないだろう。

 ありがとう。

 こんなあたしに付き合ってくれて。

 プリンセッサへの思いで胸が一杯になると、心が少し軽くなった。

 もう一度マスクを見る。

 胸一杯の思いの中に、もう一つ別の思いが生まれる。


「……うん。そうだね」


 たったひと夜の関係であっても、彼らとは縁がある。

 彼らの知恵や勇気を借りるつもりでマスクをかぶる。

 瞬間、世界が開けた。


 ─なに、これ。すごい


 意識が感覚が広がっていく。

 まずはこの公園の全景。

 そして商業エリア、円を四つに区切ったカルボン・シティの全景。そしてどんどん意識は広がり、この星全てをトーニャに見せた。

 世界はトーニャの意識の中で広がりながら、顔も名前も知っているはずなのに思い出せない人々の日常も、一瞬一瞬ではあるが同時に見せていた。よく混乱しなかったと思う。

 なにより不思議だったのは、意識が広がって見える世界がどれだけ広がっても、人々や犬や猫たちの息遣い、穏やかな話し声、木々が葉を揺らす風、虫たちの密やかな足音。

 さらには生命全ての鼓動までもがトーニャを優しく包んでいた。


「そっか。分かった」


 みんな生きてる。

 そして心がある。

 いまあいつに対抗できるのは自分たちだけ。

 ぎゅっと拳を握ると、トーニャの意識とからだはひとつに重なり、プリンセッサの中でトーニャは目を覚ました。


「おまたせ、プリンセッサ」


 返事の代わりにプリンセッサが表示したのは、マスクを被ってからトーニャが呼びかけるまでの経過時間が一秒に届いていない、ということだった。


「ふうん、もっとすごい長く感じてたけど」


 作業場に籠もっている時によく、ものすごい長く考え事をしていたつもりでも、実際には五分ほどしか経過していないことがままある。今回のこともそれに近い現象だろうと片付けて五つ腕に視線をやる。


「うん」


 決意が固まった。

 もう一度だ。どれだけ巨大でも、向こうは無人だ。踏ん張って頑張れば腕の一、二本ぐらい落とせる。

 その後は、ティロに押しつけよう。さっき意識が広がった時にあいつの顔も見えた。ベッドに眠る女の人の枕元に座っていたけど、あいつだけはこっちに気付いて驚いていたから……気が向いたら来るだろう。


「よしっ」


 ビルの陰から飛び出し、気付かれる前に懐に飛び込む。五本腕の反応が遅れた。よし。腕が少ない右腕側。その背中が見える位置に高速で回り込み、相手の肩口の高さまでジャンプ。


『ブレード!』


 プリンセッサでさえ両手に余る長大な薙刀を形成。そこで五本腕の右二本が動く。巨大さを感じさせないスピード。上が斧、下は太刀。時間差もフェイントも無くただ真っ直ぐこちらに振り下ろされ、突き込まれる。


「そんな程度!」


 空中で一度薙刀を振り下ろし、その反動で斧を回避。ぐるりと中空で半回転したプリンセッサは相手の斧の地の部分を蹴って五本腕の尻尾へと飛び出す。


『だああっ!』


 薙刀を振り下ろし、太く長い尻尾の付け根あたりに突き入れる。深くめり込んだが切断には至らなかった。追撃が来る前に薙刀を抜いて五つ腕の背中に向き直る。


『うそっ!』


 やはり機械だから出来る芸当だろう。上体を腹部から百八十度回転させて完全に背後へ向き直っていた。

 状況をからだが理解するのと、五本腕による攻撃はほぼ同時だった。

 斧が太刀が、槍が棍が矛が。プリンセッサという一点を目指して殺到する。

 武器さえ除けば抱きしめるように包み込むように五つ腕を伸ばされ、今なお放出し続ける赤黒い霧の迫力に気圧されてトーニャは行動が一瞬遅れた。

 その一瞬は勝敗を生死を分ける一瞬であり、それは永遠に取り戻せない一瞬だとトーニャが気付いた時にはもう、迎撃も間に合わない距離まで五つの獲物は迫っていた。


『わああああっ!』


 それでも。

 トーニャは後ろへ跳んだ。

 直撃だけは絶対に避けるために。

 それを切れ込みの入った尻尾が封じる。プリンセッサの背中が壁のようにそそり立つ尻尾に当たり、トーニャは完全に逃げ場を失う。もう脳がどれだけ命じても五つの獲物が命中する方が先。だからもう、命中するまでの、無限に引き延ばされたような一瞬を、閉じることさえ追いつかない瞳でまじまじと見つめる以外、なにも行動できなかった。


 ─ごめん、プリンセッサ


 自分が未熟だから、未熟な自分が乗っているから、プリンセッサに苦しくて怖い思いをさせてしまう。

 こんなことになるなら、もっと真剣に稽古をしておけば良かった。

 けれど後悔もなにもかも、あと数瞬で終わる。

 不思議と恐怖は無かった。

 プリンセッサの繊細な肌にまず槍の穂先が、触れ、


『あたしの妹に!』


 五つ腕が止まった。


「え」


 驚きと不思議さをもって見れば、五本腕すべてに鋼鉄製のワイヤーが絡みつき、五つ腕の動きを封じ込めていた。


『なにやってんのよ!』


 ワイヤーの出所(でどころ)を視線でたどれば、そこには対月光団用に開発された強化鎧を纏った男女が五人。ワイヤーを全身を使って引っ張っている。


『トーニャ! まだ動けるね!』


 そこでやっと、この声の主がミィシャだと気付いた。

 来てくれた。救ってくれた。

 こんな圧倒的な、見ているだけで恐怖をもたらす存在が相手だと言うのに。

 泣きそうなぐらい嬉しかった。

 だからもう絶対に諦めたりできない。


『は、はい! やれます!』


 農業エリアでもらった元気をかき集め、ミィシャたちからもらった勇気で圧し固め、その塊をトーニャは自分の心にぶち込む。

 いままで生きてきてこれ以上無いぐらいの気力が漲ってきた。


『わあああああああああああっ!』


 薙刀をぎゅっと握りしめ、ジャンプ。

 ワイヤーを足がかりに一気に五つ腕の頭上まで飛び上がった。

 まず、頭!

 激しくも美しい回転を加え、向かって右側の脳天へ薙刀を打ち付け、頭部を粉砕する。手応えが軽すぎる、と感じたのは間違いではなかった。


「うわ。なにこれ。さっきのやつじゃん」


 金属とは思えない、風船のように破裂した頭部のあった場所はぽっかりと穴が開き、その奥、胴体部分をみっしりと赤黒い霧が蠢いている。

 心にぶち込んだ勇気の塊を気合いで燃やし、押し寄せる恐怖への壁に。それでもなお冷や汗は止まらず、心臓は早鐘のように打ち鳴らされる。


「落ち着け。考えろ」


 五つ腕を動かしていたのは機械ですら無かった。ならばこの赤黒い霧が動かしていたと言うこと。信じられないが、他に考えられる要素は無い。


「動いてる原理は分かった。だったら次は……」


 この赤黒い霧をどうにかして散らさないといけない。いや、そもそも自分がアーマー・ギアから抜き取った悪意が寄り集まって五つ腕を形成し、動かしているのだとしたら。


「堂々巡りじゃない」


 ならどうすれば。

 人の悪意と善意は表裏一体。タイヤの両輪のように、どちらが欠けても人の心はおかしくなると祖母は言っていた。

 

─じゃあ、アーマー・ギアはなんのために作られたの?


 アーマー・ギアが生まれてから、この星からエネルギー問題は大きく様変わりした。

 光や善の心にしか反応しないとは言え、個々人の力だけで大半の機械が動かせるのだ。そんなものが普及すれば、世界に溢れる感情も光や善だけになる。署長も以前この街の犯罪件数は異常に少ないと言っていた。

 タイヤの片輪が外されたまま走り続ければどうなるか、アーマー・ギアを享受し続ける反動がこの有様に至るのだと、開発した人物が気付いていないはずはない。

 まさか。

 背筋が寒くなる。

 瞬間、プリンセッサからの激しい警告音がトーニャの耳朶を打つ。

 一瞬、ほんの一瞬揺らいだ心を狙うように、ぽっかりと開いた穴から霧がムチのように細く、鋭く伸び出し、プリンセッサを雁字搦めにしてしまう。


『トーニャ!』


 五つ腕を全身で封じているミィシャは叫ぶことしかできない。


『ま、まだ、大丈夫だから!』


 強がって見せたが、指先を動かすぐらいしかできない。幸いにも右手は薙刀ごと絡め取られているが、がっちりと固定されていて反撃はとても無理に思えた。


『プリンセッサ、ちょっと我慢してて!』


 彼女が動けないなら自分が脱出し、外から直接彼女を霧のムチから開放する手立てを講じようとした刹那、五つ腕の首の穴から大量の赤黒い霧が溢れ、ふたりを丸ごと呑み込んだ。


『トーニャぁっ!』


 ミィシャの絶叫も、果たして聞こえたかどうか。


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